他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

nitens

いい茶葉をもらっていたので、サジェスチョン通りミルクティーで飲んでいる。素のままだと、体内腔みたいなぎょっとする匂いがしたが、牛乳を入れると気にならなくなり、ついでに味が密度を保ったまま喉を滑り降りていくので、いい茶葉とはこうなるのだなと新たな学びを得たような気がするし、目隠しして飲んだらプラシーボかもしれないし。こういうのが気になるので前情報抜きで物事に触れていきたいと思うだけ思ってはいるけれど、情報化社会でそんなことをしている暇とか余裕とか猶予はなく、明治時代くらいの人々は今の半分くらいの速度で話していた、という話を思い出す。古典作品には朗誦されたり披露されたりしたものが多いが、実際にそのパフォーマンスの場に立ち会った際、どれくらいのスピード、尺で行われていたのか、それを考えると、いや別に正解が分かっているわけでは全くないにしても、コスパタイパに対するカウンター存在だろうなとは想像してしまう。パフォーマンスを気にしなければいけないほど現代生活には夾雑物が増えただけではないか、と意地悪なことも。本を読む気がなくてぷらぷらしているこういう時期が一番つらい、かもしれない。分からん。