他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

泣いて涎を垂れる

引き続き、ほとんど何もしなかった日である。むしろ、私が何か積極的に何かをやった日をマッピングした方が早いかもしれない。一年のうち、祝日の合計日数くらいにはなるだろうというか、くらいにしかならないだろうというか。キッチンの棚下に保管して、使ったような使ってないような鶏油を捨てた。さすがに、作ってから二週間? 三週間? くらい経っている、のだろうか。いつ作ったか覚えてない、気候もあたたかくなってきたし、カビ的なそれとか衛生面での問題がまずいかなと思って、捨てた。水っぽい鶏油が、若干危ない方のニュアンスを漂わせた香りになっていた。実際の物理状態としては、上から順に、ネギの青い部分、鶏油、水のおおよそ三層である。鶏皮のゼラチン質が居残って、水の部分もぷるぷるして、塊でこそげ取れた。何をしているのだろうとは思った。夏だったらもっとやばい光景が見られたのだろう。見たくないが。キッチンで衛生問題が発生すると諸々やばいので、起こってほしくないが単純な現象としては見たい。人格が分裂しているのか? 起きる前に、それなりの寝涎を粗相した瞬間的な記憶があったので、シーツを洗った。もうおねしょはしないが、半年に一回か、もう少し短いスパンで、涎は垂れる。人間は全身から何がしかの水分が出る。身体の6割だか7割だかが水分なのだから、まあちょっとくらいは垂れるものだろう。水をなみなみ湛えたコップをふらりふらり持ち歩いているようなものだ。涎だから、生理的に嫌なのでシーツを洗うのだ。洗う手間が生じるのだ。寝汗は、自分の意識では認知できないので無視するとして、これが涙とかだったらいい気がする。涙が、寝ている、無意識や半覚醒の時に、縁を転げ落ちるようにして、どろっと。でっかい雫が4滴くらい。涙は目玉の洗浄機能が一連発現した結果なのだから、そこまで目くじら立てるほどばっちいものではなかろう。涎じゃなくて涙が垂れればいいのだ。起きたら枕がしっとりしているのはあまり気持ちのいいものではないかもしれないけれど。何か嫌な事でもあって、寝ている間に思わず泣いてしまったのかと自分が自分で心配になりそうだ。普段やけっぱちでぼんやり生きている、私みたいなしょうもないのは、涙が垂れる方がいいかもしれない。乗越駅の刑罰だけ読むのもなんなので、同書所収の他の話もちょっとだけ読んだ。あの話は記憶の中で一番やばかったが、新宿コンフィデンシャルや、カンチョレ族の繁栄も相当なものだ。Kindleは、その章を読み終えるまでの目安時間を表示してくるのが気に食わない。