他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

波間のちらつき

人にもらったリアルゴールドの小瓶を数呷りで飲み干すと、舌にビリビリくる感覚があって、ラベルに書いてあるアルギニンがこれの正体なのではないかとエナジードリンク的な飲料を飲むといつも思う。でもレッドブルもモンエナも飲んだ事がないので、ゆるめで薄めのそれらしいものしか知らないから、もしかするともっと他に身体にエナジーを訴えかけてくるような物質があるのやもしれぬ。飲み干した直後に少し眠ってしまったから、あれくらいではまだまだ甘い、という事なのだろう。昼飯に入った中華料理屋がすごかった。昨日も中華料理屋で弁当買って帰ったし、中華好きだな? 鶏肉の辛子炒め、みたいなやつを頼んだ。昨日の弁当にも死ぬほど鶏肉入ってたし、なんならさっき晩飯で鶏モモ肉精肉一枚食べたな? さては鶏肉大好きだな? ほんのり唐辛子でスパイシーに仕上がった鶏肉の炒め物、程度を想像していたら、ポップコーン粒くらいの揚げた鶏肉が思わず笑ってしまうほどの唐辛子の山に埋もれている罰ゲームみたいな見た目の皿が来て笑ってしまった。そうか〜、そうくるか〜、と。他の同行者もビシッと効いた唐辛子や山椒の量に圧倒され、いくら今日が並みに外れて少しく暑かったとは言え、ハンカチで拭わなければならないほど発汗していたところを見ると、公道脇にあるヘンテコな立地でナメてかかったが、値段や質はそれほどお高くないにしても本物を出してきているのだなと分かった。店員がバリバリ中国人だったしね、そりゃあそうね。唐辛子を現物ママでそのまま食べてみても、食事が一時中断されるほどきついものではなかったので、あれも大陸系の唐辛子なんじゃないかしら。鶏肉を食べ終わっても手づかみ3回分くらいの唐辛子がわらわらと皿に残っており、消費のふんだんさにオーセンティックを感じましたね。そこまで辛さでギリギリまで追い詰めておいて、壁にタピオカミルクティーのメニュー表がかかってるところなんか、商売上手過ぎて額を掌底で打ちましたね。あ、今飲みてえなって思ったしね。頼むと高くついちゃうんだけど、でもこの胸の中に巣食う感情を洗い流せるのは、確かにこれだけだと。あっちの“ワールド”に引き込まれちゃった感ありました。次は別のメニューを頼んでみようかな。薬局に寄ったら、今まで人生ずっと「そんなもんあるわけないやろ〜」と存在を疑ぐり倒していた綿手袋がレジ近くにかけてあって、「えっ!? 本当に実在するの??? え〜〜〜嬉し〜〜〜」ってなってつい買って来ました。左手人差し指のツンドラ地帯みたいなぐずぐずの手荒れが一切治る素振りを見せないので。今日から寝る時には綿手袋着けて寝るから。手荒れなんかちょちょいのちょいですよ。治ってくれ〜。

寒暖差ってどう数直線に取るんだ?

思うに、食べるという行為が存在しない人に「好きな食べ物は何ですか?」と聞く事は無意味である。インフローもなければアウトフローもなく、0をかけるとかかけないとかそれ以前に算術を試みる事が訳わかめなのだ。最近、食べ物に対しての気持ちが全くのゼロ、好きでもその裏返しの嫌いでもそれらの中間にだらしなく広がるスペクトルのどこでもなく、ただひたすらにないというあるがある事を確認する他ないのに、どの食べ物が好き? ねえねえどの食べ物が好き? に答えなければならない状況にあり、どうすればいいのだと途方に暮れなずむ夕空、ゴンドラを引きずりながら己の内面に永遠に反射するゼロを見つめている。少しだけ遅れて起きて、もう筋肉痛も治ったようでほぼ不自由なく身体を起こせ、なんか頭が重いからもう少しだけ楽にしとくかぁと思ったらものすごいギリギリまで二度寝していてエキサイティンだった。もうダメだね、体調が持ち直そうがぐずぐずのままだろうが、割れた生卵を綺麗な形の茹で卵に仕上げるのは難しいね。ゆでたまごって書くとゆで卵っぽいけど、茹で卵って書くと溶いた卵を熱湯に流し入れて繊維状にしゃばしゃば固まった卵スープの具みたいなフォルムを連想するな。茹の漢字が可愛くないからだろうな。今日は何したんだっけ。30分かそれ以上の間、この世の終わりみたいな知能指数でものすごい知能の低い会話をした。あれほどカスみたいな下ネタ話をしたのはいつぶりだろうか。一日一発しか出せないのはまあ割とよくある話であるとか、一日に三発出せるとあらヤダすごいってなる話とか、今思い起こしてもvulgar極まりない話ばっかしてたな。俺の知能も、永らく久しくどこかに風船みたくぷわぷわ飛んでって帰ってこなくなってから久しいな。どうせ飛んでどっか行くなら、俺の身体を縛り付けて連れてってもらえばよかったね。大海に落っこちて溺死する蛙くらいにはなれたかもしれないし、どっかの城の外壁に備え付けられた侵入防止とんがり棒(あれ何て名前なんだろうね?)にぶっ刺さって観光名所くらいにはなったかもしれない。肉体が腐乱して鳥に食い尽くされるまでそこに放置されているのもどうかと思うけれど。昼に食った中華弁当が、茶碗一杯半くらいのご飯に、大量の麻婆豆腐と大量の竜田揚げチキンが半々で乗った低知能弁当で、麻婆豆腐もチキンも美味しいし量は多いし、高級じゃない手頃な充足感を得られて、生ってこういう事よねと思った。

