他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

無形

野村萬斎狂言サイボーグ』を読んだ。本屋で見た時から、タイトルが最高だなと思っていたが、中身も面白かった。表紙もよい。本文中に、内容と関連する野村萬斎自身の、写真というよりはポートレートがカラーなりグレースケールで挟まっていて、そこも新鮮だった。彼の事は、にほんごであそぼの「ややこしや」しか知らなかったと言っても言い過ぎではないくらいだったが、この一冊で、めりめりと情報が広がった。東京藝大出身なのも知らなかったし、英国に一年間留学しているのも知らなかったし、狂言以外にも幅広い表現媒体に積極的な事も知らなかった。伝統芸能を、その領域の中だけで埃を被らせるのではなくて、開拓と挑戦を繰り広げているところなど、鈴木忠志を思い出すなと思ったら鈴木忠志とも関係があって、方向が似ている人は、ねじれの位置にはないのだから、いつかどこかで交わるのだと知った。平滑で、素直な文章で、たまに英語そのまんまが出てきたり、海外の芸能についても少なからぬ見聞があって、立派な人だと思った。これを勧めると面白そうだな、という人が二人ほど思いついたので、興味を示すかどうかは別にして、話だけでもしてみようか。能については、人生でほんの一瞬だけぶつかった事があったので、ちらと勉強してみようかと考えた事があるが、狂言はなかった。大学のサークル勧誘で話を聞いた記憶はあるが、それだけである。これを読むと、コントに近しいもの、もっと言えば、小林賢太郎的なものが(あるいはその逆かもしれないけれど)、狂言にはありそうである。『茸』とか、まさにコント的な筋書きであって、面白そうだ。人生の水路が、ひとつ開いたのかもしれない。あおむしに着想を得たらしい風刺画(風刺画? 挿絵? 「風刺画」というのが既に色付きの言葉であってアンフェアだから、挿絵と呼んでおく)が、版元からうんならかんなら、という報があった。何かしら、ネットニュース的なものに関しては、反応するのに時間を置くべきだと考えているので、一日、もにょもにょ考えていて、夕方くらいにひとつの答えを得た。はらぺこあおむしという一冊に対して、「健全」な読み方のみを強制する姿勢は間違っている。解釈は、あまりにも埒外のものは別にして、可能性に対して開かれているべきである。貪欲という一瞬間は、たしかにあの絵本の中にあるし、それが腹痛という象徴的懲罰によって、きれいな蝶への変身を許された結末とは別である。利を貪って、一瞬手が後ろに回ったけれど、最後は華麗に天下りできました、みたいな、アレゴリカルな読み方も否定できない。版元があんな事、やってよかったのかなと思っている。子供と絵本に、潔癖を押し付けすぎではないか。