他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

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日本人は四季を楽しむから情緒に富むみたいな、鼻かんだ後のティッシュと同じくらいの価値である言説があるが、あれは逆の事も言えるのではないか。だいたい日本の四季くらい激しく変化しなければ季節を感じられない、不感症的感性の持ち主であると言っているようなものなのではないか。イギリスで夏を過ごした時、8月の下旬、でかい窓のキッチンで一緒に晩飯を食べながら、そろそろこの木に実が成る頃だねと言われた。モヤっとボールと界面活性剤が合体して、突起を先細りさせてうにょうにょ捻じ曲げたような、黄緑色のへんてこな実である。リスが木に登ったり、登らなかったり、路上に落っこちたその実を食べるようになったら、秋なのだと。言われるほど年がら年中曇ったり雨が降ったりしているわけではないが、起伏に富んでいると言うには少々口幅ったいような思いもする天気の国だが、そういう認知の仕方があるのだなと、最近振り返って思った。どちらが繊細かと言えば、そちらの方が繊細だと私は思う。通りがかるたびに、地下へ通じるドアを開放して靴などのアイテムが日干しされている理解に苦しむビルディングがあるのだが、今日は、そこに、きったない布団乾燥機が置いてあった。どうあれ捨てる他の選択肢が思いつかないくらいきったない布団乾燥機だったが、そして蓋が失われていたが、あれは実家にあった、まだあるかは知らないが、ものと同じ型だった。最後にやっていたのは10年前くらいのはずだが、布団にホースを突っ込んでけったいな音をさせていたあれである。記憶がぶわっと蘇って、少しだけ狼狽えた。昨晩、びっくりはしないが眉を上げてしまうくらいには眠りが浅く、日中の瞬間瞬間吐き気が姿を垣間見せるほどだったので、一度仮眠する。定期的に来る、睡眠がずたずたになる期間なのかもしれない。