無邪気な邪眼

上半身がバキバキに筋肉痛のまままだ治らないので、朝目が覚めて咄嗟に身動ぎしようとすると首元にニュータイプの白雷がきらめき動作を全てキャンセルし表情を失って四肢がデフォルトの位置に投げ出されるのだが、どうにか頑張って起き上がろうと腰と背筋腹筋のみを支えにしてみたところ、なぜ上体を起こすのに首がこんなに痛くなければいけないのか不思議で堪らなかったのだが、どうやら身体を起こし上げる最中、後ろにもたれ下がる首を首回りの筋肉が張り切って上体の正中線に乗るように引っ張っているため、首筋(くびきん、正式名称が分からない)が痛みを訴えるのであるようだった。身体で解剖学を理解し、実践しているような気がしたしそうでもないかもしれない。首周りに極度な強張りがあると、猫背が強制的に矯正され多少姿勢がよろしくなる事も分かった。猫背は首を前に投げ出す姿勢だから、それはそうだと腑に落ちる。このまま上半身の上半分筋肉痛状態が続けばいいかもしれないけれど、咄嗟に左右を向けないという手痛い弱点が生まれているため、そして爽やかな朝の目覚めが起き抜け寝ぼけ眼の不覚行動によりなかった事にされるため、ゆるやかに治ってほしいなと思うが、もしかして湿布を貼ればもう少し早い治りになるのでは? まともに湿布を試した事がないから分からないな。どの家にも湿布って備え付けてありそうな気がする。今度買っとくか。キレイキレイのボトルに詰め替え用ポーションを入れなきゃいけないし、牛乳石鹸もはるかにちびてしょっぱい小判くらいのサイズまでダイエットしてしまった。カミソリも刃がダメダメのゆるゆるになって剃り残しが多い。早急に薬局に行かなければならない気がしてきた。元気があったら行こう。元気。体調がいい日がほしいな。七夕とかにお願いしておけばよかったかもしれん。しかし、それはそれで、織姫と彦星がツーマンセルで俺の家の玄関に「これは天の川から直接採水したとても貴重なお水です。これを飲めば万事息災、身体の悩みを全て吹き飛ばすウルトラハイパー超すごい商品、今なら2Lペットボトル16本入りセットが25%OFF、おりひこ定期購入便に加入された方にはさらに最初の3ヶ月15%OFFキャンペーンをやっております!!!」みたいな営業を仕掛けてきていたかもしれないので、短冊の存在を忘れていてよかったかもしれない。天の川牧場から産地直送、新鮮ミルク厳選セット……。地方の特産品を売り出すコピー考えるの、疲れるだろうな。

悪魔に魂を売り渡したい人が集う市場

朝起きて、起き出そうとして半身を起こそうとするも首の両脇に感じる筋肉の強張りに全てを縫い付けられて上半身が木偶の坊になった感じ、ライブに行った翌日って感じがしますよね。今回は首がミリも左右に振れない、なんて事はなかったんで、そろそろ身体を労った参加の仕方を覚えてきたのかもしんないですしごく普通のたまたまそうなっただけかもしれんですね。明日起きたら、半歩見えていただけの筋肉痛がその全身像をぬっと現して「あっ、もう無理お疲れ様でした〜〜〜」となるかもしれない。自分の身体なのに自分で分からない、こういう事態に見舞われると(そんな事態からの見舞いは辞退したいところだが)フィジカルトレーナーってすげえなと思う。身の回りにフィジカルトレーナーがいないので純然たる妄想になるが、ある程度まではコントロール下にあるだろう。身体が資本ではあるが、いや、身体が資本なのであれば、それを損なく益求めて運用できるってすごい事なのでは……? 株とかSFXとか、絶対に手を出さないようにしよう。あれは信条の一つであるノリと勢いを適用すると一瞬で素寒貧になりそうだから。あまり乾布摩擦というキャラでもないし。乾布摩擦がめちゃくちゃに似合う人物、と言われてもさっぱり思い浮かばないが。クレヨンしんちゃんの熊本のじいちゃんくらいか? そもそも乾布摩擦自体が死んだ概念かもしれない。乾布摩擦が冬の恒例となっている小学校があるとかないとか聞いたような聞いてないようなだが、ナウなヤングたちはタオルで身体をゴシゴシしてポカポカするアクションコマンドを持ち合わせてないかもしれないね。俺も記憶の限りでは乾布摩擦した事ないけどね。あんなんしたら肌が荒れて大変よ。起き出しの話からお母さん探して三千里くらい離れてしまったけど、上半身がバキバキ以外に、ノリのちょ〜どいいところでジャンプしてはしゃいでいたせいか知らんけど、左膝がもうめちゃくちゃに痛かったんよね。今日はあまり曲げない方がいい日だなと電撃走る白ベタフラッシュが脳裏にフラッシュバックするくらいにビキッと来たので。左膝の屈伸率をできるだけ低くしようと頑張りマンしながら、しかし上半身もままならないので横転しそうになりながら布団の上でジタバタ奮闘する姿、やっぱ身体は資本よね。駅の階段って、膝がひとつ痛いだけでこんなにも絶望的な断崖(断崖を逆によじ登る事はまずない)になるんだなと思った。グルコサミン足りてないね!?

