他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

強襲

今、近所から発砲音みたいな音がしたけど大丈夫だろうか。抗争が起こるような地域だとは思えないのだけど。ただ、間違いなく、私のショバが荒らされた事に間違いはない事態が発生した。窓の外で、引くほどガチャガチャじったんばったん騒音が聞こえた。この音パターンには見覚えが、耳覚えがある。カラスだ。洗濯竿にかけてあるワイヤハンガーを巣作りのために持って行こうと、竿に猛攻をかけているらしかった。眠かったので面倒になり放っておいたのだが、後で窓から直下を見ると、洗濯物が3つほど竿から蹴落とされており、出窓の下に拾い上げに行くと、確認の結果、2本のハンガーが奪い去られていた。こ、このヤロウ……。クロウだけれど。洗濯物の荒れ方、また、砂利に植えられた植栽の枝が折れてぼとりと落ちていた事から、頭の中に「蹂躙」の文字が浮かんで離れなくなった。これがまさに、蹂躙。それよりも、ハンガーが減ってしまって、干すのに足りなくなってしまった。また百均で買い足してこなければいけない。いや、そも、何もかけていないハンガーを外に出しているとかっぱらわれるから何もない時は屋内に避難させ、洗濯物を干す時だけ外に出していたわけだが、重りとなる衣類がかかっていてさえアサルトされてしまうのなら、こちらからできる事はもうないのではないか。いらないCDでも吊るか? けれど、ガードにも構わずアタックをかけてきたカラスは、もはや並の防衛策に対して強靭な耐性を獲得しているのではないだろうか。都会怖いな〜〜〜。よくゴミ袋が内臓ブチまけているから(収集曜日を守らず出す輩が悪い)、このエリアのカラスはギャング度が日々磨かれ続けているのかもしれない。前に本棚整理をした時にぽろっと出てきて、勧められたので借りてきた本を読んだりした。識者や学者ではなく、一般の人が書いた本、しかしラベルは岩波新書である、らしく、読んでいると感じる違和の正体を考えながらページを繰り繰りしていた。おそらく、文末というか、言い切りのスタイルが違う。「〜ではなかろうか」「〜ではないか」「〜かもしれない」という、確度が固形になりきっていない文末を、使う事に抵抗がないというか、プロフェッショナルとしてソリッドな事以外下手を言えないという消極的後退りがないというか。ある程度以上の地位になると、知らない分からないと言えなくなる。それがないゆえに、この文末を使えるのではないだろうか、と。これが良い悪いとかではなくて、偉い人が言っていたあの言葉の意味を、手に触った気がした。

白いけど白くないシチュー

調味済みシマチョウを炒めて食った後、フライパンを洗い場に突っ込んでお湯の蛇口をひねった。コンパネを確認すると、そもそも給湯器がONではなかった。迸ったのはかじかむような水。3、4ミリ程度も浮いた、どろどろした良くなさそうな脂へ血気盛んに冷水が飛び込んでいき、一瞬で脂を冷やし、溶岩に水をぶっかけたようになった。脂の珊瑚みたいな、瞬間的な造形をしたオレンジ色の固体がごろりとフライパンから溢れた。脂と、調味成分の色とか色々のコングロマリット。ただただ生物として不快だった。これをそのまま、ものぐさに流しにポイしてしまうのはやばいと思ったので、ラップを広げて凝固したそれらをこそいで燃えるゴミとして廃棄した。まあ、あんなもんが身体にいいわけないわな。何かどこか惹かれるものがあって、椎茸を買った。軸のほっそい貧弱なやつだが。今日は調子が悪かった。特に。頭の中のホワイトノイズと、それに関係ない内部的な律の混乱で、2割程度の吐き気がつきまとってきた。最後にゲロを吐いたのはいつだっただろうか。小さい頃は、バイキング形式の店や、ふとした事で戻していたらしい。食道をせり上がり一線を超えるほどに食べないのは、その経験を母から聞かされていたせいだろうか。世の中にはゲロを嗜好とする向きもある。泣いたのと同じくらい思い出せない。吐いてないのか。酒も飲まんしな。開けてからの日数を忘れた牛乳を捨てた。さすがに中身は凝固していなかった。たまに、どっ、ぷん、とゆっくりしたリズムを刻んでコップに落ち込むようなカタマリ方をして痛む事がある。痛む、というか。変色したりカビたりといった痛み方は「痛む」でいいと思うのだが、匂いが変わっても外見は変わらない場合も痛む、である。痛んでいるのか? 心がしくしくと疼く時も、心が痛む。頭痛は見えない。痛感する時の感覚もインビジブルなものだ。痛む、でいいのか。どうしても、外傷のような直接的なものを期待してしまう。久しぶりにIllustratorを触ったら、ツールやら何やらが進歩していて、使いやすいやんけと思った。三角形の頂点にあるアンカーポイントにちょうど連なるように線を引っ張れたり、キャンバス内の相互ガイドがあれだったり。道具は素晴らしく進化しているが、私は言いたい事や表現したい事がない。人知れず倒れた木が倒れていないのと同じで。この前、図書館で開いた週間読書人の見開きだけで2つも「待望の文庫化!」の文字があって、食傷が流れた。主語を書き出すのは難しい?

