他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ヨーグルト蜂起

残っていたしゃぶしゃぶのバラ肉、もとい誤って食品に混入した動物性燃料は、結局廃棄した。晩飯に一切れだけ入れてみたのだが、口に入れた瞬間に胃の中の空間が口の外へ三次元的かつ有機的に展開しそうになったので、あれを消費しきる事はとても難しかっただろう。また、別の理由により、椎茸も捨てる事になってしまった。突然赤みを帯びたかと思ったら、たちまち白くてふわふわしたかわいらしい物質に全体がデコレーションされてしまい、おまけに嬉し涙なのか茶色い汁まで滲み出ていた。そういえばキノコというのは菌糸類であったなと思い出したわけだが、ちょっと便通を促す効果が過剰になり過ぎているかもしれないと思えたのでゴミ箱にそっと安置する次第となった。ぶり大根に突っ込んだ時は(多分、おそらく)いいダシを出してくれていたはずであるからして、その実力を十全に発揮させる前にお別れとなってしまったのは大変残念である。そんなに室温が高くないので、そうそうお陀仏にはなるまいと高を括っていたのだけど、食べ物というのは正直である。さらに言えば、甘塩たらの切り身はその名前に「甘塩」と入っている事を忘れていて、ついさっきの晩飯がかなりしょっぱくなってしまったのも後悔しきりである。この二週間くらい、食に対する姿勢と取り組みに失敗かつ無気力になっていて、これは一体どういう事なのかしらと不思議に思いたい心はあるのだが別にそんな事を思っているわけでもないのでどうすればいいのかさっぱり分からん。真隣の空き地かどうか分からなかったが、今朝は7時くらいに、軽いドリルで地面に穴っぽこを開けるような音がし始めて、その勤勉さは布団に忘れてきてほしかったなと思った。工事だったのか、それとも異常にやかましいチャリンコとかだったりしたのかは分からない。pdfを書き出す時に、明らかに他の挙動がぼんやりし始めたので、このMacもそろそろ限界が近いのかもしれないという気配が濃厚になってきた。部品取っ替え修理を計3回くらい経てきて、AppleCareに入っていたからどれも目ん玉が飛び出るような値段は払わなくて済んだわけだけれども、これ一台で色々な経験をしたものだ。良くも悪くも。その中で最大の教訓は何だったかと言えば、そうだな、本を作る時に一番大切なのは、まず締切を守る人間を集める事、になるだろうか。無い袖は振れないし無い原稿は編集できないし、つまり無いもんはどうしようもないのだ。