他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

酒精のさきわい

人生に「やめる」ボタンがあればいいのにな、と考えていた。生き死にとかそういうのではなくて、「やめる」という選択肢があれば。死ぬのとやめるのとでは違う。かき揚げと天麩羅くらい違うのではないか。この二つの違いは知らないのだが。この前も書いたような気がするが、「天は二物を与えず」という言葉の意味を考えていた。他にも何か考えていた言葉があるが忘れた。これは、優れた才能を与えて、さらに追加で、という話ではなくて、いや、それもあるのかもしれないが、優れた才能は与えるけれど、それを活かす才能を与えるとは限らないとか、そういう事かもしれない。短いから色んな読み方ができてしまう。いいような悪いような。ぱっさり切られる方が楽な時と、そうでない時がある。ものがあるだけではダメで、発現させなければならない。そう、いい種を与えても、それが発芽するエネルギー分まで一緒に中に入れてくれているとは限らない、みたいな。そういう。そろそろ来るのかな、でも小をするくらいの時間はあるだろ、小ならそれほどかからないし、と思って、座って自然を解放し始めた瞬間にチャイムが鳴って、思念通天、全然嬉しくない、急いで中断して手を洗って受け取った。ふん。元来そうだが、春(今年の春は存在感がほぼゼロだった)を迎えてから、思考のぶつ切り具合、まとまらなさ、が酷い。むしゃくしゃした時に一発、ばちんとやる、何かを選択肢として持っていればいいのかと考える事もあるが、ないし持たなそうなので、時間が、ろうそくよりも不恰好に溶けていくのを眺めるしかない。blandishという英単語が突然頭の中に出てきて、どうしてこんなもんを覚えているのか、意味は覚えてない、辞書を引いたら別にいい意味ではなかった。