他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ファビュラス漏電

眠りの浅い時に、手荒れの箇所を激しく掻いたらしく、起きたら左手の人指し指・中指がひどい事になっていた。皮膚の弱った箇所を、いくら木綿とは言え木綿の生地でがしがし擦るわけで、一日中ふとした拍子に痛みが走ってぴょっとなっていた。気温が変わるとこれだけ肌にダイレクトに反映されるのも難儀な話だが、実際直截的に影響が出ているのだから仕方のない話だ。唇ではなく指が荒れる方なのは、どっちがいいとは言い難い。ついでに、指の腹の方も、皮が薄くなってあまりよろしい状態ではないため、母の指を思い出した。万年あかぎれなりなんなり、手荒れと付き合っていたと思うが、近年はどうだろうか。手を取ってまじまじと見る機会がないから、全く失念していた。弟の背中がアトピーですごい事になっているのは、見た覚えがある。兄弟姉妹の中で、皮膚が弱くなかったのは妹だけだったな。考えてみると。年末に帰省しようと考えてはいるが、まだどうなんじゃろうねと思うところもないではない。友人にも会いっぱぐれているため、久しぶりに顔を合わせたら、何の話をされるか知れたものではない。もう一人は、二年以上会い損ねている気がするが、元気だろうか。帰りに本屋に寄り道して、銀河ヒッチハイクガイドの欠本が補充されていないか見に行ったら、まだ全然そんな事はなくて、私が買った分、すこんと抜けていた。気が早すぎたかもしれないが、シリーズ物を目の前に用意されて、ファーストシーズンとファイナルシーズンはないですけど、間は全部ありますよ! と言われたって、ただ悶々とする他ない。本棚の前で妙な踊りを始めそうになったが、心の中だけで我慢した。目的の達成不全に対して、身体的外的出力の経験値がないあまりに、動きが解釈と咀嚼を経ずに不完全な形で、変換に失敗しているのがこの現象なのではないかと思ったが、後々分かる事かもしれないしいつまで経っても気のせいの主観的事実であり続けるかもしれない。でも、主観的現実は大切だ。それは言葉にならないが。消化不良を消化し損ねて、本棚をふらふら見ていたら、まだ持っていない開高健のエッセイ集があったので買った。文体が好きな人のエッセイは読んでいて面白い。同時に、経験の厚みというのか、なぜゆえこれほど現実を主体として掬い取れるのか理解できなくて悲しい気持ちになる事もある。生まれ持ったものはしょうがないというのは、逃げの文句でもなんでもなくて、ひとつの揺るぎない真理だと、私は思うようになった。