他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

まねっこどうぶつ

ハンドソープを詰め替えた。基本的に、容器が残せるものは全て詰め替える。と言っても、家にある、詰め替えという作業が必要そうなものは、ハンドソープと食器用洗剤くらいしかないのだが。シャンプーとか置いてないので。詰め替え中身自体は(何と言えばいいのか。詰め替え用?)かなり前に買ってきていたのだが、そろそろなくなるなと思ってからなかなかなくならず、今日やっと、数回しゅこしゅこしても何も出てこなくなった。晩飯の片付けをしている時にやってしまった。やらなければいつまでもやらなそうだったので。一回中を洗おうと思ってノズルを取ったら、まだちょっとだけ残っていた。まだちょっとだけ残っていて、あ、まだちょっとだけ残ってるな、と思って、その事実を認識しながら、流しに容器を逆さまにして、とろーっと残りの石鹸が吸い込まれていった。ノズルを使用毎にいちいち取り外せばまだ詰め替えなくてもいけそうだったが、まあ、そこまで切り詰めて生活すると、今以上に人間の形をしただけの肉の塊になりそうだったのでやめた。詰め替えてから最初の使用がさっきで、水位が十分にある状態からの供給が、石鹸がノズルから飛び出してくる様子と勢いが、なんか精子の出方みたいでやだな、と思った。色も似てるし。泡タイプを買う人は、何を考えて泡タイプを買っているのだろうとも考えている。私は泡タイプが好きではなくて、なぜかをさっき考えたところ、泡の形態で、つまり軽くなって出てくるので、なんだか損をした気分になるからではないかという結論に至った。泡になる前の分量は多分変わらないか、泡で見た目の体積が増えている分泡タイプの方がエコノミックなのではないかという気もするが。石鹸は、読んで字のごとく石ころみたいな辺の丸い直方体のやつか、てろっとした白濁の液体として認識している。昨日の夜、寝られないのか寝付けないのかよく分からないグレーゾーンのボーダーで空中滑空をしてあちらへひらりこちらへころりと寝返りをうちまくっていた最中(日中気が付いたが左の尻が床擦れしていた)、俗に言う賢者タイムというものは其一体何であるかという事を考えていた。昔から、これについて、体感としてピンとくるものがなかったので、しかしまあ寝付けない夜に考えなくてもいい事だが、頭の中でこねくり回していて、生来の気質とそれの波長がほとんど同じところにあって、つまり平時がそれとあまり変わらない状態にあるからではないか、と思い当たった。無益な思索だった。