ポテチをチョキでへし折る

寝不足っちゅーか寝付けなさがなくなったと思ったら、今度は眠りすぎ起きられなさ地の底から這い寄るデーモンハンドに意識を混濁させられる状態にまで堕ち込み、私の身体は本当にド・阿呆なのではないかとの感が、IH調理器に飛び散ったままどうしても根絶できない、払拭を拒む油汚れがごとくねばついている。元から大したスマートボディではないし、体調優良の日が一年のうちに数えるほどしか(数えようにも最後がいつだったか分からないので数えられない)存在しないクソヘルスだし、これくらいは甘んじておくすりのめたねで見なかったふり知らないふり、喉元を通過させて何もかも忘れるくらいがちょうどいいのかもしれない。毎朝なかったらね〜。そういう真似もできるんだけどね〜。もうちょっとコンスタントなコンディションを体調には期待したいね。確かに、行き当たりばったりその場限りのアドリブで場を凌ぐのは好きだけれど、それはある程度のセーフティロープが保証されているからそこまでマジにならなくてもよいのであって、ベースラインもないまま幾尋もある未知のエーテル大海をクラゲごっこしろというのは、少しと言わずしんどい。アレかね、一回くらい真剣に病院にかかって足首ひっつかんでひっくり返してもらってもいいかもしらんね。味にブレのない老舗を目指してるんでね。安定して70点台は狙えるように生きていきたいです。おはようございますのワンマンライブがあったので、人生で初めて高円寺に行った。思ったより駅の周辺が都会っぽくなくイモくて、いつだかに行った事のある神戸駅周辺とあまり変わらない感じがした。商店街とかストリートとかに個人経営の店が根強く残っていたからかな。全体的に彩度抑えめ、埃フィルターって感じで、私的にはとても好みの地味さ。北口を出て、その道なりに垂直に走る通りに出るところに可愛い雑貨屋? 的な店があって、なるほど、デートで行く店にはこういうところがいいんだろうなと直感とセンスが語りかけてきた。デートした事ないけど、多分そうだ。「かわい〜」と素で口にしてしまうようなラッピングペーパーが一巻き108円とかで売られていて、非常に良心的なところも胸キュンポイントだったね。あの辺り、異常にカラオケ屋というか、歌える場所が多かった。満州ぎょうざを人生で初めて見た。3割美味いって何? 入場開始までの暇潰しにサイゼリヤに入って、ティラミスクラシコを食べたら美味すぎて目が飛び出て机に落ちた。すげえ美味いね、あのティラミス。

光学徒

台風がホップステップジャンプで近づいているとかいないとか聞くし、明日の空模様でも空にお尋ねしてみようかしらチラリと網戸を引くと、音を立てないサイレント降雨がいつしか始まっていて、屋根の庇護から外れていた洗濯物たちの半身が汚い夜露にそぼ濡れていた。洗濯物をうっかり雨に濡らしてしまった時、どこまでの濡れ具合を容認すればいいのか、心の広さを正面に立ってまじまじと覗き込まれているような気がする。これは包容力の、愛の試練である。どこまで汚れた君なら抱きしめられるのか、その限界を問われている。と思って洗濯物を取り込むと、時と場合に関係なくシリアスな気分になれる。なったところで得るものは何もないが、普段考えない事に思いをやる事によって、自分を見つめ直す機会になったりならなかったりするだろう。しかし、衣服にそんな感情を大真面目に抱いてあまつさえ俺は君を受け入れる、愛してるよ……とハンガーにかかったままのもぬけの殻をかばいすくめているところを想像すると、なかなかにぞっとしないので、心の中で一人きり、こっそり巫山戯てやるくらいがちょうどいい。突っ走ったフェティシズムみたいになってしまうからな。昨日の夜と今日の朝と、使った覚えのないVISA引き落とし連絡メールが来たけど、ほぼ間違いなく口座引き落としに設定している何かしらの何かの料金が差っ引かれたのだと思うが、一ヶ月のうちにこの日にこれこれあの日にあれそれが落ちますよ〜残高気をつけてね〜とリマインドする用のメモを作るほどできた頭をしていないので、毎月欠かさず、気が向いた時に記帳しに行っては「この1268円って何だ……?」「3000円くらい落ちてるけど、こんな金額払った覚えがないな……?」と思っている。カードの明細を見に行くのも、もうちょっとページを便利にしてくれりゃいいのに、愛想が乾いたティッシュくらいしかないお塩スタンスだから開く気になれない。ログイン情報を完全に忘れたというのもあるが。もう少し、何て言うか、細かいところに気を遣った丁寧な暮らしを心がけないといつか足元で木綿半丁を踏んで身体が中空で一回転し、絹ごしの角で頭をぶつけてゆるやかに死にそうな気がする。死因:豆腐。鶏モモの精肉を一枚引きずり出して、一口大に切ってから適当に炒め、醤油をかけて焦がしてからマヨネーズをもりもり絞り、全体に溶かしながらまぶしつつ馴染ませて、花椒辣油をぶっかけてまぜまぜした頭の悪い晩御飯のおかずが美味しかった。居酒屋でいい感じのところ狙えそうな味してたね。

