他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

肩にタオル

米がなくなったので買いに行った。そろそろなくなりそうだなと思ったのは先週くらいだったような気がするが、昨日の事もよく覚えていないくらい時間軸の感覚が喪失されているので、もっと前だったのかもしれない。ともかく、食うものがなくなりそうになって、仕方がないので買いに行った。米屋がそう遠くないところにあってよかった。そんな事は知らず、考えず、当時の私は家捜しをしていたわけだから、よく分からないところで運がいいものだ。そもそも、「米屋」と口にする、考えに上す機会がいつある。なんでもかんでもスーパーとかで買えて、極め付けは玄関先まで段ボールに入って配達されるようになったし。いや、ここまで企業ならびにサービスが出てくる前にも、生協なりコープなり(同じものか)もそんな感じだったはずだ。子供の頃は、ぺらぺらてかてかのチラシに印刷されたあれこれを見て、実感はないが非現実的で素敵そうな食べ物があるなと思っていたものだが、今見たらどうなのだろう。今度帰省したら見てみるか。銀河ヒッチハイク・ガイドは、面白いので毎夜時間を割いて読み進め、結局4巻まで読み終わってしまった。まさかそうだとは思っていなかったが、ここまで読んだ後では、私はダグラス・アダムスのファンになってしまったと言わなくてはクジラとペチュニアが頭に落っこちてきそうである。私が小林賢太郎西尾維新を大いに好いている理由は、「それ」以外にありえないからだが、銀河ヒッチハイク・ガイドもどうやらそれのようだった。正確に言えばそれと言えるようなそれだった。結局5巻だけまだ見つかっていないし、なんならシリーズがザ・完結と言えるようなところに行くまでに作者が夭逝してしまったらしく、この先がないという事実に果たして耐えられるのか、いやまあ耐えられるのだろうが、この先がもうないと考えて胸裏に寂しい風が吹くのは避けられないところだろうなと容易に察しがつく。まずはそうなる前に本屋で最終巻を見つけてくるのが急務だから、どこかで目を皿にして探してこよう。目を皿にすると言っても、これは案外簡単で、目を90度横に倒して、一番下の横線を左右につまんで伸ばしてやればよいだけである。頭を横に傾けて、にらめっこをするように両目尻を引っ張れば簡単に目は皿になるわけだな。ものすごい適当な事を抜かしているが。しかし、これを読んで、ふざけずにはいられないというか、面白い事を書かなければ死んでしまう人間というのは、やっぱりいるのだなと再発見した気持ちだ。