他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

粥・ストロース

今回の注文で初めて置き配されたが、なかなか便利だ。サインを書かなくてもいいし、わざわざ玄関まで出向かなくて済むし。チャイムを鳴らしてから出てくるまでの虚無時間がなくなるので、双方にとってwin-winと言えるのでは。ただ、ひとつびっくりしたのが、置き配された事にさっぱり気が付かなかったという事だった。家の戸口に荷物をそっと立てかけるには、門を開けなければいけない。ちっちゃな門ではあるが、門は門である。ひとつやふたつ、多少の軋みがある。それが全く聞こえないまま、Amazonから配達完了のメールが来て、玄関ドアを開けてみるとそこにぽつんと梱包エアバッグがあるのだ。どれだけスニーキングしているんだと思った。それとも、もう、双方を煩わせない、静かな配達メソッドが確立されているのかもしれない。それにしたってすごいと思うけれど……。伊坂幸太郎の本は、装丁に恵まれている。たまにゆるいイラストみたいなものがあるが、あのタイプではなくて、モダンタイムスとかSOSの猿とかみたいな、ごちゃごちゃになっているがデザインとして統一の取れているものとか、象徴的なイメージひとつをでんと据えてあとは抜けているようなものとか、カバーを覚えているものが多い。ものとしての本がいい。並べて壁画にして、トイレに飾ってもいいくらいに。注文したのは全部来たので、週末にしこしこ読んでいこうかしら〜と考えている。筒井康隆の選篇は、表紙がすげえキモいのでいい感じだ。ぺらぺらめくったら、特徴的な目次と扉をしていたので、これまた見るところがある。人間に少しだけ帰れそうな気がする。するだけかもしれんが。燃えるゴミの袋がぱんぱんになったので、縛って玄関に放り出した。流し下の野菜エリアに安置していた人参が、30%くらいカビていたので患部を適宜切り落として冷蔵庫に避難させた。買ってきたすぐその足で、袋の中に水滴が見えたらキッチンペーパーで対処しておいた方がよさそうだ。カビのもわもわした質感を感じると、底知れぬ居心地の悪さというのか気持ち悪さが湧き上がり不快だ。玉ねぎが終わりかけの時に放つ、甘いシチューみたいな匂いとてろてろした手触り、壊死したような色合いも。延々河原を歩き続けたいが、家の近くに川は流れていない。そもそも最後に川を見たのはいつだ、と記憶を繰り始める羽目になった。本当に、いつだ? ないところにはない。出かけるならば、誰かに連れ出されたい。

oath to swear

夜2時まで寝られないと、空気の冷たさがあるにはあるが、それ以外はめっきり暑くなった。暑苦しいと言ってもいいかもしれない。特に、ご飯を食べた後に椅子に座ってじっとしていると、身体が熱くなって汗の雰囲気が滲み出してくる。気が早いが、もうクーラーをつけてしまいたくなる。昔は扇風機派だったが、壁の上の方、アクティブスペースに支障を来たさないエアコンと違って、地べたに置いていちいち向きや場所を整えなければならない扇風機はなかなか面倒である。好きなのだが、手間と天秤にかけると首も傾ぐ。ダイソンが出している羽無しタイプのものは、触った事がないけれど、どんなものなのだろう。あの、裁縫針の糸を通す部分を拡大したようなフォルム、どことなく不安になる。長らく図書館が閉まったままで、図書館にも行かないので、読むものがない。これには参った。ゲームのシナリオを読んでいてもいいのだが、ゲームでない、単行本や文庫本の行長に沿って流れる段落のまとまり、そのシークエンスを楽しむ感覚がないのは、これは原初的な仕方であるので、表に出なくとも堪えるものがある。理想であれば本屋に行ってめぼしいものをいくつかつまんでみればいいのだが、最寄りの本屋は少し遠いし、品揃えが主義主張と反するところ少なからずある。面倒なので、Amazonで2、3冊ピックアップした。不要不急のアーティクルには物流が割かれていないせいなのか、筒井康隆新潮文庫は軒並みKindle版でなければ手に入らなくなっていた。笑うな、なんかは在庫があったと思ったのだけど。宇宙衛星博覧会(実際はところどころ漢字が違う)みたいなヘルタースケルターが読みたかったが、こちらも表現の時勢的な理由もあるのか入手できなかった。Kindleはある。本は、というか文章は、モニタに向かい合った状態では、私は読めない。騒動が収まったら、神保町の古本屋街にでも出かけて、筒井康隆全集でも探したいところ。なんちゃらとかんちゃらのサンバ、みたいな中編を、高校の時に読んだのは覚えている。森見登美彦の文庫になっているやつを、一緒に注文してもよかったかもしれない。偉大な先輩が推していた太陽の塔とか。ストーリーテラーのエンタテインメントも無性に読みたくなって、これの代名詞と言ってもいいであろう伊坂幸太郎の単行本も入れておいた。文章の読み味が個性的ではないはずなのに特徴的で、ずんずん読ませる独特の軽さがあった、気がする。数年読んでいないので。本を読めば人間に戻ったような、水を得たような気分に少しだけ浸れるので楽しみだ。