チャックの閉まらない着ぐるみ

ゴミ箱を開けると濃密な生ゴミの匂いが蚊柱のように屹立したが、蛆が湧き出した後のゴミ箱の方がそういえば臭くない。匂いがてっぺん目がけて駆け上がるまさにその道中で蛆の発生が始まっているのだろう。あったかかったり寒かったりどちらでもなくなんとなくぬるま湯みたいな温度だったり、身体が阿呆になるほどではないが日和そうなくらいには再び気候の情緒不安定が顕現し出した気がする。また台風が生まれたり遠ざかったりしよるしな。気候として軸がぶれてるね。筋肉少女帯に歌ってもらいなさい。いや、それで居直られても困るのか。暴風雨吹き荒れて屋外がしっちゃかめっちゃかになれば、震えてるのも分からんもんな。上手くやるわあ、ほんま。明日洗濯物が捌けなかったらちょっとばかし困るんやけど、頼むよお天道さん。家の近くの定食屋が店先に出しているメニュー表を見ると、ポークジンジャーという謎の料理があった。ポーク。ジンジャー。考えるまでもなく豚の生姜焼きだった。豚の→ポーク、生姜焼き→ジンジャーだった。ポークが属格じゃない、生姜焼きの「焼き」が一切反映されていない等がぞろぞろ気になりはするが、お洒落に言おうとするとなんでもそれっぽくなるもんだなと思った。ポークジンジャーよ。それだけでジンジャーエールと同じ土俵に立った感があるぜ。それに比べると、豚の生姜焼きは、380円定食で食べられそうよね。件の定食屋はやたら高いのでほぼ全てのメニューがいち英世を越えるため、両者の間に圧倒的隔絶を感じるね。俺はバカだから雰囲気に流されて、ポークジンジャーがかっこよく見えちゃうね。でも、ちょっと待てよと。雰囲気が先行して、豚なのか生姜なのか豚と生姜なのか、もしかしたら生の豚肉ブロックに生姜がぶすぶす突き刺さった料理かもしれない格支配ガバガバ料理よりも、必要最低限まで削ぎ落として朴訥に背中で語る豚の生姜焼きの方が、もしかして性根もイケメンなんじゃないかと。ふたつをプロデュースされた時に、後々まで伸びるのは結局豚の生姜焼きなんじゃないかなと。俺はそう思うので豚の生姜焼きに一票入れるね。いつの日か、泥臭く鍛え上げた誠実な一撃で、ポークジンジャーをリングに沈めて欲しいね。その日が来るまで、俺は胸にこの想いを秘めてじっと応援してるよ。特に応援コメントはないのだが、それよりも、開けてしまった鯖パックとバルク買いの鶏モモ肉が終わりの匂いを醸し出す前にどうにかしなければならない。急務。

