他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

縦走のカナン

謦咳という言葉があるらしい。字面をじっと見ていると何となくハハアおそらくそういう事だろうなと推察がつくのだが、声の事らしい。そもそもが「けいがい」と読むようだ。知らない。手擦れしてくたくたになり角が擦り切れてしまったような岩波文庫を読んでいると、微塵も知らない言葉がフリガナもなしにポンポン使われている事頻りで、大変勉強になる。人によっては辞書に載っていないような、おそらく自らの手による造語と思しき漢語っぽいものを用いていて、しかもそれが文の中で無視できない味わいを浸み出している場合もあるから、辞書一辺倒になる必要は必ずしもないなと思う。ついでに、焼き鳥のレパートリーがひとつとして有名なねぎまだが、これも漢字で「葱鮪」と書くらしく、その姿に違わずネギとマグロを交互に刺した串焼きであったようだ。葱間、ネギの間に鶏肉が挟まっているという意味かと思って今まで生きてきたのだが、どうも元の姿は違ったらしい。まっこと世界は広く、そして深い。水溜りでぴちゃぴちゃ遊んでいたはずが、ある時突然に海溝に飲み込まれ深海魚のそこに在る事を面前に開陳されておしっこちびりそうになった経験もあるから、適当に生きるのは簡単だけれども、たまには隠しステージを探してみるとやにわに次元の数がプラスいちされたりされなかったりするはずである。帰省のための荷造り、ならびに銀行預金額の整理、メインで使っている口座がすっからのかんになって年越しの瞬間に引き落とされるはずのよろず料金が決済できなさそうなくらい逼迫していた、のために一度家を出ると、一瞬の庭を挟んだ小さな門に、乾ききった雑草が掛かっていた。よもやイタズラか、あるいは歩いていると重心を持って行かれそうな風速の今日であったから、どこかから家財が飛ばされてきたのかと一人想像を逞しくしておったところ、何の事はない、ただの簡素な注連縄であった。きっと大家さんが取り付けてくれたのであろうが、祝日に国旗を掲げるわけではないにしても、時節に応じた風俗とでも言おうか、それに則るタイプの方なのだなと思った。橙も扇もない、栄養失調みたいな本体と千切れみたいな紙で組んであった。そもそも、注連縄を玄関に飾る意味と、注連縄それそのものの意味を知らない。破魔矢は字面からの想像を許すが、そうではない。いちいち上手く歩こうとするのではなく、あえて一歩一歩「つまづいて」みる事で、発見があって学びがあって人生が豊かになったりならなかったりするのかもしれない。口で言うのは簡単だけども。日に一度しか押せないボタンを、毎日忘れずどれだけ長期に渡って押し続けられるか、これもまたひどく頭の痛い問題なのだが、そういえば一応(体力の危機に瀕していない限りは)日記だけは書き続けているのだった。