イルミナティマナティ

今日も内的原理が分裂していたが、昨日ほどではなかった。別に今日がまともなわけではなかったが。そろそろ抑鬱のでかい波が来そうな予感と足音がするので、つまりそういう事かもしれない。朝のどこかで、雨がちらついたようだ。窓ガラスに飛沫が散っていた。ポストの中で雨曝しになっていたチラシを引っぺがすと、ぱりぱりばりばりした。燃えるゴミで捨ててしまってもいいかもしれないが、一応資源ごみゾーンに放置している。牛乳パックや食品トレーの回収が再開されるのはいつになるだろう。精肉を買ってくるのは止まらないし、牛乳を飲まなければ落ち着かない身体だし、結構随分なペースでかさばるゴミが堆積している。置き場がないので廊下にほっぽっているが、突っ込んでいるビニール袋もそろそろパンパンになる。夏までは無理かもしれん。昼は、屋内に引っ込んでいるのでそこまで暑くない。窓は開けないと、じわじわ汗未満のものが浮き上がってくる感触がある。夜の方が暑く、汗がぷわーっと出てくる気がしたが、夜は夜で風呂上がりだったり、21時くらいに淹れたてのあっついお茶を飲んだりしているから、要因は思い当たりすぎるほどにある。それにしたって、眠る頃には落ち着いていても、布団をかぶろうものなら暑いわけだし。朝方はまだ寒いので、身体を投げ出して身のまま寝るわけにもいかない。タオルケットを出してもいいが、少し逸りすぎな感じもする。単機能特化が好きだから、過渡期に対応できる微妙なものは苦手だ。気温が高くなってきたという事は、生ゴミの処理に関してそろそろ慎重にならなければいけないという事でもある。ハエ、蛆、パンデミックの流れは流石にもう懲りたので、何かしらの対策は処していきたいところである。コバエがホイホイは機能面でそこそこ優秀なのだが、どうも設置場所に困るという短所があり採用しづらい。古より伝わるオーパーツ、ハエリボンもどこに置けばいいのか思いつかないので使えない。あれはあれで、壁にくっついたりすると面倒だ。いい感じに、害虫と戦っていく必要がある。スーパーのおつとめ品ワゴンが、わちゃわちゃするようになった、気がする。ここ2ヶ月くらいで、積まれる量が増えたし、普段だったらおつとめ品にならないような商品がおつとめしているのもある。棚がごっそり一列いなくなる、みたいな恐慌状態はなくなったが、全く拭い切れたわけでもないっぽい。ダブルソフトを買ってきた。美味しいので。

cease to

自分の中にある内部構造が分裂して千々になっていた日だった。被膜のほどけた電源コードの状態よりも、少し酷いくらい。文章を読んで、頭の中で全てが上滑りするのはなかなか堪える。いや、読めてなかったのか? 分からん。精神部分の中央から、絶えず放射状に内容物が滲出している感覚が麻痺した頭の中でずっと響いていて、帰ってこない応答が帰ってこない事をぼうっと待っているだけの木偶であった。何を入力してもゼロになるのは、ずぶずぶと虚無に落ち込んでいく感覚があって止まらない。形而上もよく分からんが、というかそもそもこの語自体がよく分からんが、形而下の下にも何もない。今日は、さっき切った茄子の方が価値があっただろう。流しの下で安置していた椎茸のパックから、芳醇で濃厚な、危ない香りがした。傘の裏、放射状に走るキノコのシャンゼリゼ通りが黒ずんでいた。キノコに詳しくはないが、あれはおそらくキノコの死、キノコの腐敗が近いのだろうと思われた。今日は暑かった。昨日は、覚えてない。湿度もそこそこある。なぜなら日本だから。そんなコンディションに置かれれば、そりゃあダメになるだろうなと思った。冷蔵庫に置き換えた。キノコを煮ると、匂いに椎茸の濃い匂いが含まれている。キノコが苦手というのはいまいちピンと来なかったが、こういう匂いとか、ぶにゃぶにゃした食感とか、ダメ判定が下りそうな要素が確かに皆無ではない。なぜ好きな人がいるのか分からないものもあるし、大体ほぼ全てがなべて分からない。蓼食う虫にしても、その蓼が何百何千何万葉とあるのだから、あの摂食スピードだと、一生かけてどれくらい食べられるのだろうか。一本の木さえ枯らせないかもしれないし、あるたった一枚で人生(虫生)が変わって局地的な生になるかもしれない。何か生産的な事をしなければという、無自覚に無意識に背負った仮想命題が、その重さも大きさも分からないが、それゆえにひどく身体に、心身に食い込んできて痛くて、怖いのだ。別に何でもなくても何をやらなくても生きていくだけならばできてしまうが故に。いや、あるいはもう怖くさえなくて、潰れて肉汁を溢れさせながら、ぺったんこになった、まっさらで平坦な白い地表でどこにも視線が引っかからないまま、次の朝ごはんとか昼ごはんとか晩ごはんとか最後の晩餐とかを待っているのかもしれない。食い物の味は分かるが、味気がない。気配というか、実体が。

