他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

nullificator

高野豆腐を使った。最後に使ったのは、一人暮らしを始めた18歳とかその辺の時に、おずおず試したのが最初で最後ではなかろうか。そもそも最初と途中について記憶がない。使ったという事実は頭の中にある。その真偽さえ、ちょっと眉唾ではあるが。味噌を溶いて、軽い煮物みたいな形にしたはずなのだが、味噌の味が99%くらいどこかに行っていた。あれ、味噌、ちゃんと溶いた……? 溶いたよな……? と記憶を疑うくらい味が揮発していた。煮込むと、熱で風味が飛んだりはあるが、味が飛ぶというのは初めての経験である。高野豆腐が、その性質でもって全てを含み上げたのかもしれないが、しかし高野豆腐からは出汁の昆布の味くらいしかしなかった。材料の様々な要因が複合した結果、味噌味がどっかに行ったのだと結論づけるしかない。味噌味は、字面的回文だなといつも思っている。あまりこんな言葉はないような気がするが、考えればたくさんあるものかもしれない。可能性とはそういうものである。水に浸けて戻した高野豆腐を搾りながら、これは本当に食べ物なのだろうかと疑いを抱いた。しつこい汚れを落とす用のスポンジでも間違えて買ってきたかと、そう言われたら一瞬そう思うくらいには食べ物らしくない。燻んだ黄色と茶色の合いの子みたいな、無機質でぼそぼそした表面は生気がない。うまく煮含めればうまい食べ物になるのだが、始点と終点の間が隔絶し過ぎているというか、見た目が0のまま本質が100に到達するみたいな、そういうものに感じられる。あつあつおでんを食べるという、誰が得するのかよく分からないアクティヴィティがあるが、あつあつ高野豆腐もかなり凶悪だと思う。ネギと似たようなもので、油断して噛んだら内包されていた熱線兵器、もとい煮汁がスプリンクラーのように出てくる。煮物界のマーライオンと言ってよい。マーライオン界のマーライオンとこれ以外にマーライオン相当の物体があるかどうか、答えを持たない。ないんじゃない? 机横に適当に積んでいた本の山が一部崩れて、ある本がおっぱい製品に接触し、ピンクの油が染みていた。非常に真面目な本なので、それが部分的にエロ製品の残滓に侵食されている様子が妙におかしい。油に若干の色味がある事も知らなかった。バナナうんちとは言うのに、パイナップルうんちとかりんごうんちとかぶどううんちとか、他の果物が比喩に持ち出される事はない。バナナが可哀想である。

バネ仕掛のバネ

今日も精神復調の兆しは見られなかった。焦げるような、やべー、という感覚がなく、白い絵の具に白い絵の具を練り混ぜているような、平坦で色味のないやべー、しか湧いてこなかった。それがやべーのではないか。まだ若干寒いので、春は来てからお手洗いに立って、そのまま帰ってきていないようだ。私は回数が多い方だが、春は一回一回が長い方なんだな。コントではないが、トイレに立っている間に悪口を言われるタイプかもしれない。こんなに何も湧いてこないのは久しぶりだ。笑いが出てきそうになる。何回か言った事のある、電源コードの皮膜を取り除いて、中の金属線をばらばらにほぐしたみたいな、精神が放射して散逸して、それでそのまま帰ってこない。つまり源泉の私からはある程度の量がなくなり続けているわけだが。奇天烈な文章しかタイプできそうにないのでやめよう。やめよう。キテレツ大百科の話をしたら、知らないと言われたのを思い出した。私もアニメしか観た事がないが、知らないのか。そうか。

スクラップリン

書く事がないというか、書く気がないというか。大丈夫か。自分の事が心配になる。空白がすごい。目と鼻の先の近所で工事が始まったらしい。始まっているらしいのだが、電柱もどきみたいな物体が立っただけで別に何もない。味噌を溶いてない味噌汁みたいな状態になっている。いつ固形に戻るのか。

ハドロンヌアヌス

食が適当になっている。疲れているのだろう。自分ではよく分からないが。疲れていない状態ってなんだ、と考えると、それはそれでよく分からないので、疲れていないのかもしれないしそうでないのかもしれないし。机横のスペースに、読み終わった本を放り過ぎなので、片付けた方がいい。しかし、押入れの中の底面における有効面積は使い切ってしまい、新たに本棚を導入するか上に積むかの二択を迫られ、結局後者を選び続けて今に至っている。こういう事をするから、自分がどんな本を持っているのか分からなくなるのだ。雨は降らなかったが、どうにもぱっとしない日和だった。洗濯物を出すだけ出したが、どうせ乾いていないだろう。夜のうちに降られると嫌なのだが、今取り込んで明朝再度出すのもめんどくさい。これはギャンブルだ。しばしば負ける。カーテンを買ってからはカーテンを閉めっぱなしなので、外が見えなくて、干しているのを忘れている事もある。魚の干物を食べ終わった。魚はおいしいが、部屋が魚臭くなる。当たり前だけど。干物なのでまだましだが、鮮魚となると、特に内臓がすごい臭いだ。それだけ何かしらの成分が濃厚に詰まっているという事なのかしら。今日は書く事も書く元気もない。大して何もしていないのに。

