他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

また生え直す

髪が伸びてきたので、切りてえなと思っている。思い始めてから二週間くらい置く可能外がある。理由は、なんかめんどくさいからである。味覚におけるリズムというのか、機微起伏というのか、ものを食うことが単調になっていて、これはどうにかしたい。この前読み返したばかりの、生きるために食べるタイプと、食べるために生きるタイプがいる、というあれが浮かんでくる。改善がないのだから、私は多分前者である。うまいものは好きだが、根底にあるのは、食わなきゃいけないなんてしょうがねえなあ、なのかもしれない。買ってまだ読んでいない本が置いてあると、少し安心する。まだ私の時間が侵食していない、外的物体だ。

エルドランド

4年くらい連絡をしていなかった同級生からメールが来てびっくりした。相当びっくりした。そんなことを微塵も考えていない時に、舌をがりっと音が聞こえるほど噛む、それくらいびっくりした。去年の今頃、用事というか相談というかがあってメールを送っていて、しかしそのアドレスは普段全く見ないものだったため、年越しで帰ってきた、ということだった。送ったことを忘れていたし、また一人疎遠になってしまったな、と思ったけれど、こういうこともあるんだなあ。エクスアストリスが発売されたり、今日はやることがたくさんあって素敵だ。時間を潰しているな、と思いながらぼーっとするのが一番しょうがない。中国SFは、歴史的に振り返ると、もしかして、今が黄金期なのかもしれない。本屋とゲーム業界を見ていると、そんな気がしてくる。

シャブリ

本屋にいる時、私は「うわあ」と思っている。うわあ、また本を買ってしまうと思っているし、うわあ、今手に持っている本が全部で〇〇円で、直近の口座残高から引くとうわあと考えているし、なんでこんなことを考えながら本を買わないといけないんだと思っている。また本を買ってしまった。伊丹十三の本を読むのはほぼ初めてのはずである。『ヨーロッパ退屈日記』というのを買った。なぜかカバーがこちらを向いていて、装画が変わっていたのだ。本人の筆によるらしい。多芸な人だ。米原万里開高健の文章をオツユのしたたる文章とするならば、こっちはさらさらで手に残る愛想のない砂のようだ。随所に偏屈というか、一般に芸術家気質と言われるようなものがある。それはそれとして、読み心地のいい文章なのがにくい。他にも買ったが、だらだら読むだろう、多分。

無駄な時間日誌

買い物に行きたかったのだが、めちゃくちゃ雨が降っていて、起き抜け一番に気力が萎えて、ほぼ何もしなかった。左手親指の爪が伸びたなあ、切ろうかなあ、とぼんやりしていた。チャリに跨ったまま、行き先がないので爪先立ちでよろよろと蛇行しているみたいな、そんな状態でぼーっとしている。本当に困った。

ニジ鰤

そこそこ晴れた日だったはずだが、重なっていたのか、厚手のバスタオルが乾いていなかった。2、3日前あたり、散発的に部屋の掃除をして、無意味に積み上がっていた衣類エリアを整理した。でかいゴミ袋2つ分くらい捨てるものがあった。上辺の10%くらいしか着ていないのだから当然の結末ではあるが、それにしても。だいぶすっきりし、本が何冊か断層から出てきた。うわーっと思った。買った覚えはあったのである。

金鱈

廊下がやたらと寒い。やはり火曜(火曜だったと思うが忘れた)の春陽気は気のせいだったというか、ちょっと前倒しで溢れてきただけだったらしい。読もう、と思う本が手元にないので日がなぼーっとしていて、今日が祝日だと気付いたのも起きた後だったが、もし本がないとまともに動かないのなら、燃費の悪いハイオク車みたいでめんどくさい。車を運転したことも所有したこともない。中国語だと汽车で自動車なのでよく忘れるし間違える。列車は火车。所有は形容詞ですべての、でもある。下手に知っているから分からないことがある。冷蔵庫の中が寂しくなったので、明日は買い物に行きたい。行くかどうかは別問題だ。

水治

「ドカ食い気絶部をやりたい」と言うので見届けに行ったが、本日の学びとしては、人間はそう簡単にアホほど食えるものではない。なんなら普通か普通より食ってないかくらいだった。人体、あるいは精神機構は、健やかな生活を送るためによく働いているのである。見ていた私の方が食ってたし。雨が一日中だらだら降っていて、実体があるのかないのか不明瞭だ。もらったクッキーが、値段が手頃なわりに相当おいしかった。傘を忘れそうになった。

overture

身を震わせるほどではないが、雨のせいでぼそぼそと冷たい。昨日の暖かさ、冬らしい諸々を放り出してスキップのひとつでもしたろかいという雰囲気は微塵もなかった。一足早い春のお試しチケットみたいなもんだったのだろうか。乏しい経験では、アパレル業界でもちょっと早い季節ものセールをやったりする。ついに自然もそれをやり始めたか。どちらかと言えばまだ冬だが、ヤマザキ春のパン祭りはもうやっているはずだ。旧暦とずれるからこんなことになるのか。そこに年度とか学年とか、事業決済年度とか、訳のわからんもんが幾重にも重なっているのがよくない。そういえば、地球がもし平らだったら、反対側が冬で反対側が夏で、みたいなことはなかったのだろうか。