machine against the rage

バーチャルライブチャット……ですか……。世の中にチャットレディという職業? ステータス? があるのは知っている。ライブチャットというものがあるのも知っている。ではバーチャルライブチャットはどうかと言うと。知らなかった。はぁ。そうですか。それくらいの力量でしか答えられないが、あるらしい。DMMR18のDMは下の方に、全然知らないバナーが貼ってあって、それがそうだった。はぁ……。バーチャルライブチャットですかぁ……。ざっと見る限り、いや、そもそもざっと見るほど配信枠がなかったのだが、流行りに乗っただけのパチモンという感じがした。中の人はチャットレディ的なあれでちゃんとしているのかもしれないが。ガワが。ガワが問題である。なぜバーチャルなのか。どうしてバーチャルなのか。そこへの省察が感じられなかった。できてはいるが可愛くない。「バーチャルライブチャットは、個性豊かなキャラクターがあつまるコミュニケーションエンターテイメントです。」とあったが、個性、個性ねえ、どこ? ここ? という感じだった。さすがにこれは、シチュエーション派云々とか言っている場合ではないだろう。今日は、昼に、魂の方向性が違う人間と会話をしたせいで、半日ずっとぷりぷりして過ごしていた。人のせいにするのはよくないか。しかし、それにしても。あー、この人は自分の有効領域を得物にする人なんだな、と思った。遊びというかゆとりというか、想像力を挟む愛想も甘さもない、噛んでいて楽しくない食べ物みたいな人だなと。滅多に怒らないしはらわたが煮えくり返る事もないが、今日は数分だけ、一瞬本当にぶちギレそうになってびっくりした。まだそれくらいのカロリーはあった。怒った時の対処法はある。頭に血が上っているのを自覚し、心を明鏡止水に落ち着けてしばらく黙っている事である。相手を蔑む事もしない。感情をヒッチハイクして話を始めない。ビッグバンを起こした感情を、掌を火傷しながら握り込んで、正体を探る時間を作る。文字列にならなくてもいいので、自分の中で生まれた情緒を直感的に叙述できるようになったら、最低限の話はできる。最低限以上の事はしなくていい。またキレそうになるので。しばらくまともな晩飯を食っていなかったので、野菜を切って中華スープで煮て、うどんを入れ卵を割った、これは何と言うのかな、中華風うどんを作った。中華スープの素を使うたびに、どの辺が中華なのか気になる。

常套句半裸

大量に溜まっていた瓶缶ゴミを全て出した。冷蔵庫の上がスッキリした。朝の空気の中で、瓶やら缶やらの資源ごみを放り出すのはとても気が引ける。軽い、カラカラしたポップ音がまだきに響き渡るのは本意ではない。あれは結構、意識に障る音である。ぶっ倒れて眠り続けている中でも、収集車がどんどんがらがらと資源ごみを積載していく音で目が覚める事もある。あれは、何と言うか。私は嫌いではない。やさしい起こし方に分類できると思う。生活の中で生じる、自然な流れに乗って目が覚めるので。夕寝をしながら、台所で晩御飯が用意される音や匂いで目が覚めるような、あんな感じ。今日は先に起きたが。真ん前のアパートは、管理人なのか、物知った風のばあちゃんが、アパート前の塀に洗濯物をかけている。マンションのベランダで布団を干すかのような暴挙である。マンションの布団は、私の実家がマンションだしマンションで育ったからそこまで目くじらを立てるようなものでもないと思うのだけど、アパートの塀に洗濯物ハンガーがかけてあるのは、正直、異様な生活感が漂っていて凄い。すごく卑近にリアルなTシャツが、5枚も6枚もかけてある光景は、毒気と正気をいっぺんに抜いてしまうような現実味がある。そこには、あまりにも人の匂いがありすぎる。洗濯機のホコリキャッチャー、洗濯物のホコリが溜まるあの袋部分の正式名称を何と言うのか知らないが、あそこのホコリをこの間綺麗に摘出した。軽い池チョンパ、ペタンクくらいならできそうなホコリの塊が取れた。今日は敷き布団のシーツを洗った。ホコリ袋を確認すると、すでに1割くらい元通りになっていて、そんなバカなと思いつつ、シーツの端っこにホコリの玉がぽろぽろついているのが認められ、それを窓の外にはたき落としながら、思ったよりもホコリに塗れて生きているのだなと思った。ついでに、シーツを剥いだ後の敷き布団も目を近付けて観察してみた。縫い目のくぼみに、ホコリや髪の毛はもちろんだが、茶色い、小さな粒みたいなものが見て取れ、これがダニなのかしらん、と思った。前に、掃除機で強制的に吸い取りまくった覚えがある。ホコリほど爆速で増えているわけではなさそうだが、見えないだけで、色んなものに溺れて生きている気がする。ほぼずっと生徒会役員共のアニメを垂れ流しながら生活しているが、冷蔵庫と萩村スズの身長がもしかして大体同じくらいなのでは、と気が付いた。これくらいか……。