joint revision

よく寝られるっていうのはいい事だよね。ガラケー充電スタンドに突き刺しても、なかなか充電中ランプが点かずにイライラする事がたまにあるし、為した行為に対して何かしらのフィードバックがあるっていうのは、それだけでもうプライスレスよね。お金を借りたら利子がついてくるし、首括ったら死ぬしね。これはプライスレスというより、ファクトかもしれないね。例が後ろ向きに過ぎたけれど、世界と自然法則にスカンされていないような気分がして、ちょっとは精神衛生上よろしいかなと思う。マザーテレサが言ってたのは、本当に悲しい事は誰からも愛されない事だ、だったっけね。あの箴言、そういえば原語で読んだ事がないから、実際はどういうイディオムで表現で語彙レベルで文脈で、っていうのを知らないんだよね。巷間広く知られている名言も、実は元の表現から一人歩きしてたり、そもそもその人が言ってなかったりするしね? カエサルのet te, Brute? なんて、そもそも言わなかった可能性がある事に思い当たりもしなかったし。愛されてはいなくても、殴れば殴り返してくるくらいの反応がある方が、まだ生きてるし受動態で生きられているんだなあと思える。HPゲージの減りを老衰と衰弱に任せるだけだと、時計の針の足音さえ忘れてしまう。だから、舌打ちなんかでも、聞こえるだけで消極的に自覚できるものかもしれんね。もっと前向きな例を出したいけど、頭の中から例示されてこないのでね。頭の中の素材ストックに、そういう方面のもんが乏しいんだろうね。俺もね〜、なりたいよね〜、豊かに。溢れるほどの愛情を感じさせたかったよね。アフェクションキュアな人間に可能性感じたかったよ。実際は、おてもとに入っててたまに手に刺さるからあまり好かれてない爪楊枝くらいのポジションだからね。もっと愛され系人間の標本欲しいけど、愛され系人間の周りには愛する系人間がたむろして垣根ができてるから、源氏物語よろしく奥ゆかしく隙間から出歯亀覗きするしかないのよね。ストーカーは腐る程耳にするけど、ストーカーのストーカーはさっぱり聞き及ばないから、まあそういう事なんでしょう。消費税のポイント還元とか、頭沸いてる意味分かんない事しなくていいから、満遍なく人のあったかさってやつを再分配して欲しいよね。冷や飯ばっかり食ってる俺みたいな人間の舌を、問答無用で火傷させてほしいね。味が濃くなるほど、味なんて分かんなくなるからね、それくらいのthicknessで包み込んでくれよな。

一枚上手で刺し違える

久しぶりにまともな睡眠をとる事ができたので言う事はないです。恍惚絶頂の舞。あまりに快眠しすぎてド深夜に一度お手洗いに起き出したものの、布団に戻ってすぐ再眠が叶い、溢れる嬉しさに涙を拭う暇もないまま目を覚ましたら大幅に寝坊していてものすごい気分にはなりましたが、気分と体調を天秤にかけた時、ハードとソフトの違いを問われているわけなので、体調がいい方が望ましいよねというわけで不都合な事は全て飲み込んで聞かなかった事にしました。びっくりしていろいろあたふたわちゃわちゃしてしまって、午後2時まで何も口にしない羽目になったのはよろしくなかったけれど、身体が戻って来たような気がするのは僥倖である。頭蓋眼窩裏に張り付いていた白く痺れるような感覚も薄まったし、人生の苦渋カルピス、少しは希釈できたかなと思わないでもない。人生の苦渋カルピスって何だ……? 「お前ん家のカルピス、薄くない?」のノリで人に言える単語では絶対にない。そもそも、どうやって薄めればいいんだ? あるいは、元々が薄くて、艱難辛苦に炙られる事によって水分が飛び、いつしかどろどろの濃厚になっている、みたいな。そういう感じかもしれない。人生初期の、薄弱として銀色のベールみたいにかかった雰囲気は、確かに濃度低めのカルピスと言ってみればそんな感じがしないでもない。そうかあ、人生はカルピスかあ。この間カルピスは100周年迎えたばっかりだしなあ。人生も100年時代と言われているし、人間とカルピスは手を取り合って仲良しこよしで歩んでいるのかもしれませんね。昼飯を適切な時間に取り損ねたので、手頃な距離にある、まあ歩いて行くので足頃と言うべきかもしれないがそんな言葉はないので、ほどほどの値段でほどほどの味を誇る弁当屋に行って、完全に旬のおいしい時間を逃していたから、よく分からん弁当二つとよく分からん丼物大量だけが残されていて、手前にあった弁当を買って帰った。よく見ずにフィーリングで買ったが、豚バラの薄切りを片栗粉的なパウダーで塗り固めて、中華系の甘酸っぱい、なんか、こう、酢豚とかにまぶされているあんな感じのタレでギラギラにしたおかずが大量に入っていて、味が濃い上に意外とボリュームもあったので途中から悟りの片鱗を窺い始めた。食べる事は戦いだからね。戦いの向こうには死があって。美を感ずるものは死に近づいている、なぜなら美とは死相だからである、という文章を読んで、なるほどねと思った。おざなりな形容詞に、ここまでの地層はない。