上の方しか電気がついていない外付け階段

軽くよろめくくらいの風速で、洗濯竿にかかっていた洗濯物が軒並み軒の方へ、突き出し窓からでは手が届かない遠くへスライドしてしまった。屋外に出て、手のリーチへと引っ張り直す。おろしたての、白い長袖クルーネックシャツがハンガーごと落下していた。年始にユニクロで買ったものだが、生地がそこそこしっかりしていてペラく寒いという事はない。いや、普段着ているシャツがあまりに擦り切れているだけだと思うのだが。少し肩幅に対して窮屈な感じがあるので、早く洗濯の過程で生地が程よく伸びてくれないかなと思う。オーバーサイズがよしとされる場面は少ないような気がするが、100に対して10か20くらいの余白があるサイズ感が好きなので、洗濯の過程でだらしなくなった後の方が馴染みがよい事の方が多い。オナホの「覚醒」みたいなものなのだろうか。手の皮がてらてら光るようなオナホ特有の脂っぽさがなくなれば色々遊んでみたいものはあるけれど、あれが石鹸で擦っても落ちない、こびりつく感じがあるから自分の中で納得できない。髪に射精された時の、言いようのないコシコシ感というか、時限性の呪いにかかったような感じがある。髪に射精された事はない。家にネット回線の工事が入ったので、今までエアコンのダクトから伸びていた意味不明の配線が、一本から二本に増えた。先の住民がNTTのなんかを引いていたらしい。エアコンのおさげみたいでかわいい。心にもない嘘を言った。家のエアコンは、ぬべっと長い豆腐みたいでかわいくない。いくら霧ヶ峰のネームヴァリューがあっても、デザインが骨太でいただけない。何の話だ。何の話でもないのか。なぜか2袋展開していた、燃えるゴミの袋片方を縛った。なぜ2レーン設けたのか分からないし、見切りをつけた方は1週間以上キャパオーバーでゴミを放っていなかった。??? 取り込んだままエイヤッと投げていた洗濯物を畳むと、少しだけ部屋が整った感じがある。3日くらい、自分で晩御飯を作らずに外に食べに行っている。心が疲れているというか、憔悴している事の現れなのだと思うが、原因が分からない。特にないゆえ疲れているとかいう、いつものアレという事にしているアレかもしれない。納得いかない。昨日食えなかった回転寿司を食いに行った。でも回転していなかった。タブレットで注文して、レーンを貨物列車が運んでくるタイプの店。えんがわユッケが美味かった。寿司の中で一番えんがわが好きだ。えんがわだけで5皿くらい食べた。袖に茶の粉がついてカビみたいになった。

ビデオデッキスタン制限

更新がそこまで頻繁ではないために、数ヶ月に一度まとめて見に行っている記事があった。カクヨムの、あるエロゲライターが書いていた記事。質問だったり現場周りの事だったりと、門外漢でも読んでいて面白かったのだが、頃合いと見て4月にはさっぱり消してしまうらしい。読んでみて、まるっきり大損こくなんて事はないと思うので、一度読んでみればいいと思う。スーパーに並んでいるソーセージだって、どうやって作られているのか、実はよく知らないのだから。疲れていたので、昼過ぎまで寝ていた。8時前くらいに一度起きて、グラブルとプリコネをちょっと触って、もう一回寝ていた。身体がついてこない時は、のんべんだらりとしたい。そのための余白があり続けるのならば。手首を強く握ると静脈が浮き出てきて、握られた方の手をぐっぱぐっぱするとそれがますますいや増すので、手触りを感じてしばらくぐっぱぐっぱして遊んでいた。静脈って、血管の壁が青いんだっけ。光学的な色々があって、その結果血が青く見えてんだっけ。知らないな。知らない事がいっぱいある。静脈を切ると、動脈を切るよりは大事ではないが、勢いが弱くともだくだくと血が出るだろう。よく、湯船に沈んで手首を切って死のうとしたり、首に刃物を当ててパッとやって死のうとしたりの可能性があるが、あの時切るべきは動脈なのだろうか、静脈なのだろうか。ゆっくり死ぬか、急いで死ぬか選べるのかしら。たまに、ものすごい勢いでキーボードを叩かなくといけなくて、でも指が追いつかずにもつれて、ピアノに十指を叩きつけて「ダンッ」とするような気分になるような、断片的なイメージを夢に見る。なんなんだろうな、あれ。占いを嗜んでいそうな人が周りにいない。ネットにはいくらでも転がっているのだろうが、顔と人となりをある程度知っている人から聞く内容でなければ頭に入ってこないので、インプットのルートは贅沢を言いたい。古典文学を全部ひっくり返してみても、テクノロジー的に、キーボードを叩くシーンはないだろうから。月が動いたから、更新されているだろうと思ってバイきんぐのYouTubeチャンネルを見に行ったら更新されていた。全く異和を感じさせずやべー奴を演じる事ができる能力には、実に目を見張るものがある。声量も身振りも一級品だし、すごいよな。だるいので、夜は回転寿司でも食べに行こうと思ったら、さすがに日曜日の夜で人が溢れていた。あぶれたので、通り過ぎた店に入ってまぜそばを食べた。値段の割にトッピングが豊富で、麺も美味く、発掘した感じがある。店を出ると、先に店を出ていた四人組が解散前の雑談をしていて、流れてくる話の断片的に、どうやらグラブルをやっているらしかった。反射的に、「えっ、グラブルやってんの?」と割って入りそうになった。周りにやってる人がいないからね。