der Held

ちょうどいい、やさしい羹ばかりではなくて、たまにはかき氷でも食べなさい、という事か。大体の全てを、内容を挿げ替えて比喩にしなければ理解できないトンチキ脳味噌なので食べ物に置き換えた。好きなコンテンツに対してのオタクのスタンスというか、パーフェクトにアファーマティブだとダメやろがい、みたいな意見があったらしい。もっとずっとコン(英語のconには反対派の意がある。pro and conで賛成派と反対派なので、覚えておくと人生で使えたり使えなかったりするかもしれない。ラテン語のcontraから来ているらしい。なるほどね!)であらんかい、と。もっとずっとめんどくさいものだ、とかなんとか、そして私が信を置いている人のそれに対するコメントを見て、今一度心の中でくっちゃくっちゃやる時間を設けた。なるほど。諸手を挙げてマンセー、そうでないものは共和(まさに「共和」)国からしばき出す、ビビッドに言えばこうであるコミュニティの在り方は、居心地が悪いか、気持ち悪いと思うところはある。しかし、一度隙を見せると途端に無名有名のマスに市中引き回しの上獄門打ち首にされかねない、たとえばツイッターのような場所が披露のステージとして機能しているところもないわけではなく、暴風雨から身を守るための防風林になるのはやはりそれにproの反応を示し促成させてくれる人々な訳で、しかしそれにしても露出と披見のリスク、意味合いが母数の膨大さにより釣り合いをとるのが難しく、reliableな、提供とフィードバックの場が欲しいにしても、結局パトロンサイトはproの集まりになってしまうし……と考えがぐるぐるして止まらなくなった。ただの暴言は聞くに値しないし聞かなくてよいが、忠言やアドバイス、勧めは、全く畑違いの人間から思いもよらなかったアプローチを見せられる事があり、これを容れる器量と器用さが必要になってくる。安定した批評空間を作るには、獲物を見つけたら神速で飛んで行って腐る前に食い荒らし食い尽くし次なる生肉をただちに探しに出るタイプのハイエナは混ぜないようにした方がいい。いいというか、私は、性急に彼我を分けてしまうタイプよりも、対象ともっちゃもっちゃ時間をかけて混ざり合い、大学八回生まで行ってしまうような、スローだが有機的なタイプが批評には必要なのではないか、と考えている。何度も何度も染み込ませて、馴染んでから向き合う、という時間のかけ方を、そもそもして欲しいなと思う。

掃除機を振り回す獣

起きた時か、起きる少し前か、覚醒に浮かんでスマホの時計を呼び出したら目覚ましの30分前だったので再潜水した時か忘れたが、朝方にまた雨が降っていたような気がする。あるいは、やたらめったら寝付けずにイライラしていた深夜と薄明の間か。何も干していなかったし、何も実害がなかったから構わないけれど。心波立つ訳ではないが、うっすらと引っかかる不和がある。雨の何が嫌いなのだろう。午前中の事は、もうほとんど靄をかぶって思い出しづらいし思い出そうとも思えない。どうでもいい事のシークエンスバーがどんどん現在に近付いていて、その目盛が現在を追い越して先へ先へと走って行った場合、その時が精神的な重度の終わりなのだろうと恐ろしく思いたいが思えない。無い袖は振れない。涼しくはなるが、無さに気付かされてどんどん袖がマイナスの領域にめり込んでいくだけである。昼飯は、この前どん兵衛(赤)を食べて、あとひとつ残っていたが、リフレインも芸がないと思い、日清カップヌードルシーフードにした。昼飯を食ったのは、なぜだろう、ストレスでも溜まっていたのだろうか。昼飯を食うという行為で、もうすでに摩滅する気がする。日清のカップヌードルは、シーフードが一番好きだ。どれも美味い。赤いのと、黄色いのはカレーだったか、期間限定でチーズカレーもあってあれは一等うまかったが、青いシーフードが一番好きだ。チーズカレーは、信条を破って汁を全部飲み干したいくらいうまかったが。シーフード。あのぺらっぺらな、どうやったらそこまで直径が小さくなるのかと思うような、タコっぽいくにくにした肉塊が好きだ。シーフードなのでタコだと思う。ナマコではないだろう。ナマコが入っているカップ麺というのも、パンチがあっていいと思うが。でも、普通の赤を筆頭に入っている謎肉(公式にマテリアルが詳らかになっているのでここに至っては全く謎でもなんでもないのだが)もうまい。あれはそもそも肉なんだっけ? ヌードル系フードの重要ないちファクターであるところの、肉要素を満たした気にしてくるのであれはすごい。このシリーズ特有の、細くて儚いちゃちな麺も、これこれ! という一種の高揚があるので好ましい。海外への長距離フライトだと、機内食の時間以外に、頼めばカップ麺を持ってきてもらえるのだが、どうにも一歩が出ず頼めた事がない。朝飯にダブルソフトを焼いて食っているが、どうにもこいつは美味い。何がダブルなのか気になるけれど。