読めないな

古紙再生から、カレンダー2ヶ月分くらいが帰ってきたのではないだろうか。寒いし雨が降るし風は強いし。残念ながら外出の用向きがあったので、ズボンの裾がびしょびしょだ。雨は垂直に降るだけならまだいいのだが、風で煽られて斜角に振ってくるのがよくない。こっちが何のために傘を差していると思っているのか。人からお土産にもらったイギリスの紅茶がおいしくてしこたま飲んでいる。おいしいのはそうだが、やたら小用が増えるのが困る。元々が頻尿だが、輪をかけてそうなる。これは私の抜き難い性癖のひとつなのだが、あるものをいいと思うと、それだけでよくなる。これを愛着と見るか、怠慢・停滞・思考停止と見るかは人によるだろう。書こうと思っていた事を忘れて、携帯のメモ帳を見て思い出したが、わざわざ書くほどのことでもなあ、と思い直したのでやめる。こういうのは、こういうのを聞いてくれる友人ひとりにひとくさり話して終わらせるくらいがちょうどいい。ぎりぎりいる。元気かどうかは分からないが。なくなったな。数年ぶりに日めくりカレンダーを見た。古い、蕎麦屋とかカツ丼屋とか鰻屋とか、そういうところ以外で見なくなった。非合理なような、合理的なような、扱いづらく、持て余すところがあって、そこが長所でも短所でもある物体だ。今日がいつかは分かるが、今日が週や月、年の中でどこにあるかは分からない。顕微鏡的カレンダーと言える。あれを破った後、燃えるゴミにするのか資源ゴミにするのかで、その人の価値観が分かる気がする。そうでもないかも。私は貧乏性なので資源ゴミにするが。人の金でおいしいものを食べた。おいしかった。やっぱり話は合わなかった。私がピンボケなのだからそうだろうが。ピンボケってどこかで見たな。アンドロイドは電気羊の夢を見るか、に出てきたんだったかな。覚えてない事も覚えているもんだ。

全々

春のパンツ祭り。あぁ、春のパンツ祭り。そう言われれば。なぜ考えなかったのだろう。私は何も変な事は言っていない。いや、いつも通り変なのかもしれないが。ヤマザキ春のパン祭りは知っているだろう、多分。ヤマザキパンの商品を買うと値段に応じた得点シールが付いていて、それを一定点数集めるとお皿と交換できるというキャンペーンが毎春開催されており、それがヤマザキ春のパン祭りである。これをもじると、春のパンツ祭りになるのだ。エロショップの店頭に広告が張り出されていて、アダルトメーカーの主催であって、ランジェリーとかなんとかが当たるようなものっぽかった。人通りが多いところかつ移動中だったので、まじまじ見るわけにはいかなかったのだが、それは確かにパンツ祭りのようだった。なぜ人生で、一片たりともそれを発想しなかったのか、ほどほどに悔やまれる。よく分かっていないまま書くが、詩とは1か0のものなのかもしれない。するりと入ってくるか、さっぱりピンと来ないか。今日は疲れたので頭が痛いし、春がこけたまま戻ってこない。雨は嫌なんだ、濡れるから。

白状者

よく分からん、どうでもいいところで手を怪我した。変なところで手を抉ったのである。私は分かりやすい疾病をしない。また液体絆創膏を借りた。一回目か二回目の皮膜が破れて血が垂れたので、上から塗り直してある。酸化して黒くなった血と、まだ空気に触れていない鮮血とが混ざり合っている。色が変わる前の血は、確かにきれいな色で、良くも悪くも取り憑かれてしまう人がいるのは、気持ちが少しだけ分かる。手術なんかでこの色が迸ったら、脳味噌がこの刺激を処理しきれずに沸騰してしまうだろうなという気持ちもある。赤い花が咲いていたが、あれは梅だろうか。多分梅だと思うのだが、私のぼんやり具合では信じ難いところがある。桜だけ見られて(これは受動態)、ずるいと他の花は思っていないのだろうか。梅だって百日紅さるすべり)だって、パンジーだってチューリップだって見られたいのではないか。それを言ったら、月だけ見られる(これも受動態)のはずるいと、水星とか木星とかが言ってきてもいいわけだ。謙虚だな、彼らは。