端まで手の届く庭と手の長さと

精液塗れで画面が黄色くなる同人CG集の発売メールを見て何とも言えない気持ちになった。毎作品そういうシーンがあるから、中の人がそれをめちゃくちゃ好きなんだろうな。年始に地元で買ってから郵送してもらうのを忘れていた荷物が届いて、その中にお餅があった。時節を少々スカしている気がするが、食べ物は美味しければなんでもいい。ケンタッキーはクリスマスだけのものではない。チョコエッグイースターだけのものではない。これが、仁多米とかなんとか、いい米を使っている餅らしく、私のような高級ならざる舌でも甘さやモチモチ感や、全てのステータスに関して「うまいな……」と独り言ちるほどにうまい。美味いや旨いの書き方があるけど、うさくん的な感じでうまいので「うまいな」とひらがなで書くのが正解だと思う。高いやつって、全然知らなくても高いって分かんだね。平べったいおまんじゅうみたいな、二回りくらい成長したカントリーマアムくらいのサイズをしている。フリスビーとか、池チョンパができそうな形。うまい。目が覚めたら雨が降っていた。最悪。濡れるというだけで、本当に気分が下がる。洗濯物も干したかったのだが、干したらやられる。室内干しだと匂いが気になる。掛け布団の、ハンドクリームに由来すると思っている黄ばみがじわじわ進んでいるので、掛け布団だけシーツを新調しようか。敷き布団は、愛想もへったくれもないモノトーンのアイボリーとブルーの中間みたいな色だから、片割れに相性を要求する事はないだろう。流石に真っピンクを持ってくると不釣合いか。お茶を淹れると気持ちいい。美味しい。でも、トイレに行く頻度が上がる。あったかい飲み物を胃に入れると、身体がオートマティックに安心するところがある。あったかいと眠くなる。雨が降って寒いなと思っていたら、昼過ぎ頃からたどたどしい雪に変わっていた。寒い。電車の中は暖かかった。眠い。もう3月も中頃なのに、降るもんは降るもんだ。東京の雪の振り方は綺麗じゃないので好きじゃない。接地と同時に水になり、ただただ悪路を成すのみ。雪が一面にわっと広がった景色を見たいが、それはそれで寒い。図書館に新しい本を借りに行った。辰濃和男朝日新聞天声人語を書いていた人で、そういえば岩波新書で文章の書き方だか作法だかみたいなのを以前借りた覚えがある、この人の『私の好きな悪字』という本とかを。懶惰の懶とか、雑とか。取っ替え引っ替え、色んな題材を持ってくるので、懐の広い人だなと思う。

身動き取り放題

昨日くらいに、小林賢太郎率いる劇団? コントマンシップ? カジャラの第五回公演の情報が出ていた。去年よりも一月遅いくらいか。一度ナマで目の前で観る味をしめてしまったので今年も願わくば是非是非劇場に足を運びたいところであるが、予定がどうなるか分からん。今回のキャストにもなだぎ武が含まれており、あの人ならざるモーションを今一度目の当たりにできるかと考えると込み上げるものがある。流れにハマった状態であれを観ると、とてつもない破壊力があった。メイド・バイ・小林賢太郎というだけで観たくなる。不思議だね〜。3年前かそれより前の証明写真を写真に撮ったもののコピー、くらいまで劣化した写真を提出したら、不鮮明で身分証明にならんやろがいと言われたので、数年ぶりに証明写真を更新しなければならなくなった。あの直近最近3ヶ月までのものという指定、律儀に守られているものなのだろうか? シュレディンガー。証明写真マシーン筐体に入れる金額が500円だと思って、上手い事500円玉をつくって持って行ったら800円で、さらに千円札までは許容されていたので微妙な顔になった。証明写真機の中は、絶妙な狭さがある。教室でイチャついていたら廊下からクラスメイトの話し声が、間一髪ロッカーの中に隠れたはいいものの、動き出した情動は止まらな〜い! のシチュエーションになった時の、ロッカー中に二人の人間がパンパンに入っている密度に近い。こんな事を考えながら証明写真を撮る人間が他にいるだろうか。いるかもしれない。いたら仲良くなれるかもしれないが、私の方がこじらせているので仲良くなれないかもしれない。仲良くなる必要があるのか? 密着えっち空間でID写真を撮った。眼鏡をかけていると、今後、パスポートの更新などで面倒な事がないではないので外したところ、外で風に吹かれた結果、何条か髪が小さく跳ね上がっているのが発見された。裸眼の視力が死んでいるので、全く気がつかなかったけれど。おカタイところには出せないかもしれんな。思いついて思い返してみると、証明写真撮影機密着えっち空間定義がものすごくしっくりくる。周りの人と共有してみてください。多分「はぁ?」って言われると思うので。棚の片付けをしていて、なぜだかぽろっと出てきた岩波文庫版、太宰治富嶽百景走れメロス 他八篇』をこっそり持って帰った。読んだら返す。ある程度まで古い本を読んでいると思うが、ああいう自然描写・情景描写が自分の中でさっぱりその脈を流していない。取り巻く方が変わったのか、取り巻かれる方が変わったのか。ずっと考えている。