鶏を割くにドラゴンスレイヤーを以ってす

ずっと生徒会役員共を観ていたら終わった。何周したんだろう。7月の末日まで公開されているようだから、それまでしばらく延々と観続ける気がする。感性が近いものに浸る行為は、オアシスだ。雨が降った日だった。夕方くらいからは雷と爆雨が入り乱れ、降り始めは特に、あわやこの世の終わりかと思ったものだ。雨と低気圧にやられて、昼寝が想定よりもぐんと長くなってしまって頭が痛い。今日もエビを調理したので、指先、爪と肉の間が濃いオレンジのBB弾みたいな色になっている。BB弾のBBがどういう意味なのか知らない。この色、どこかで見た事あるなあと思っていたら、思い当たるものがあった。トイストーリー2の、ハゲメガネのおっさんが、テレビを観ながら食っているスナック菓子とそれで汚れた指先、あれの色にそっくりなのだ。とても濃く深いオレンジだが、エビの方はそんな色をしているところが見当たらない。どういうわけでこうなったのか。トイストーリー2は、無性に好きなシーンがいくつかある。人形師がウッディーの腕を縫い付けたり靴を磨いたりするあれとか、ザーグがぽこぽこ発砲してバズと入り乱れるエレベーターのあれとか。でかいコンクリの筒が転がってきて、吐き捨てられたガムが云々、も2だったか。2までしか観ていないし、1はそもそもストーリーを覚えていない。いつのまにか、ディズニーのようなきらきらした光源を、しんどいと思うようになっていた。本当にしんどい。実際が要求してこない限り、魂の方向性が異なる相手と付き合うのは、労力と、結果として得られるリターンが釣り合わないので、可能な限りやらない事にしている。新しい事に目覚めるのは、ころっと、道の側溝に落ちるかのようなたまたまに賭けている。一年に一度あるくらいだが。世の中には争いの種が、大小問わずいっぱいある。小さい方は水をやらなければ芽もでない、弱っちいもののはずなのに、なんで芽が出るんだろうなあ? 除菌ティッシュが買えたので、パソコンのキーボードやスマホを拭いておいた。この辺りの、手垢が文字通りべったべたなデバイスに対して、除菌シートがどれほどの効果を発揮するものか知らない。この除菌シートを買う時、前でぐずぐずしていたおばさんは、奥の方から取っていたが、人にそこまでさせるほどなのだな、と思った。牛乳じゃないんだからさ。FGOのメインストーリーが第一部六章まで終わった。キャメロットは、敵がめちゃくちゃめんどくさかったが、シナリオが大変面白かった。敵はめちゃくちゃめんどくさかったが。

