他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

hon hoi theoi philousin apothneiskei neos

TheophrastosのCharacteresを読み終わった。ちっちゃいのですぐ読める。図書館の奥から引っ張り出してもらった岩波文庫版でも相当ちっちゃいので、どうやってもちっちゃくなる。さすがに人のタイプをたった30種で捌き切れないと思うし、実際まだ足りてないところはあるんじゃないかと思うが、訳者解説などに書いてある事を読めばふむふむなるほど結構なお仕事ですねと納得するものではある。テクスト伝承が相当‘終わってる’のが残念だが、まあ時の波を乗りこなせるかどうか、サーフ板に乗っているノアが拾ってくれるかどうかはそれこそ時の運なので仕方がない。盛者必衰、栄枯盛衰とかその辺のあれだ。テオフラストスはそんな低俗な事を考えなかった、ただそれだけの事かもしれないけれど、「すけべ」の項がなかった。すけべ。出歯亀。エロガッパ。なんと訳しても構わないが、そういう項はない。色好みとは少し違う。色好みほど開けっぴろげでなく、窃視症的、倒錯的、洗って返されたハンカチの匂いで自慰するとか前を歩いている人の髪から流れてくる匂いで欲情するとかそういうのだ。すけべはなかったな。どうして俺はこういう事ばっかり考えるのか分からないけど、すけべも具体的に例示して羅列して解剖して標本にして欲しかった。「すけべ」という言葉は、今まで陳述してきた類の性質を表す上で最も言いやすい。口が回りやすいとかそういう理由ではなくて、言う時に恥ずかしくない。タイプする上で恥ずかしくないのだ。実際に誰かと面と向かって「私はすけべです!!!」と言うに抵抗がないかと言われるとめちゃくちゃあるが、字面の上だけで話を進める時に「すけべ」は素晴らしくスムーズに表現に乗る。それ以外のあれとかそれとかこれとかは、自分の声で空気を震わせているわけでもないのにむやみやたらに恥ずかしい。そんな破廉恥な、と思う。すけべはどこにもそんな点がない。晴れ渡った、天球に映る雲がゼロの快晴指数10の時のように、伸び伸びと「すけべ」と打てる。文字が可愛いからかもしれない。すけべ。桑田佳祐がスキップビートの歌詞を思いついたのも「すっけべー、すっけべー」と歌っている時だったらしいと母から教えてもらった。念仏を唱えるよりも、「すけべっ!」と喝破する方が効果大かもしれない。はー、すけべ。目玉焼の黄身は真中に、との張り紙がある店でミートソーススパゲッティを食べながら、俺の人生には調味料が溢れすぎている、素うどん屋が必要だ、と思った。