ゴーストタウンミスコン不透明度部門

すごく晴れだったので洗濯物を干した。店でアパレル畳みをされたままのクルーネック長袖シャツをそのままランドリーしたところ、ハンガーにかける段になって、「ここ……水に濡れてないな……」というエリアがある事を発見した。畳んだままだったから、いい感じにあれそれがこうして、洗水に浸されなかったということだろうか。あるいは、脱水の段階で、化繊の水捌けのよさを存分に発揮し、あんな感じになった、とか。分からん。とにかく、洗ったという事実に安心しておこう。この前キャリアから電話がかかってきて仰天したのだが、2026年くらいに、ガラケーの電波配信が止まるらしい。つまり、ガラケーが使えなくなる未来が来るという事である。なんでや、ずっと使わしてくれやと思ったが、今やごく少数のためにその辺を整備維持して、気を遣うのも面倒だという事だろう。よく分かる。何年か前から、ガラケー機体の製造を終了するメーカーがちらほらと、最近はバンバン見受けられた。一時代の終わりなのだろう。そんな偉そうな、郷愁に満ち溢れるほどガラケーを使い潰す事はついになかったが。メールと電話の機能しか使わなかったし。ただ、雑に安く適当な通信端末がひとつなくなってしまうのかと思うと、なんだか物足りなくなりそうだ。月に千円もかからない料金で満足していたのに、突然蹴飛ばされるとは。別にスマホに変える気はないでーす、と伝えたら、何と言うでもなく引き下がってくれた。こういうやつ、もしかしていっぱいいるのだろうか。そういうやつ、ガラケーのサービスが終了した時、大丈夫だろうか。他人事ながら他人事とは言えず、気にならないでもない。久しぶりにInDesignをがっつり触って、おげーっとなるほど目が疲れた。ずっとレイアウトグリッドとテキストグリッドと、ガイドの線と……と見つめていると、いつの間にか瞬きを忘れているらしく、目ん玉が軽くひりひりする。画面を見る、ゲームやなんかだと、静的な本だとかを見るときに比べて瞬きの回数が減る、とか、あったはずなのだけど。ずっと昔保健の教科書か何かで読んだだけなので定かではない。瞼の仕事回数は、確かに減っていると思うが。帰りに餃子を食った。気になっている店が途上にあって、いつまでも行く機会がなかったので無理矢理行った。入り口にテレビの取材が来ました、とか貼ってある店は信用していない。貼ってあったが。なぜ半チャーハンを半チャンと略すのだろう。半チャーではダメなのだろうか。中華料理屋の間で共有される、コードが存在するのか。ニンニクがそこそこ強く、餡は美味かったが、皮が厚く、少し水分が多すぎる感じがしたので気になった。卓上調味料のにんにく辛味噌とかいうのがよかった。チャーハンの味だ、と思うチャーハンの味をしていた。チャーハンにもコードがあるのかしら。