不文律経典

昼はそれほど暑くない。屋内にいれば暑くない。買い出しに出た正午前後は、かなり暑かった。もう上着はいらないだろう。むしろ、上着を着ると路上でぶっ倒れるかもしれない。でかい交差点の木陰で信号を待ちながら、頭の後ろの方から迫る昏倒の気配を感じた。髪が伸びた。頭蓋骨の概形が分からないくらいになると、散髪のサインである。頭頂部付近の毛量が極端に多く、放っておくとものすごく鉢の輪郭がもこもこしてくる。単純に暑いし、風呂上がりにバスタオルでさっと済まないので、時期が来ればすぐに床屋に行くようにした。私が、魂の方向性が一致しているな、と思った店は今でも営業していて、あの年号を2つ間違えたような理髪店も通常営業していた。していたが、5人ほど待機していたので、めんどくさくなって帰った。2人くらいまでなら考える。金曜日くらいに、時間を作って切りに行こう。洗濯物を干した。掛け布団のシーツを洗った。敷き布団のシーツも洗ってしまってよかったかもしれない。敷き布団の中身、頭が来る方の天辺が、どう見ても黄色くなっていて、生理現象一連もろもろに思いを馳せた。得るところは特になかった。しばらく外食をしていない。金を落としたい店はあるが、引きこもる積極的な口実ができると、外に出たくなくなるものである。最低限まで削ぎ落としてしまえる。現代の長所にして短所だろう。家にいてもおおよその事が済むというのは。スーパーで、赤葡萄の立派なトレーを見つけた。葡萄。ぶどう。自分では食べない。実家に帰ると、朝食後のヨーグルトに添えてあったりする。祖母の家に行っても、たまに出る。自分では食べない。イギリスに行くと、£3くらいで大きなバンチを買えるので、それを食ってビタミン源にしていた。冷蔵庫で冷やして、流水で濡れたぶどう。これがなんだか、異様にうまそうに思えた。暑い外を歩いて人心地ついた後、乾きが欲するものがあったのか。ぶどうを買った。おやつ代わりにもなるだろう。果物を食べ過ぎて糖尿病になるとは、聞いた事がない。常軌を逸した摂食でなければ、万事オールグリーンだろう。緑ぶどう? 青ぶどう? マスカット系のあちらは、風味があまり好きではない。すれ違ったカップルだか夫婦だかの買い物かごに入っていた、エビが目についた。エビ。食卓に登るのが珍しい食材だったから、憧れを抱いている食材というのは結構ある。私のそれらには、エビが含まれている。生物としてのエビにも、食べ物としてのエビにも、さっぱり詳しくないが、そこそこ立派なエビだったと思う。食う前に殻を剥いた。おかしらを外す時、脳味噌だと思う、とろとろしてどろっとした、地獄の泥濘みたいな物体が出てきてギョッとした。脳味噌は、脳「味噌」だなと思った。爪の間が赤い。エビの色素というのは、移りやすいものなのだろうか。

砂糖黍ブレード

パウチのカレーやシチューやなんかを食べる時は、貧乏性なのでできる限り、やろうと思える限り捻り出す。平らなところに置いて、平らなスクレイパーで限界までこそぎ出す真似はしない。さすがにそこまでやるのは面倒なので。変換して知ったが、こそぐには漢字が当たるらしい(刮ぐ)。刮目のあれだ。瞼で眼球を、あるいは瞼がこそがれているよう、という事だろうか。なるほどねえ。昨日大家さんからもらった一式に入っていたビーフカレー的な物質を捻り出しながら、最後の方でぽとりぽとりと固まって落ちる、脂のカスみたいなものに微妙な感情を抱いていた。お前がいるから美味いが、お前を食っているかと思うと何とも言えない。食パンをちぎっては浸し、ちぎっては浸しして食べた。パンは、この食べ方が一番好きだ。パンくずがぽろぽろ出るし、ちぎった後のパンの形状によってはとても上品とは言えない迎え方をしなければ口に収まらなかったりするが、この食べ方というのはテーブルマナー的に良しとされるようなものなのだろうか。知らない。ルール無用マナー無用の店にしか行かないので。行けないので? 食事という枠組みの外でも何かを要求されると、意識が逸れて飯を食っている場合ではなくなりそうで。人と食う飯は美味いと言われる。そこに人がいるから美味いのか、そこにいる人と話を交わしながら食うから美味いのか。話を交わしながらだと、意識の焦点が食べ物以外にも結ばれがちになるが、それでも食事に対して向き合えているのか。まあ、でも、人との食事は、少なくとも、殺風景ではない。嫌いではないが、一緒に行く相手は選ぶ必要がある。あるいは、選ばれる必要が。主食となりうる食料が尽きたので、明日は食料の買い出しに行かなければいけない。ただ漂流するだけの意識レベルしか保っていないと、何もしないという目標以外に焦点を合わせるのがなかなか難しくなってくる。昨日の夜、寝付く前に、洗濯物を取り込もうかと一瞬考えて、やっぱりめんどくさいので起きてからにしようと思ったら、寝ている間に通り雨だか何かがあったらしく、屋根からの集中ドリップ砲火を浴びてバスタオル約2名がおじゃんになっていた。プロセスが完了したら、ただちに結果を評価し取り込むべきなのだろうなとは思ったが、この場面における反省はおそらく生かされる機会がないのではないかと思われる。晩飯に、鳥手羽の甘煮を作ったが、これと食パンって合うのだろうか。

