他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

シラ

今日で復路なので、いくつか覚えている事でも書き残しておくか。弟に関する事。右手を「ジョ」、左手を「ニーデップ」と命名していた。ジョニー・デップをそのように分割するなどと普通の生活を送っている上では思いつかないだろうから、二日間くらい気に入っていた。ジョの呼格はジョだから(日本語には格変化がないのでそう考える事自体がナンセンスなのではあるが)、人から呼びかけられる時は「おーい、ジョ!」となる。意味が分からないので好きだ。あと、贅肉の事を「伊達お肉」とパラフレーズしていた。伊達眼鏡のような感じで、伊達お肉。かわいらしいわね〜〜〜と思いながら聞いていた。最近伊達お肉ついてきちゃって、と言えば可愛らしく場が収まったりしないだろうか。しないか。昨日、テレビのCMを観ながら、CMでつく企業イメージはあくまでイメージであって、その実像と内容ではないと考えたのだが、いつか前にも同じような事を考えた覚えがある。ノリと勢いと、綺麗さ楽しさで誤魔化しているような上っ面のオンパレードなので、あれはあれで頭の中が空っぽになりそうだが、他に比べて抜きん出てペースがゆっくりで、画面の空気感が清潔で、これいいじゃないと感じるCMがあったのだが、企業の名前も商品の名前も忘れてしまった。周りが豪速球ばかり投げるからと、繊細さを失ってはいけないのである。結局、会えた友人は一人だけだったし、なんならそもそもほとんど外に出ていなかった気がする。根に染み付き、枝を侵し、葉に浸潤した性癖は一朝一夕でそうそう変わるものではない。突き詰めれば、ある一つの杭に鎖を打たれてその半径内で言える事をひたすら手を替え品を替え繰り返しているだけなのかもしれない。学校の先生が幾度も言っていた、「大事な事だから繰り返し言いますが」は何処でも通用するディシプリンなのだろうか。それならば俺は、何度だって繰り返し「自分の言葉を捨てるな」と口を酸っぱくして酸性で唇が爛れるほど言いたい。自分の血肉を千切り取って雪合戦ができないと、いつか本当に実体を失うだろう。自分に対する自覚が薄いだけ、尚の事一層頬をつねって現実感を取り戻す作業が頻繁に必要になる。特に何もしていないため、ふわふわした事を書く頻度が上がっているような気がする。しかし、現実に対しては、内側から湧き上がる抗い難い欲求に洗われるようにしてでなければまともでコンクリートな事が書けないのだから、欲を感じられていないという事になる。今日、初詣の時に何も考えず二礼二拍手一礼をかましたのだと思い当たり、大丈夫だったかなと不安になった。言語化する事で、内面を掬うのを忘れていた気がして。