腰に手を当てて哄笑

学校が休校になり、食材がしこたま余って大変な事になっているらしい。たとえば、牛乳とか。数値と単位を付き合わせただけで理解の範疇をたちまち超えるくらいには影響が出てしまっているらしく、色々な方法で対処しようと奔走しているようだ。で。通りがかったローソンの入り口に、色紙に手書きで「ホットミルク65円」と書いてあった。安いな。130円から半額になってその値段らしい。安いな。おそらく、想像だが、突然余剰になってしまった牛乳をどうにか捌けないか、一環としてローソンがこういうキャンペーンをやっている、とか。エロ漫画が大好きなので、ホットミルクと言われるとエロ漫画誌の方がプライマリーに浮かぶのだが、悲しいかな、現今のコンビニからエロ本売り場は消えてしまった。そっちじゃない方、温めた牛乳の方。なんちゃらかんちゃらとブランドをつけてコンビニがカフェ系製品を売っているが、どうにもカフェインを受け付けなくなってしまったから、元々全く用がないからコンビニには行かない。このホットミルク65円に、誘蛾灯にふらふらと引き寄せられる虫のように、足が向いた。日頃飲みつけている三種の神液、水お茶牛乳の一柱、しかも外食で牛乳を飲む事など、ない。ないと言っていいと思う。それゆえ余計に。65円だけ払うのも、それだけ買うのも大変恥ずかしくて申し訳なかったので、めちゃくちゃ店内を彷徨って迷った挙句、ツインシュー? みたいな、かわいいシュークリームを買った。100円ちょっと。コンビニのどうにも好かないところは、スーパーで買った方が安いところである。こればっかりはどうにも。レジでカップをもらって、コーヒーマシンの方に誘導された。同じ機械から出るんだ。イギリスのビュッフェ式ブレックファストだと、牛乳がなみなみと入ったグラスコップがでかでかと印刷されたサーバーが置いてあったりするのだが。しかも、ホットミルクのメニューに辿り着くまで分かりづらい。普段ホットミルクを狙い撃ちするような人も少ないだろうし。ふたつの管から、じゃばじゃばとミルクが出る。ドリンクサーバーのあのふたつの管って、どういう役割分担があるのだろう。そして、ミルクという単一の液体に対して、その機能はいらないのではないか。天面が、少しフォームっぽくなっている。コーヒーマシンの性(さが)か。牛乳に張る膜とはまた少し違う、微妙な感じがある。熱い牛乳だ。ホットだ。グッと飲んだ。うめえな。うめえよ。ホットミルクうめえよ。乳という感じがした。ちゃんと牛乳なのだろう。うめえよ。居酒屋で、ホットミルクも注文できればいいのに、と思った。冷め切る前に飲み干した。ぬるい牛乳は、何とも言えない飲みたくなさがある。あのホットミルクが件のような牛乳なのかは知らないが、牛乳はうまかった。

白目鯛

部屋が寒いと思ったら、台所の換気扇がつけっぱなしになっていた。外の冷たい空気が入ってくると、換気扇がちゃんと換気してくれているんだなという当たり前の事を感じる。今日は空気が冷たかったが、なぜ冷たかったかと言うに憎っくき雨が降っていたからである。最初は音もなく静かに、悄然と降り始めていたから、しばらく気がつかず、洗濯物の向こう3分の1くらいが犠牲になり、屋根のドリップスポット直下にあったズボンは帰らぬ人となったので洗濯機に出戻りとなった。滴るほどにびしゃびしゃならばもう一度洗濯するが、触って湿り気を感じる程度であれば看過する事が多い。そこまで神経質になっていては、家事なんてやっていられない。冷蔵庫から出したり、食料棚から引っ張り出してくる食品や調味料は、触る手こそ石鹸でごしごしするなりして清潔に近づけているわけだが、触られる方のマテリアル一派はと言えば、屋外から入って来た手でむんずとつかんでべたべた触って、各所数々の第三者接触を経た上でそこにあるわけで、つまりこちらが手を洗ったところでは不足が甚だしく、あちらも負けじと消毒液のプールに突っ込んでやるくらいの過程は必要になるのだ。これに気が付いて以降、台所に立つたび間断的に思い出して微妙な顔になる。腹を著しく下したとか、流行り病に頻繁に伏せるとか、そういうのはないので、本当に、ただの気分の問題なのだ。しかし、気分もまた無碍に切り捨てる事ができない部分でもあるわけで。難しいね。石搗きを切り落とす瞬間の、えのきの房が返してくる「わしっ」というか「もはっ」というか、あの感覚が好きなので、握るジェルおまんじゅう系のガチャガチャみたいな感じで出てくると嬉しい。板チョコを何度でもパキンとできるやつとか、枝豆を何回もぷりんと弾き出せるやつとか、紙箱の上の、べっ、べべべべべと開く、ぶっといチャックみたいなのを何回もできるやつとか。端的な経験が、繰り返し再現可能な形で凝縮されていて、持っていたら持っていたで持て余すので棚の雑多ゾーンに放り込んで埃を被らせる事だろうが、夢想する分にはいい。今日は、雨のせいで一日の出鼻を盛大に挫かれて鼻血が止まらなかったから、特に何にもしていない。昨日、アンパンマンの遺書を最後まで読んだ。やなせたかしの文章は、ゆるやかだが絶対的なつながりのある構成要素がふよふよしているようで、読む分にストレスを全く感じさせない。文章の性格を、各個完全にイメージで捉えているらしい。

