他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

木馬椅子

田房永子『他人のセックスを見ながら考えた』を読んでいる。これに加えてぐろぐろも刊行していたり(たしか復刊させた)、つげ義春作品集が所収されていたり、開高健のエッセイ集もあったりして、ちくま文庫の懐の広さに感服している。出版が視野に収めるべき範囲として、一番バランスのいい出版社なのではないか。どうしてそういう方面のものばかり好んで摂取するのか自分で分からないが、それが一番興味をそそられるので仕方がない。うまいもんはうまい。前書きを読むだけで男のオス臭さにげんなりするわけだが、図書館にあった性を考えるコーナーみたいなところにある本は、だいたいみんな近づかなくて、手に取るのもやーよ、という感じがあって、私はそこに配架されていた風俗バンザイで松沢呉一を知ったわけで、みんなお行儀良過ぎるというか、見なくていいエリアとして意識的に処理している気がする。無闇矢鱈に見せるものでは、そりゃもちろんないが、人生で必ず関わってくる要素である以上、それについて全く断絶した内的世界にだけ目を向けるのは不健康だろう。エロの話と性の話は区別するのが難しいが、それに対して自分なりの腑分け、尺度を個々人がきちんと持っていないのが問題であって、難しい問題は絶対に解く必要はないけれども、しかし全く取り組まなくてもいいと放棄していいものでもない。シーズンがシーズンであるから例えとして近いが、完答はまずないだろう、しかし部分点をもらえるくらいの、見えたところまでの自分なりの理解の積み重ねは必要である。席に座って、所定時間くらいはこね回して自分の頭で考えてみようではないですか、と。思うのだが。一度タブーというか、触れない方がベターとされてしまったものを、再び陽の下に引きずっていくのは難しい。さっき、こういう話を見たので、頭の中でぐるぐる考えたところがありました。しかし、この本はすごいな。表紙にある物らしい物は椅子だけなのだが、これがスケベ椅子だというだけで、テーマ全体をひとつの物に仮託している。私が工具類を見ても何をどう使うのか分からないように、全く知識の埒外にある世界の運行というのは向かい合うのも簡単ではない。それにしても、女性の社会進出うんぬんかんぬんのためには、価値観のオーバーホールが必要で、では、どこからパーツを仕入れましょうか、となった時に、従来の店ばっかり使っていてはダメだろうと思うわけで。よい本ですよ。