他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

とり天と唐揚げの違い

これより後になると書くのめんどくさくなるし、自分の机で書けないので書いてしまおう。たまに別の環境にそれなりの時間身を置いてみると、普段は全く意識しないが、おうちの椅子は結構いい椅子なのだなと気付く。当時のノリと勢いで4万円だかくらいで買ったニトリのブルーグレイ、なんかよく分からん形状の椅子だが、背もたれ、腰が当たる箇所あたりがよくできている。どうよくできているのかは分からないけれど、座っていてストレスがなく、椅子の存在そのものを意識させない。身体に溶けるのがいい道具の条件である、とどこかで見たような読んだようなだけれど、まあそんな感じだ。すると、10万20万の椅子はもっとすごい事になるのだろう。何事も凝り始めれば際限がなく、求めようと思えばいくらでもいいものがある。ふむ。持っていく本は、開高健『地球はグラスのふちを回る』にした。エロ事師たちは、いつ読んでもいいのだけど、人前で読むと変な感じになる。近所の工事が再開した。再開したのか、なんなのか、工事の音がする日があったりなかったりする。どういう基準なのだろう。今でも引っ越し蕎麦って配ったりしているのだろうか。私が空港を好かんのは、適当に身体を置く場所がないまま、無為に「待つ」という行為を強制される事である。ラウンジが使えるくらいの太客になればいいのかもしれないが、そうであるなら私はもっと別の事をしていると思う。結局、手荷物が邪魔というのもある。もっと何も考えずにいたいのだが、そうはいかない場所箇所場面は結構多い。左手中指付け根関節だけの手荒れがずっと続いている。ここを酷使する動作なんてないと思うのだが、ここだけ執拗に荒れている。実際に四次元ポケットがあったとして、人は四次元ポケットに何を入れるのだろう。四次元ポケットが問題を全て解決するのではないような気がする。四次元ポケットに入れておくもの、そうでないものをまず仕分けなければいけない。あるものについて、それを肌身離さず、四次元ポケットだとまさに読んで字の如くになるわけだけども、持っておきたいか、自分の気持ちの精査は時間がかかるだろう。それとも、深く考える前に、とりあえず四次元ポケットに放り込んでからどうしようか考える、となるのだろうか。とても眠いが、今からお昼寝をするとよくない。時間的に。空港はもっとアクセスのいい場所に存在しろよと都度思う、思ってから、でも近くにあってもあれなのか、と思う。