温厚、冷薄、薄情、厚情

歯ブラシの予備があるか確認したら、一本あった。この前新しいものに替えたばかりなので、しばらく大丈夫だと思う。目覚ましをセットするのを、寝る直前に忘れている事に気が付いたが、ハンドクリームを塗ってさらに手袋をした手だと、絶望的にスマホのスクリーンが反応しづらい、そして布地の厚みで意図したタッチ箇所と実際のタッチ箇所がずれて憤死するため、放り出して体内時計を信じたところ、全く意味がなくアホみたいな挙動をした。誕生日にしこたま買ってきた惣菜が、今日の第一食目でようやくなくなった。あのクラッカーが、まだ4本くらい残っているので、どうにかなるならばどうにかしたいのだが、鳴らすような機会も時候柄大抵自粛されてしまっている。どれだけの期間塩漬けになっているか分からないが、さらに塩漬け期間が延長されそうである。何を思って買ってきたのだろう。次は、テープがいっぱい出て、紙吹雪もしこたま出る頭の悪いタイプを鳴らしたい。ヴィレヴァンにありそうな気がする。あるいは、ドンキホーテか。不要不急の集会も、人が密集するような場所への外出もちょっと気後れする今日においても、ドンキホーテは人でいっぱいだったよと伝え聞くので、実際の事態と個人レベルの必要は別、というか。ステンレスとは言え、わざわざ急須で淹れる茶は美味い。味はそんなに重要ではないから、とりあえずお腹いっぱいになりたいという思考の持ち主なので、味覚は上等な方ではないが、飲む液体が牛乳・水・お茶の三鼎ならば茶に対して感慨を抱いてもよかろう。人の嗜癖に云々言うものではないし。der Zweckが違うのだから、とりあうだけ無駄である。声に出されるとイヤでも聞こえるので、そこだけはぐっと耐え忍ぶ「鈍感さ」が必要ではあるが。熱い茶がうまい。熱くて、味がよく分からないから、脳がなんとなくうまいと判定を下しているのかもしれない。でもうまい。甘いタイプではなく、結構な苦さが主張してくるタイプの緑茶なので、飽きる事なく飲み続ける事ができるのもポイント。ただし、カフェインという概念をしこたま感じるので、あまり飲み過ぎるとお手洗いに行く足が止まらなくなる。私が利尿成分に弱いというのもあるけれど。すごく好きなのは、どこが好きなのだろう。匂いか、味か。全部か。茶漉にも限界はあるようで、コップに移すと大量の葉屑らしきものが濁りを巻いていて、これが厚みにして5ミリくらいある。そこまで含めて飲み干すと噎せ返りそうなので、ごめんちょと思いながら捨てている。

掴み損ねた袖、回収

今日は、すっごいいい事があったので最初に書いておきたいのですが。なんと。あの。私が初めてやったソシャゲにして、個人的DMMゲームタイトルのぶっちぎり単独峰、『キルドヤ』のシナリオを担当されていた方を、ついに発見しました。

https://twitter.com/nakamura_lucier

最高か? 私の「もう一回キルドヤのシナリオ読みたいけど読めないよ〜」的な悲しみのツイートにいいねがついていて、その張本人がまさにこの方でした。昼前に衝撃の邂逅を果たして、文字にならない奇声を上げました。いや、だってよ? あの『キルドヤ』の中の人ですよ? やっていない人には分からないし、もうやってもらえないし、なんなら今までやった事がある人には一回しか遭遇した事がないけれど、『キルドヤ』はセンスの塊だった。時事ネタを扱う手技に関しては、あのナイツに比しても全く劣るところがないだろう。とにかく、抜群にキレていた。かつてキルドヤをゴリ押しする日記を何本か書いた事があるくらいだから、当時の私は、精神的にめちゃくそ不安定だったが、数少ない娯楽として目一杯享受していた。万人受けは絶対しないだろうが、それを措いても、キャラ立ちにしてもシナリオにしても、中身の密度がきちんとして面白かった。てっきり、半年ですっぱりいかれたタイトルだから何人かのシナリオライターが担当しているのかと思っていたが、なんとこの人一人で全てを書いていたらしい。もう、すごいとしか言えない。多少完成度にばらつきはあったが、あのキルドヤ時空の完成度を一人で組み上げたとは、開いた口が塞がらない。いまだに完全に信じきれてはいないが、すごい以外の語彙力を根こそぎ奪われた。そして、偶然あの日あの時たまたまなぜか、キルドヤを始めてよかったなあと改めて思った。あそこを起点に、今に繋がるものが数多くある。シナリオが、本当に、めちゃくちゃな面白さだったんだよ、キルドヤは〜。DMMがパッケージ版にして、もう一度入手可能にしてくれればいいなと夢見てはいるが、なかなか難しいだろうな。私はパラシフとフラットが好きでした。パラシフのふたつめのR18シナリオが好きでした。何回も言った事があると思うが、何回でも言いたいくらいにキルドヤに入れあげていた時期があったので、今日という日を余すところなく祝福したい。また、この人が書いたシナリオ読んでみたいな。そうすれば、今度は、他の人に読んでもらおうと勧める事ができるから。

