他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

just a moment of a second

いつの間にやら日に2食が大抵になっていたので、実家に帰っても一応そのままにしている。今までも米がないから餅を食って生きていたのだが、作ったあんもちをもらったからとこちらでも餅を食べている。餅は嫌いではないのだけれど、さすがにこうも食べ慣れてしまうと、年始の季節感がびっくりするくらい薄れそうだなと若干危惧している。薄れたところで、クリティカルな作業(全然終わっていないし全然進んでいない)をやらなければいけないという致命的な課題の切迫感がリアルに存在感を増してズイズイと顔を押し付けてくるだけではある。実家に帰ると暇だろうと毎回思うのだが、なんだかんだ色々あって、さっぱりとは言わないまでも作業の時間が取れないし、そもそも一人暮らしで普段行動しているタイムテーブルと、複数人が一つ屋根の下に暮らすタイムテーブルとに差異が生じて精神的バイオリズムがぐちゃぐちゃになり本調子とは何であったかを失念してしまった。たまに誤送信されてきたメールに関して「先の件に関しましてはご放念ください」の文言が含まれる訂正が後追いしてくる事があるが、素直に「送信は誤りでした。ご迷惑をかけ申し訳ありませんでした」と書けばいいところを、「ご放念ください」、要するに忘れてちょ(ハート)とお願いしているわけで、そちらの過失で生じた脳味噌の無駄なメモリをどうしてこちらがさらに手数を割いてまで忘れてやらねばならんのだ、それより謝罪してもらった方がよっぽど気持ちがよくってよ!!?? と私などは考えるのだが、普通はそこまで引っかからないものだろうか。頭の中でエゴが爆発した校正規則が渦巻いてぐるぐるしているから、どこをどうしたい、みたいな理想と押し付けの凝集体はたくさんある。それを自ら解毒して薄めていくのが、上手い生き方なのだろうけれど。予約は取れたので、友人その1に会ってきた。待ち合わせ場所を指定せず、前回と同じ所に足を運んでみたら、それらしい人物はいたものの違ったら嫌なのでメールで現在地を確認したらまさにそれが探し求めるその人であった。私が近くに立った時直ちに反応を寄越せばいいのにそうしないあたり、どっこいどっこいな気がする。さすがに数年ぶりの前回ほど積もる話はなかったが、私がひどい話をしたりもっとひどい話をしたりさらにひどい話をしたり、先方の人生にシューティングスターコメットが現れた話なんかをした。人間、テンパるとコンドームの表裏を逆につける事がありうるのだなと知った。