フライド棘皮

辛いものを食べると鼻水が出る。鼻水が出ると、呼吸が難しくなり、食べ物の味がよく分からなくなる。なので、辛い食べ物は食べ物として位置づけるのが難しい。賞味できないからである。それを食する事を楽しめないものは、食べ物なのだろうか。考えなくてもよさそうな事を考えながら辛い晩御飯を作った。唐辛子とニンニクの油漬けと、山椒辣油みたいなやつで。唐辛子とニンニクのオイル漬けは、パッケージが中国語っぽいのでそうなのかなと思っていたが、むかーし昔に行ったタイ料理屋の卓上調味料に、これとよく似た風味の唐辛子のオイル漬けが置いてあった事を思い出した。中華、と言うよりは華僑っぽいのかもしれない。澄んだ辛さが油の匂いに乗って鼻を抜けていくこの感覚は、ほぼほぼあれだ。そこまで確かな記憶かどうかは自信がないのだが。8時くらいに一回起きて、それから12時前まで寝ていた。どうしてだろう。疲れていないのに。やはり、疲れる事がない状況に疲れている、という例のあれな気がしてきてやまない。いる理由がない、というのは、存外消耗する。何の話だ? 12時前に起きたのは、家のチャイムが鳴ったからだった。チャイム? ベル? 何と言うのが正しいのか。起きる前、近所のどこかで響く、スマホのアラームを感じてイライラしていたような気がする。スマホが出す音で一番嫌いなのは、LINE通話がかかってきた時の軽妙なあれである。万死に値する。百億回死ね。あのジングルが、どうしても生理的に受け付けない。家のチャイムだ。チャイムが鳴ったので起きた。私の方の家のチャイムは、一度玄関の門を開けてから、ドア横の壁にひっついているので、チャイムを押した段階で、侵入の可否を問う事ができなくなっている。ただ、よく考えると、少しではあれ家屋から離れた場所にチャイムを設置するというのは、リモートの問題がついてくる。となると、やっぱり、家屋にチャイムがひっついているのは至極理に適った構造なのだろう。玄関ドアを開ける。寝起きのすっとぼけたナリだったので起き抜けの腑抜けさを若干後悔したが、大家さんだった。近況をざっくり世間話した後、差し入れだと言って、諸々一式をくれた。マスクもあった。干しておけば2、3日繰り返して使えるから、と教えてくれた。絶で天破で言語道断なので死んでもやらないが、マスクの残弾が増えたのは素直にありがたい。外に出る事は食料の買い出し以外全然ないが。虚ろな無を切り分けても叩き売りしかできそうにないので。

jokey機関車

頭が麻痺している。鈍麻と言ってもいい。やる気とかそういうものではなく、生体としての積極性がどこかに行っている。いつもの事と言えば、いつもの事ではある。月が変わって、カードの支払い通知や使用通知が一番多いタイミングなのではあるが、一体どのカードがどの料金に紐付けされているのか、ほぼ覚えていない。いや、カードは大体一元化されているので分からない事はないのだが、それに紐付けられているあれこれが全く分からない。月初に落ちる料金は、一つだけ覚えている。光熱費やインターネット代は、いつ落ちているのか分からない。そもそも、レギュラーに落ちるように設定した料金の数が。4月は、色々あった影響で色々なかったので、銀行がある方向に行く機会がさっぱりなく、その結果家賃の払い込みを忘れていた。なので、昨日こっそり2ヶ月分払ってきた。1ヶ月分でもごっそり減るな、とは思うが、それがダブルともなると、少し身構えてしまう。金の話は難しい。欲の話をする上でも。5月だ。少し前に5月になった。ページをめくるどころか、本を丸々取っ替えてしまったかのように、気候がガラリと変わった。地続きではない。地割れをジャンプしている。ドイツ語で、気候はdas Klimaである。忘れないように。覚えたばかりの知識は、ひけらかす事で覚える事もあるし、それでも忘れる事もある。それは相手のリアクションが楔になったり、ひからかすという行為に感じる羞恥、後悔などだったりするのだが。4月は、末日まで寒いと思う日さえあった。なのに、突然暑くなった。暖かくなった、ではなく、暑くなった。寝る時に掛け布団をかぶると暑いし、昨日の夜は換気のために網戸を走らせて窓を開けっ放しにしたまま寝ていたのに朝気が付いたのだが、全く寒くなかった。むしろちょうどよかったのではなかろうか。随分と様変わりを急いだものである。私は、部屋の隅で吹き溜まった頭髪と埃のコンプレックスのように淀んでいるが……。掃除機をかけたいが、掃除機をかけるアクションに到るまでのバイタリティが湧いてこない。ヴァイタリティ。バ? ヴァ? まあいいか。甘美な響き! 嘘である。しかし、胸裡から欠け落ちて久しい要素である事には違いない。おつとめ品で買ってきたランチパックに、春のパン祭りのポイントシールが貼ってある。剥がしたい。取っておいても、春のパン祭りには参画しない。そんなにポイントが溜まるほどパンが好きではない。付加価値を無駄にしている気分にさせられるのは、なんだか納得いかない。