宇宙閉闢以来

真ん前の家に、一人暮らしかどうかは分からないが、とにかくおばちゃんが一人、少なくとも住んでいて、玄関門の周りを花鉢でいっぱいにしている。目立って綺麗な花がたくさん植わっているわけでもないし、ごくごくありふれた普通のプチ・ガーデンみたいなものだ。時々、ジョウロで水をかけているのを見かけるので、大切にしているのだろうなと思われる。それらの鉢の影に隠れて、ネスレのコーヒー瓶に水と水草を詰めた、アクアリウムとでも言うのか、あれは。ささやか中のささやかと言うべき、ほんの添え物みたいなそれが置いてある事に気が付いた。ハンズやロフトでそれ用の瓶を買ってきてのそれではなく、日常生活の中で出る再利用可能なかけら、その中に模造品かと思うほど目の覚める草色をした水草がふっと立っていて、あぁ、綺麗だなと思った。今日までさっぱり気が付かなかった。隣の鉢から溢れる植物に半ば隠れるように立っていて、しかもそのプレゼンス自体が大したものではない。けれど、なんだか素敵だなと思わせる色気があった。前に発見して気に入った調味料、生姜とネギのよく分からんやつ、あれの名前を覚えた。ジャンツァオジャン。漢字は忘れた。中国語もピンインも明るくないので、カタカナに記憶を残す事が精一杯だった。一瓶、買い置きしてあったのだが、これを口で言うだけなのももったいないと思い、人にあげて感想を聞いてみる事にした。来週聴取する予定なので、好意的なものだと嬉しい。料理はパッと言える、ただふたつの趣味のうちのひとつなので……。もうひとつは読書だと言う事にしているが、別にそこまで本を読むわけでもないし、世に言う読書が孕むあれそれがどうも肌に合わないので、読書という単語を使いたくない。気になった本を拾い読みしている、程度のものである。いつも使っている図書館から、各種文庫が並んでいる壁沿いのエリアが撤去されたら、私は本を読まなくなるかもしれない。いい加減な出会いの場がオープンに提供されている事の重要性は、少なくともあそこには存在する。一生かかってもあのエリアの本を読み切れないだろう。どう頑張っても面白く思えない本が、すでにたくさん見つかっているので。一年のうちで、毎月MVPの本を選出するとしたら、昨日から言っているやなせたかしの自伝が今月のそれになるのはほぼ確実である。全くこわばりがない、柔らかくてゆとりのある文章なのに、どこかを剪定しようと思っても除く事ができるパーツが耳垢くらいしかない。なぜか、抜き差しならない密なバランスも裏側にある。本当に、めちゃくちゃ面白い。サンリオの元々の社名が山梨シルクセンターで、そこから山梨を音読みしてサンリオになったのは知らなかった。そんなんでいいのか。

月の裏側の私人

朝、起きてから1、2時間くらいが、花粉症症状のピークらしい。朝の一通りのルーチンワークを済ませるまで、ちょっとティッシュのところに戻ってずび、またティッシュのところに寄ってずび、ゴミ箱の天面が一瞬にしてティッシュ色になる。年頃のティーンがいる部屋のゴミ箱みたいになる。白とか紙色とか言わずティッシュ色と評したのは、ティッシュが集積すると、ケント紙に似た、ほんのりした黄色っぽさと、どこか青白さが感じられるからである。美術部に6年間在籍しながら、結局ハナクソほども絵が描けるようになれなかったが、ティッシュをアクリル絵の具で描け、描けるまで帰らせないと言われたら、そのままその場所が死に場所となるだろう。石の描き方がさっぱり分からないのを見かねた顧問の先生が、突然青やらオレンジやらを置き始めて、そのあまりの意味の分からなさに頭が5000%停止して泣きそうになった事がある。未だに、なぜそうすればそうなるのか、全く、まっっっっっったく分かっていない。なんで? 何の機会に買ったのかさっぱり覚えていないけれど、台所の棚に保管したままになっていたので、いい機会だからとクラッカーをかました。せめて、絢爛とは言わずとも、賑やかし程度のテープが瞬いてくれれば、気が紛れるかと思って。ぱーん。小気味のよい音がなった。大気味のよい、なんて言うのだろうか。何も出てこなかった。

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音だけが出るタイプの、片付けカンタンなクラッカーだった。あ、そういえばそうだったなと思った。誕生日を祝おうと思って、空砲が火薬の匂いを漂わせた。うーん。このやるせない肩透かし感をどこにぶつければ。高くてめちゃくちゃ美味しいけど量が憚られるものよりも、値段そこそこで美味しいものをお腹いっぱい数回食べる方が幸せである。味覚に対してステータスを感じないし意義も大して見出せない。ハイソに対してバリューが湧かない。ので、いい飯を食うよりも、生き物として充足しようと思って、またキッチンDIVEに行った。総武線を盛大に乗り過ごし、終点津田沼まで行ってしまった。井上ひさしの本、後半は寄稿原稿などで、文章もすごいなと思ったけれど、やなせたかしアンパンマンの遺書』、こちらに引き込まれて、ぐいぐい読んでいるうちに、気付かず目的地を通り過ぎていた。絵本作家だから、というのではないが、やなせたかしに対して、文章面での期待は一切していなかった。ただ、タイトルが面白かったから借りてきただけで。恥ずかしくなるほど文章が上手かった。恐ろしいほどに読みやすく、恐ろしいほどに読ませる力がある。透明で、さらさらと流れている。まだ半分も読み終わっていないが、アンパンマンの後ろには、こんなバックグラウンドがあるのかと、予想も、考えようともしなかった柳瀬嵩という人間が見える。文章を読んでいて楽しいと思ったのは久しぶりかもしれない。