揺れる、る、る、

読んで心がぴくぴくする本が手元になくなったので、ものすごく本屋に行きたい。本屋に行くという動機で本屋に行くのは難しく、何か他の理由にかこつけて、その途上に本屋があるのが一番よい。直行するのはなんだか助平だと思っているからだが、本屋の方は何も思っていないだろう。どうせ小説のコーナーしか徘徊しないので、本屋の9割以上を私はドブに捨てているわけだが、それでこの歳まで困っていないことを考えると、いかに人間が今まで生み出してきたものが、ピンキリはあるにせよ、物量豊かで圧倒的で、一人の身では生涯かかっても泳ぎきれない海であるか感じる。上着の裏地を外そうかというくらい暖かかった。まだカレンダーは2月で、去年はずるずると寒さが続いていたような気がするが。目がしぱしぱするので、花粉は飛んでいる。

生活の角質層

歯ブラシが不均等な擦り減り方をしていた。横から見ると、カーブがひらがなの「し」みたいになっている。利き手、力加減、腕の傾き、要因は数知れずあるはずだが、化学物質も当たり前だが擦り減る。歯の定期検診に行かないといけないと思って半年経ったが、自分とは異なる軸で動いている時間に自分の都合で割り込むというのがどうも無理なため、なかなか予約できないでいる。おおよそ同じ理由で、そろそろガラケーの契約をどうするか契約会社のショップへ行ってどうにかしなければいけないはずだが、恐ろしく先延ばしになっている。気圧が低い日だったらしい。頭の奥に、ぶりぶりと手応えのある、ぼんやりした眠気が一日中居座っていて、今もそうで、布団に倒れたらそのまま意識を手放せそうである。スペアリブの骨を口に咥え、生ゴミのところへポイしに行く途中、落ちたら嫌だなと思って強く吸ってみたところ、骨の細かい構造部分から髄の旨味あるいはスープの旨味が突然現れてきて、そして消えた。まだ旨いところが残っているのなら、そう言ってほしい。

沈むボート

寝付きが悪かったわけではないが、夜中に3回くらい断続的に意識を取り戻したせいか、身体は動くけれども日中にすこぶる眠く、さっき夕寝をしたら身体の末端までぱんぱんになったような気がした。段々と、私は頭の人間ではなく、手の人間なんだろうなあという気がしている。苦い茶が飲みたい。

破傷

天気が悪いわけではなかったと思うが、いまいちぱっとしない空模様だった、はずである。屋内にいて、窓ガラスの輝度で想像していたから、もうちっと明るかった可能性はある。寝るときにしている木綿の手袋が、洗濯によりもろもろに穴が空いていて、全然保湿してくれなくなっているので買い替えたいが、売っているドラッグストアが駅前にあり、行く時はそんなに時間がなく、帰る時は早く帰りたいので気力がなく、ずっとそのままになっている。いっそちょっといいやつを買って長く使いたいものだが、そういう手袋のいいやつというのは果たしてどこに売っているのか分からないので、安物を摩耗させることを繰り返しているわけである。ウォークマンの電源がつかなくて、ついに寿命かお別れかと思ったものの、USB充電がうまくいっていないだけ、ただのバッテリー切れだった。よかった。別に使っているわけではないが、カバンの中に常にウォークマンがあることで担保されている安心がある。何に対する安心なんだろうな?

棒ダラ

確定申告をした。住んでいる場所の税務署がそんなところにあるのを知らなかったし、それ関係の建物がいくつもあるのも知らなかった。一緒にやってもらったのだが、カナ入力をするのにいちいち下にスライドして探してみたり、漢字変換をするのに一文字目の変換群まで行って、そこから二文字目を当たってみたり、見ていてものすごくもどかしかった。よっぽどF7キーでカナになるんすよとか教えようかと思った。言わなかったけども。でも言った方が、私の後の人々の入力作業が何秒か縮まって、それが積もり積もって……だっただろうか。まだあるのかな、とちょっと期待した(そんなに美味しいとは思わなかった)油そばの店はなくなっていて、でも後釜も油そばの店だった。めちゃくちゃ眠い。

もういらんけん

マフラーを巻いて外に出たら、あったかくて暑いし、風が強くて吹っ飛びそうだったので外した。春や春や、と思ったが、三寒四温という言葉をこの前人に言われて、それもそうだ。本屋をふらふらして、町田康種田山頭火の歌を読む本が出ていて、発売たちまち三刷、の帯が巻いてあったが、もともとそんなに部数を刷らないであろうそういう本で刷数を誇るのは……どうなんだ……? と思った。電車内広告の、インフルエンサーが紹介してます、その動画が計ウン万再生です、と数字を載せるのも、なんやこいつという感じがする。商品を売るのに、外的な数字を添えなければ広告が作れんのか。まあ、そうなんかもしれんな。しかし君ら出版社やんか。もやもやする。近くのコインパーキングに流し台が捨ててあり、ずっと前から捨ててあり、風雪で吹っ飛ぶたびに、「不法投棄ですちゃんと持ち帰ってください」の注意書き、ご丁寧にラミネートされたものが貼り直される。でも、不法投棄するようなやつがそれを見る機会はないはずなので、ただずっと、汚くなっていく白い流し台が斜めに傾いでそのままだ。

ツルコケモモ

ずっと通り過ぎるだけで、行ったことがなかった店に行った。人と飯を食うのでちょうどよかった。よくよく行列ができているので、さぞかしええんやろなあと思っていたが、確かにうまかった。うまかったが、意識に手で直に触れてくるわけではなく、客観的に判断すればまあうまい方かなあ、という程度に留まり、なんとも言えない気持ちになった。年に何回あるかないかの、脳味噌がびりびりくる出会い、刺激、何かしら、は、本当に稀なのだな。難しいねえ本当に。