抱えた肥溜め

この前業務スーパーで買ってきた、チョコチップクッキーは美味しくなかった。まずそもチョコチップが美味しくないし、クッキー自体の味わいもほとんどない。美味しくないチョコチップクッキーというのは、なかなか想像するに難いものだったので面食らった。個人的に勧めたいその系統のクッキーは、森永のセサミストリートが印刷されているやつと、ミスターイトウとかいう、他で全く知らないやつの2つである。森永の方は、そこそこいいところの茶菓子にも入っているほどその実力は折り紙つきなので、私からわざわざ持ち上げる必要もないだろう。問題は、ミスターイトウなる、who is this? なメーカーの方である。他の商品は知らない。が、チョコチップクッキーは滅法美味い。5枚入り×2パックという、かなり大振りな作りである。クッキーは少し粉っぽく、適度なサクサク感がある。ここは個人の好みによるだろうが。チョコチップが美味い。甘さはあるが、クッキーのこんがりした風味に寄り添う強めの苦さが癖になる。チョコチップ一粒も同類の中ではかなり恵まれたサイズであり、5枚食べると相当の満足感が得られる。スーパーで見つけたら、食べてみるといい。今日は見当たらなかった。食品トレーや牛乳パックなど、溜まった資源ごみを排出するために最寄りのスーパーに行った。資源ボックスに行ったら、黒いビニール袋で被覆されていて、「コロナウイルス感染予防のため、5月1日から回収を中止します」との張り紙がしてあって憤死した。ぷくぷくに膨れたエコバッグを抱えて行った先で拒絶され、ぷりぷりしてしまった。というか、買ったものを入れて帰るエコバッグが容量的に死んだので、ユーザビリティの面で失敗した。予測できた事ではあるので、少しは調べればよかった、かな? この時間帯は混雑しているので避けてね、という張り紙が店内にあったが、なかなか避けるのも難しい時間帯で、生活と実践の棲み分けの微妙さを感じた。ランチパックがワゴンで安売りされていた。ごっそりとモーセが海を割るように欠品していたカップ麺もほぼほぼ元通りになり、一時見たような恐慌状態からは立ち直ったようである。レジにビニルの皮膜が、それは粗雑で適当に渡してあり、微妙な気分になった。生徒会役員共のアニメを2期まで観終わった。ずっとニコニコしながら観ていた。普段頭の中で考えているアレなネタがぽんぽん出てくるので、精神的排泄に似た快楽がある。

贅肉の取り回し

晴れたので洗濯物を干した。2時間くらい、洗濯機がプロセス完了のシグナルを寄越してから放置していた。忘れていた。何日洗濯物を回していなかったかは、パンツの枚数を見れば分かる。一般的な家庭においても、およその家族構成を把握していれば、パンツの総枚数を頭数で割る事で洗濯物のペースを看破する事ができる。さすがに4人以上ともなると、毎日回さなければ洗濯機の方がパンクしてしまうだろうが。今日は少し暖かかった。暖房をつけると不快な程度だったし、窓を開けて膝掛けを乗せてちょっと暑いかな、くらい。ようやっと、駆け込みで春が来たのかしらという感じ。ヤマザキ春のパン祭りには長年参加せず仕舞いのままずるずる来てしまっており、あの国民的行事のひとつに参画していないというのはまあ別に取り立てて言う事はないのだけれど、深層意識ではあるのだろうなと薄々勘付いていた、「ヤマザキ春のパン祭りにおける1点あたりのコスパが最もよいヤマザキ製パン商品番付」をこの前発見して、この世の懐の広さ、無意味を排斥しない無感情な寛容に天を仰ぎ涙を流したものである。各項目に付されていた寸評を見るに、どうやら長年のスパンで観測された確かな知識がバックグラウンドに感じられ、これは信用できると思ったものである。私は、その人が書いた文章を元に人物評価を下す癖があって、おそらく一生治らないのだが、祭りコスパの人は信用できる、と思う。そもそもコスパを気にしながら祭りを楽しめるのかしら、と不安にはなる。食料が減って、最寄りのスーパーまで行くのも面倒だったので、コンビニで飯を買った。珍しい。よほど疲れているか、心が変質しているかだと思われる。ハンバーグカレーチーズドリアと、わざわざコンビニで買わんでもええやろと思ったポークフランクを買った。意味のない事には、カップ麺のように湯を注ぎたくなる。ポークフランクは、思ったより美味かった。脂身がとぅるんと、親指の爪くらいのサイズのやつがこんにちわするような大ぶりの粗挽きで、業務スーパーで買ってくるような嫌味な化学調味料感は薄い。ついてきたケチャップ&マスタードが、小学校の給食でパンについてきたマーガリン&チョコのあのタイプで、少し懐かしくなった。カレードリアの方は、かなり微妙だった。まず容器の底が浅い。「んっ」ってなる。サフランライスがぱっさぱさで、非常備蓄用の水入れたら戻るピラフみたいな貧相な味がした。カレーとチーズとハンバーグは、基本的にどう調理しても不味くはならないので食えた。難しいな飯は。

 

 

 

 

 

コンビに食事

カップ麺容器、泡