adelon

逆にもう寝られんでいいや! この話終わり〜! サバサバ系女子目指して後ろ向きな話断ち切ってこ! 目黒のさんまで偉い人に出される秋刀魚も脂抜かれてけっちょんけっちょんやったけんね! 今の時代にむつこいもんは求められとらんみたいやけんね! 終わり! 寝れね〜〜〜! 以上! なのでもうどうにもならない事には拘泥しない事にしました。泥みたいな夜だけども、自分が泥人形になったと思えば、肉付け作業だと思って横たわってれば楽しいんじゃない? 楽しい〜〜〜! 泥団子を作るのにめちゃくちゃハマったぴゅあぴゅあ小児だった頃の事をほんのり思い出しますね。アスファルトにぶっつけても破砕しない泥団子を作ろうと頑張ってたから健気よね。とは言っても、せっかく作ったものをぶっ壊すのが忍びなくて日陰物陰にちまちま並べて結局壊さなかったのだけど。ゲームのセーブデータとか消せない性格してるからね。かけた時間の結晶をぺろっと消すなんて、少なくとも私は無理だよね。ポケモンのデータを何回もしばいて遊んでいる同級生の気持ちが一ミリも理解できんかったね。今もできんけどね。みんな思い入れとかないのかな。データだってのは分かるんだけど。そうじゃなくて、こう、情で動いてるからね。理学部の情報系は理情と呼ばれる事もあるらしいにしても、理と情は別のものだから。俺はどっちかと言わなくても情で動くので、算盤叩くのがめんどくさいんよね。情動ですよ情動。道理とは言うけど動理とは言わないから。にんげんにんげん。にんげんは人間に弱いけど。じゃんけんで言うなら、ぐー一個に対してちょき1000個みたいな。物量は強いよ。お腹いっぱいになるまで食わせて、そこからさらにリミットブレイクして食わせたら人を殺せるもんな。あった方がいい量の量で世界は溢れている。世界がな、昔信じられていた通り円盤型だったらな、いらん余剰がどこかにナイアガラしていたのに、変に丸だからな。球だからな。逃げ場がないんだ。そりゃあ、後ろから追ってくる不安感が目の前にも現れてくるよ。あー無理無理、飯食ってクソして寝よ、に酒も介入しないし最後の寝よも叶わないあたり、糞詰まりって感じがして食えたもんじゃない。何? 俺の身体の中で、眠気が便秘になってるの? 何かでつっかえてるから、眠気がぶりぶり降りてこないの? 仕方ねえな〜。後ろでつかえてる何かのために、身体張って虎穴から這い出しちゃいますか〜。固辞? 出てこいや。

オストマ

もうここまでダメだと「もうダメだ〜うふふ」と笑うしかないね。体調の下り坂感がおむすびころころの終着点がないバージョンみたいに思えてくるね。起きた瞬間からバキバキに頭痛くておよそ働かなかった。世界の都合の狭間に生かされている感があった。埃にも寛容でありがたいね。呼吸に撥ねられるだけで天を地への大騒ぎになる卑小体が見えんだけかもしれんね。宙空の埃が俺を見ろ俺を見ろって自己主張してくる事もないから、よく考えなくても当然かもしれないけども。枕を頭の下に押し込んでみたり抱きしめてみたり股に挟んで抱き寄せてみたり、布団を被ってやっぱ暑いからお前はいらんとツンデレしてみたり、生きる事と正反対に邁進しようと生きているだけで外が白んでいた記憶がある。そりゃあね。綺麗な海に油田垂れ流しするみたいな時間の使い方ぶち上げてたらね。頭の一つや二つ痛くなりますよ。頭は一つしかないけど。ゲリュオーンかよ。逆に、なぜこうなったのかを考えてみると、考えてみるまでもなく、そういえば半年に一回くらい、こんな発作というのか持病というのか、生き物として水飴程度に落ちぶれるサイクルがあった気がする。春くらいにもやった気がするな。じゃあこれはそういうやつか。頭取れればいいのに。髪が目にかかるくらいになってきて、たまにしぱしぱして気になるので髪切りに行こうともはや行きつけになってしまった理容店に行ったら、若いのが自分だけしかいなくておやおやおやあ〜と思ったが、外観も昔ながらのザ・理髪店って感じから数歩も離れていないし、店の雰囲気もミドルエイジ以上でばっし〜と決まっているしで、よほどの事がない限りはここには若えのは来ねえだろうなそりゃあなと思った。もう、元号2つ前のまま時が止まってるもんね。でもそういう時の流れの脇にある淀みみたいな場所好きなんよね〜。来ちゃうよね〜。普通の美容院? 的な? 照明からも瀟洒が滲み出ちゃうみたいなところ? 行った事ないけど、会話がおまるvsマッチ棒くらい成立しなさそうだもんな〜。いくら話術が巧みだっつっても、そもそも言語が違ったらそこに話が生まれなくて術が介在する隙間もヘチマもないからね。カインズのスマート収納ボックスと奥ゆかしい桐箪笥が会話できそうな気がしないもんね。眼鏡外されて耳元至近でハサミの金属音がするの、今変な気を起こしたら俺殺されちゃうかもしんないなっていう緊張感があって、正直あの左半身腑臓がぴくつくような怖気のためにお金払いに行ってる気がするね。色んな道具を通して、歴代のおっさんと顔面おしくらまんじゅうしてる気分になるのもポイント高いよね。ふへっ。

