他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

北風と太陽とせつなさと

未明になるまでやけくそのように雨が叩きつけていたが、目が覚めると普通の晴天に石畳が照らされていた。慣れない環境にいると、最初のうちは神経が張り詰めてピアノ線のようになっていて、何につけてもピッと血の雫が飛ぶような気がするものだけれど、それもだんだん黄色くなったテグスがごとくぴりぴりと罅が走って緩んでいき、元いた環境でそうしていたような行動パターンやテーブルに戻ってしまうので、なるほどこれが環境順応能力かと後ろ向きな意味で肯定してしまう。毎日を新鮮に全くフレッシュに生きていきたいという前向きで貪欲で生への渇望がさらさらないけれど、2週間に一回くらいはルーチンから外れたご飯を食べたいようなもので、安定しきったパルスを黙々と垂れ流してじっとしているだけが楽しいかと言われると、楽しくないわけではないが楽しいわけではない、生きている事を目的にしているのかどうかさえ分からなくなり目の前に横たわっている生命のリボンの目の前に見えているストリップ部分だけをとにかく今日生き延びようと毎日繰り返していれば、それなりの距離を進行しているもののその道程で道筋がぶれて道草で腹が膨れたりしていない。存在が定かではないオアシスらしきものに希望を託すふりをしながらその実何も考えていない頭で次の一歩を踏み出す口実を探し続けているだけである。何を言っているのか分からなくなってきた。めちゃくちゃに眠いので。心地よくなさを伴わない、泥と昏睡と夜更けの混じった水銀のような眠りではない方に陥る事を誘惑してくる黄色く暖色系のシェードを帯びた疲れに苛まれる事ができるというのもまあそれはそれで幸せな事で、でもやっぱり疲れるものは疲れるし眠いものは眠い。余命残高を緩急ないまぜに、引き出したり戻したりちょっと多めに持ち出して借り入れてきたり、とにかく破産だけはしないようにちまちまやりくりするようにしていると、生きる作業はしているが生きてはいないと思われてくるので、どこか外部に生きる3級生きるA級とかあればいいのになと一瞬考えたけれど、これに必要なのはきっと生きている行為のただそこにあればいい性を半分冗談に抱きとめてそのへんをぶらついていてくれる体温を察知できる程度のそれなのだ。夕ご飯に困ったので、適当にスーパーに寄って燻製の鯖と冷凍のポテトとミートソースのパイ、つぶつぶ入りのオレンジジュースを買った。燻製が美味いのは知っている。パイはいい加減な味がする。