他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

coprolalia

買い物に行った時、玄米茶を買い足そうと思っていたのを忘れていた。あと一回か二回分くらいしかないので、飲んだらなくなってしまう。最初はよう分からん茶やなと思ったけれど、癖になる味をしているので気に入ってしまった。独特の、口の中のどこにも触れずに消えていく苦味というか、渋みというかがあり、それにちょこっと玄米の香りが乗っている。変な味なのだが、他では味わえないそれである。コンビーフに醤油をかけたら、まあまあ食べられる味になった。油の味だけで箸がすすむほど私はジャンキーではない。たまにラーメン二郎とかそれに類した店の前を通り過ぎるが、昔は小を食えたものの(小であって少ないわけではない)、今はどうかなと思う。そもそも最後に食ったのが、えーと、5、6年前くらいかと思われるので、記憶の情報としての精度もそれ以上ないくらい劣化している。京王線沿いのどこかに、女子供お断りの張り紙があるやべー二郎があると、ミソジニー極まった先輩が言っていたが、極はあるとしても、一般に幻想を抱かれているほどルールを押し付けてくる店ではなかった、はずである。一回くらいは行っておいてもいいし、別にいいやと思うならそれはそれで尊重されるべき、そんな範疇の事柄であると思う。今日はひたすら眠かった。毛布をかけて横になっていると、果たしてこれは本当に暖かいとされる感覚なのだろうか、と分からなくなった。肌に毛布が触れている感覚はあるし、化繊にしても何かしらの毛っぽい肌触りで、保温性能がありそうな質感ではあるが、しかしそれが暖かさを産んでいる、繋がっているのかというと……。どうなんだろう。なんだか違う気がした。暖かさを得ているのではなく、毛布を装備しているという事実を、脳味噌が温暖に解釈しているだけな気がした。ぬくさが3段階あって、その一番下のものを買ってきたので、それはそうなのかもしれないが、じゃあ中のやつと上のやつを試したら、どうなるんだろうなという興味が湧いてきた。タオルは好きだし、そんなにかさばらないし、ものとしてもよく使うのである程度量がだぶついているのは構わないが、毛布はコレクションするものでも気軽に試してみるものでもないから、一つの選択でしばらく悶々とする事になるのである。夕方くらいに、一瞬だけまた地震があった。あった気がするが気のせいかもしれないが、揺れたはずなので多分あった。でっかいやつが来たら、どうやって死ぬのかなと考える。