feast of the phale

少しだけ湿気が復活したので、微妙に過ごしづらい気温だったが、それは看過できるし見過ごせるし優しい気持ちで生ぬるい温度でうんうんたまにはやんちゃしたくなるお年頃だよね分かるよと大先輩のネイチャーに先輩風を吹かせようとして身体が追いつかずに大人しくぽつぽつやっていたわけだが、それにしても一度手放した睡眠周期というか、適切なリズムというか、もともと変態的変拍子を転調で彩るカッティングエッジな生活習慣ではなかったのに、四つ打ちみたいな分かりやすい足取りを完全に見失って、今、めちゃくちゃに困惑しているよね。朝、目が覚めたら11時AMだった時の気持ちよね。俺が4時くらいまで寝られずに、艶のある腰使いで布団をぺったこぺったこ餅ついてたのは一体何だったのかと。11ー4=7だから。あのわけ分かんない、何一つペイのない空虚な時間を活動時間にスライドできるなら、今日一日もう少しだけ実りのある日だったと思うよ。いっぱい寝たのに、寝つきが悪かったから疲れて夕方くらいに2時間くらい布団で寝てるからね。もう自分でも我何処なりやが分からなくなってるね。頭の解像度の低さと身体の虚妄感が治らないね。今日はとりわけ生物としての形を保つ事で汲々とした日だったかもしれんな。生き物になりてえよ、人間になりたい。読んでる本の著者が青天井に、それは言い過ぎか、でもその分野の超弩級第一線に賢い人なのは分かるが、それにしても一見してもさっぱり分からん、これはネイチブでも知らんのとちゃうんけみたいなものすごい深度の語彙を使っている箇所に当たると、頭から逆さまにハチミツ池に身投げしてハチミツ漬けになって一生を終わろうかなという気がしてくる。scleroticって何よ? 辞書に当たっても医学用語っぽいのに、どうして普通の形容詞として使っちゃうのよ? センス? そこがセンスなのかな。見惚れちゃいますね〜。そういう語彙領域の力技シフト、でも華麗なウルトラCに見えちゃうみたいなの、すっごいよね〜。意味は自分で調べてみてね、納得いかないと思うので……。夕寝から覚めた後は、ただプリコネのクロエ絆エピソード見てたら終わってましたね。ラーメンズのコントにどハマりしてから薄々段々と、数値スライダーを右矢印キーで一単位ずつ動かすように分かり始めた事だが、声優って、演者ってすげえなあって思いますね。すごいすごい。声低くて肉付きの薄い子好きなんでね、じっくりボイスを聞いてたら外が暗くなってましたね。今夜はちゃんと寝たいね。明日赤い日じゃないし。

老婆心婆

それはもうくっそ寝られないので「無理〜〜〜寝れん〜〜〜」とくだ巻きながら寝返り四方八方万物必滅宝剣を振り回して3時くらいまで生き恥を自覚し、夜気の涼しさと掛け布団の化繊が醸す温熱の間に意識が飲み込まれてブラックアウトした後、目が覚めたら11時AM前で、だったら寝られなかった時間行動に回させてくれよ〜〜〜と思った。それなら8時に起きた方が効率的で能率的じゃん? あの虚無の数時間はなんだったのよ。寝ると決めてから身を横たえると、いくら寝られなくても電気をつけて行動を再開するわけにはいかない。そんな事をしてしまったら頭がロックのツーショットバーボンくらいガンギマリしてより一層寝られなくなるのは明らかである。100寝られないのと120寝られなくなるのと、何の違いがあるのかという話だが。酒の例えを出してしまったが、全然酒は飲めないので上記の例えは雰囲気である。意識が飲み込まれる話で思い出したが、文学上で名誉ある死に方の一つに「地面が裂けてそこに飲み込まれる」というものがある。大地に抱かれる? 冥府に誘われる? 的なあれとかそれで、多分名誉を感じる死に方なのであろう。ものすごくモチーフ的な死に方なので、まあそういうもんかと一瞬納得するが、地面に飲み込まれると言っても、普通の密度がある地盤に落とし込まれてからぱっくり開いた地面が閉じたら、カリオストロの城最後の方で時計塔の針に挟まれてぷちっとなったあのおじさんみたいになるんじゃないかという気もするが、だからモチーフの話をしてるんだよバカヤロウというところに話が戻ってきた。死ぬ時に名誉栄誉を感じたいとは思わないが、aeschlosではないといいなあとは思う。生き恥という言葉もあるけれども。生きてるだけで恥なら、死ぬ時にまでさらに恥の上塗りを重ねたくはない。恥のビッグマッククォーターパウンダーみたいになる。せめてマックよりはロッテリアモスバーガーくらいで死にたい。どういう事? それにしても、最近は自分なりの世界の正解を洞察する事が全くと言っていいほどにない。むしろ前よりも本を読む密度は上がってるんだけどな? やはり心が干魃地帯のように地割れしているのか。多少多めに水をかけたところで、数秒間地面の色が変わって終わりか。もっとこう、地下水レベルで改善していかないといかんよね。そこまでどうしようもなく心がバキバキに割れてるんだったら、その割れ目に身を投げて楽になりたいが、どこに迎え入れられるわけでもないからなあ。