教条の突き立て

洗濯物を干した。夜に夕立、じゃないや、通り雨でもあったのか、屋根の一角から執拗にぽたぽたと滴が垂れていて、物干し竿の一部エリアがとても使用できたものではない、ウォーターハザード地帯となっていた。家に帰ったら、夜闇に浮かび上がる、てかてかした赤い棒を発見してぎょっとした。警察が乗り回している、いまいち威厳を感じないチャリンコが、2台、私邸の前に停まっていた。すわ、逮捕されるのかと思った。家宅捜索、聴取、エトセトラエトセトラ……。思い当たる事がないと言えばないし、あると言えばある小市民の日常に、ふと湧いたアンリアルは妙に質感があった。そっと玄関を窺うと、玄関の電灯がついているでもなし、居間から電気が漏れているでもない。幸か不幸か、窓の位置ゆえに、前を走る路地から居間がほぼほぼ丸見えなので、確認は簡単だった。俺じゃないのか。向かいのアパートの塀にもポリスチャリンコが立てかけられていたから、そっちか、あるいはこの近隣のどこかに用向きがあったのだろう。安心した。ちょっと前、詐欺だか何かで捕まったやつがいるとか聞いたので、ここら辺にはそういうケがあるのかもしれない。自分じゃなくてよかった。相変わらず目が常に、やや痒い。掻いても掻かなくてもよいが、掻くと気持ち良さがある絶妙な痒み。ついでに、しばらくとめどがない鼻水をティッシュに追い出している最中に、これは鼻にもキているのだなと実感できた。実感したくなかったが、次から次へと、100のカートリッジに対して5ずつ、ゆっくり装填されている感覚がある。マスクやらトイレットペーパーやらは売り切れたり売り切れていなかったりするらしいが、次なるターゲットがティッシュペーパーになった場合、無事花粉シーズンを乗り切れる自信が全くないので、そこまでの衆愚には至らないものと願っているが、全体のうねりに弱い島国だからどうだろう。かみたい時に鼻をかめないというのは、想像以上のストレスだと思うのだけど。音声のディクテーションをしようとして、15分くらいやったところで脳味噌がぶち切れそうになって放り投げた。音声の巻き戻し機能が対応した別添えデバイスか、めちゃくちゃ高性能な音声入力ソフトか、でもなければ、ナメクジの歩みと、口語をそのままトレースしていいものかどうかという内在律の軋みに耐えられない。帰りにゴーゴーカレーに寄り道したら、5がつく日なのでトッピング券をもらった。普段行かないのに、偶然こういう日に行ってしまうと、微妙な気分になる。

横行する縦断

この前の、土曜日だったか、に、図書館で手頃な文庫を2冊借りてきた。読むかどうかが全く自信を持てなくなってきたが、読むのをやめると完全なゼロになりそうで、それが考えるだけで空恐ろしいので、1未満の小数点に成り下がってもすがりつきたいという気持ちがある。井上ひさし『この人から受け継ぐもの』、やなせたかしアンパンマンの遺書』。後者はまだ読んでいないが、ぱらぱらと眺めたところ、やなせたかしの自伝的なものっぽい。タイトルが、アンパンマンが遺書なんか書くんけ!? とびっくりするものだったから手に取った。タイトルのつけ方が、上手いと言える。誰の発案なのか知らないけれど。で、井上ひさしの方。中学の、クセとアクに溢れた国語の先生が、一年ほど担任でもあったが、演劇をやっている風変わり、あちらから見れば私も相当にへんちくりんなガキだったに間違いないのけれど、なお人で、授業中に扱ったもののひとつが井上ひさしのテキストだった。それ以外にも、現代文芸の本でも井上ひさしについて書かれたものをいつかどこかで読んだはずだが、あの先生のインプレッションの方で強烈に頭に残っていた。時たま思い出す。背表紙の名前を見て思い出して、まだ戯曲もさっぱり読んだ事はないが、そういえばこの人はどんな文章を書くのか知らないな、と思って借りた。目次をざっと見ただけで決めたのだが、一章をほんの少し読み進めるだけで、漠然と抱いていた井上ひさし像が粉微塵になってどこかへ行ってしまった。外国語が少なからずできる人だという事は知っていたけれど、それにしてもそれをおいても、めちゃくちゃな勉強家であり読書家だった。内容は講演録の文字起こしに多少の手を加えたもので、必ずしも井上ひさしの文章そのものというわけではないが、扱う題材が前から吉野作造宮沢賢治丸山眞男と続くので面食らう。愉快で軽いものを書くような人とばかり思い込んでいたので、歴史も論文もハードに踏まえて話をするスタンスに、私はそちらがさっぱりだから、太い流れを持つ人には、やはりダムがあるのだなと何回目になるのか分からないが思い直した。自分の立ち位置を持ちながらあれをこれをと引いてくるその様に、言いようのない厚みを感じた。トマト缶を買ったので、久しぶりに鶏肉のトマト煮込みを作った。トマト缶の原材料って、そういえばなんなんだろうと思ってラベルを見ると、「トマト、トマトジュース」と書いてあって、いや、だから、そのトマトジュースの成分が知りてえんだよ、と消化不良の感が否めない。