他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

下手の横乳好き

バスで移動したり戻ったり行ったり来たりした日なので疲れた。疲れる前に疲れていたので、7時AMに起きようとして7時45分過ぎAMくらいに目が覚めていた。ついでに、寝坊に焦って部屋を飛び出しおトイレを済ませようとしたところ、部屋のオートロックに敗北しレセプションに飛んで行って時間とにらめっこしながら鍵を再発行される愚行も達成した。寝坊するのは間違いなく疲れている時だけれど、疲れているとそこからさらなる過ちと疲れが発生し連関を描き続け始めるので、休んだりする事はもう間違いなくそれは大切なので怠らないようにしたい。色々行ったが、なんだか記憶が曖昧だ。曖昧というのか、ある程度回数を重ねて刺激に対するキャッチャーミットの構え方ができてくると、意識してかせずしてか飛んで来るボールの衝撃を殺したりいなしたり流したりしてしまうので、最初に受け止めた時の手の平の血管がギリギリするような痛みとかこれを取り損ねていたらという仮想の冷や汗とか、ああいうものが過去の遺物として粗大ゴミ廃棄されたり部屋の隅で捨てるに捨てられないが触りたくもないきちゃないあれこれみたいになって困る。何世紀のものか分からないが、大砲の球を大中小6サイズくらいの展開で見たのだけれど、まず片手で舐めくさして持ち上げようとするとこちらの身体がグンと持っていかれるような重みをしていて、さすがにミニマムサイズは片手で持とうと思えば持てたにしても、マキシマムになると鉄の鉄らしさを存分に余すところなく実体として感じ、そりゃあこんなもんが当たったら、鎧をつけていてもつけていなくても死ぬし、むしろつけてなんかいたら破砕された鎧が肉体に更なる損壊を及ぼしてそっちの方がやばいのではないかとまで思われてきて、これがつまり人間を殺すための手段のうちのひとつなのだなと実感したのであった。あんなん当たったら死ぬ。せめて爆弾おにぎりが飛んで来る世界線で生きたい。たまに真面目な話をする機会が回ってくるので、相手は信の置ける相手だったし、きちんと言葉を選んで綱渡りの縄を丁寧に一本ずつ落としてこれでしか向こう側に行けないなと納得する発話の様態を表した。意味は分からないが分かる。中島みゆきの世情の歌詞の話をして、知らなかったのでインターネットの力を借りて歌詞サイトを見てみたら、「包帯のような嘘……」の2行で爆発的に痺れた。そんなにかっこいい歌詞、書けるわけがないだろと思った。