ゴールデンベル

睡眠周期コースアウトの気配はさらなる悪化の一途を辿り、2時とか3時に起きて、それはもう眠眠打破に寝られないのでゴロゴロしながら5時を待ち、眠いなあと思いながら7時にかけた目覚ましを期待しながら意識を彼方にやったところ、目が覚めたら9時で、これはもう間違いなく身体がバカバカの大馬鹿ポンポコリンになっている事間違いなしである。眠い。変な時間から変な時間まで眠い。変な時間と言っても、時間は均質でのっぺり流れながらあくびをしているはずだから(相対性理論とかだと均質と言うにはあれだったような気がするが、そもそも表現の語彙範疇がどの辺にあるのか分かりかねるので何とも言えない)、時間は平等である。平等に扱わないこちらに落ち度があるのだ。おっちーど! おっちーど! 時間に人格を与えれば、平等に博愛で平等に同質だろう。博愛が過ぎればそれは誰も愛していないのと同じとは一体どこで読んだ言だったかそれはもう長い事思い出せないままだが、時間は誰にでも優しくて誰にでも優しくない。膝に取りすがる事を万人に認めてはいるが、嘆願悲願を聞き入れる懐はどこにも持ち合わせていない。ただ流れるだけで、ただすり減っていく預金通帳の残高みたいなもので、五劫の擦り切れなんて暇な真似を寛容する、ただ広がるだけの四次元ポケットだ。他のひみつ道具や、同じく取り込まれてしまった被害者一同を探し当てている間に、こちらの肉体が保たずにボロボロになる。なので俺は……。どうすればいいんだ。分からん。とにもかくにもゲロカスに眠いのだから。健全な魂は健全な肉体に宿るのだ(sane)。健全な肉体も健全な魂も、一体何じゃそりゃと言いそうになるくらいには疎遠になってしまったが、少なしラテン語ではそう書かれている。ギリシア語まで遡れるのかどうかは分からない。今日読んでいた本に、「カエサルは殺される時、最後の一刺し以外呻き声をあげなかった。あるいは、『ブルートゥス、お前もか』と言ったとも伝えられる」(大意)とあり、なんじゃそりゃと思った。スエトニウスの歴史書なので、あんまり下手な事は書いていないだろうから、現代でガンガンにアンプリファイアされて知っている最期とは全然違う。確かシェイクスピアの書いた劇が後者の仄聞を採用したドラマチック仕立てだったはずだから、そちらが反響しまくった結果なのだろう。カエサルの人柄を語り上げるセクションを読むと、押し殺して殺された方がらしいな、と思うけれど、タイムマシンでもなければ確言はできないか。

anceps

一口二口飲んでから一度やめた味噌汁を、次の食事まで置いておいて温め直し、具材の追加をすれば当初のものとは味が変わる。体力の限界が来て(特に何もしていないのに不思議だな?)23時過ぎにぶっ倒れて、日が変わって半時過ぎくらいに目が覚めた時に長らく味わっていなかった夜の半端寝が連れてくる気怠さを体感した。あれを体験するくらいなら、まだ海藻になって海の底で奇怪なダンスを踊っている方がましだ。ましかな。海の底はある程度まで行くと暗くなるし、気分がヘビーローテンションしてウーファーが脳底をずんどこぱっぱしてきそうな気がするので、やっぱり地上で干からびたくらげの真似事でもしといた方がいいのかな。起きたらびっくりするほど涼しくて湿気も控えめで、そろそろ夏の背中に涙咽びながら追いすがるのも終わりかなと思うようになったのに、どうして夏モチーフの例えを出すのかね。ハロウィンが過ぎた頃に、薬局の投げ売りワゴンでコアラのマーチパイの実なんかが旬を忘れてしまったが故に捨て値で売られたりしているが、頭の中にもそういう捨て値概念の叩き売りワゴンがあるのかね。まとめて連結して、脳内回廊を爆走して床と車輪が擦れるシャーっという軽快音を聴きながら真っ直ぐに続くどこにも通じていないアウトバーンをひた走りたいね。キノコを暴食してスピード上げたり甲羅投げて大破させたりバナナの皮引っぺがして挫折を味あわせるのも悪くないけど、ひたすらそれだけをやっていればいい環境に自分を置いて、空っぽの頭の中で情報整理が雑然としかし総体的に行われているのを感じる時間も必要で大切だからね。最近はそんな感じの、全きゼロに侵されてぷかぷかしている時間がないから砂を噛んで靄に巻かれたようになってんのかな。不透明度20%の存在から70%くらいの存在には回帰したいよな〜。今日は特に何もしてないな。新しく読み始めた洋書がくっそつまらなくて、前読んだあれは相当面白かったんだなというか、あるいは自分はこういう何かしらの理論系への誘いというかお手手スラストアウト系が苦手で嫌いなのか、とりあえずとにかく3行くらい読んだら魂がよその方へ環状八号線してしまうくらいにもういっそ集中できなくて、読むのやめやめ! 終わり! って気分になったのでやめよ。もうね。身体に悪いと分かってる事を無理して続けると、それを続けて得る利益から差っ引いた時にマイナスになるからね。生きるのあんまり楽しくないんだから、せめて楽しくないくないようにしたいよね。