葉と花弁が逆になったら

桜が咲いている。花びらが地面に落ちた時から、汚くて邪魔になるので、いい瞬間が難しい鑑賞物だと思う。唾液みたいなものだと思っている。体毛とか。くっついている時よりも、持ち主を離れてものそれだけになった時の方が、仕様のない生理的気持ち悪さを感じる。白が強い桜は、光が強く出ている時は色がすぱっと抜けて綺麗だが、曇っている時に見ると、どこかから黄色が現れてきて、尿で黄ばんだ精液みたいな色になる。葉っぱが出始めると、葉の緑色のせいなのか、似たような感じになる。その下で花見をしているようなもんなのだ。こんな事を考えながら桜を見ている人はいないだろう、多分。いたらどうしよう。あぁ、この人もそんな事を考えてしまう人なんだな、と思うか。ひまわりとか紅葉とかに、本来の筋とは関係のない、イメージの地下水脈で偶然繋がってしまった連想がくっついている人もいるだろう。そういった類の、配線ミスというのか、尋常でない回路が見たい。森鴎外のウィタ・セクスアリスが新版になって岩波から出ていたから、つい買った。性生活の遍歴が云々、とか書いてあったので、これは読もうと思って買ってしまった。晩飯を作るために流し台に立っている時、他人と関係する事が私の人生の究極目標であって、その手段というか、着目している形態が性とかセックスとか、そういうのなのではないかと気が付いた。これは感得されたわけではないが、そうかもしれないし全然そうじゃないかもしれないし。納得がいく内容ではある。ここでいう関係とは、最も広い意味である。手垢が積もりすぎて下層の方では化石資源が取れそうな表現で言えばコミュニケーションという事になるのかもしれない。切り口がそうなのかもしれない。もしこれが真であるならば、難儀なやっちゃなあという感想である。自分の精神状態が自分でも分からない状況が極まったため、持っているカジャラのDVDを観返していた。買った時に観たきりか、もう一回観たか程度である。ものすごい笑った。やはりというのかさすがというのかあるいは両方なのか、ともかく小林賢太郎である。どうと表現するすっぱりした形容詞はない、小林賢太郎のものだとするしかないが、これがもう劇場で観られないんだな……。ラーメンズの公演を、劇場で観たかったものだ、本当に。エイプリルフールは嘘をつくとか、弊害が出かねない弊習はやめた方がいいと思う。プリンを作るとか逆立ちをするとか、それ以上どうしようもない行為がそのポジションに収まればいいと思うが。

種違いの

スーツをクリーニングに出そうと思ったら定休日だった。全く来ていないし、買ったのも3年前くらい、もっと前かもしれないスーツを、一回も洗った事がないという事実に気付いたからである。開いてなかったわけだが。明日持っていくつもりだが、クリーニングに持っていくのは初めてなので、クリーニングに出しに来たんですけどどうすればいいですかと聞こうと思っている。どうすればいいのか全然分からん。あたしンちで見たクリーニングの場面しか知らない。どこがカタカナだったか調べたら、あたしンちのアニメがYouTube公式チャンネルにアップロードされている事を知った。マジで? 少なくとも600話くらい見えたが、あれってそんなにやってたんだっけ。一回の放送で二話、三話くらいやっていたはずだから、にしてもかなりの長期放送だ。はえー。服を買った。それなりの量買った。ユニクロやGUに行くのさえ緊張するので、カジュアルブランドの店であっても息が詰まる。サーモグラフィで見たら、不自然な体温分布になっているに違いない。それくらい調子が狂う。店員と私の存在するレイヤーが別になっていて、店員側のレイヤーについている目玉マークを押したら、パッと見えなくなってほしい。いるのは構わないが見えるのはそれだけで気になる。ラーメン屋の制式服みたいな無地のTシャツとか、よく分からんシャツとか、レディースのパーカーとか、うっすい生地の履き物などを買った。3番目のやつは、レディースではあるが、デザインが気に入ったし、昔から母のおさがりを着ていたりしたので、気にするポイントじゃなくね? と思う。最後のは、夏用らしいが、すごい薄い。アパレル界の0.01mmコンドームと呼びたくなるくらいに薄い。さすがに皮膚は透けないが、ちょっとおしっこを漏らしたら、パンツに染みた分がたちまち見えてきそうなくらい薄い。あれくらい精の薄い生地だと、ポケットに物を入れたら気になるだろうな。一長一短といったところか。ついでに靴も買った。現品限りのサイズ残り品で、楽器の、飴色のサンバーンみたいな、きれいな色をしている元値1万と2000円くらいの革靴が8000円くらいであって、ごくごくたまに襟を正す必要のある人に会ったり会わなかったりするから、こういうのを持っておいてもいいかなと思ったのだった。買えなかったが。正確には、買えたのだが取り消しになったし持って帰れなかった。片方は表示サイズだったのだが、何をどう間違ったらそうなるのか私は分からないし会計をしてくれた店員の人も分からないだろうけれど、もう片方が1.5下がるサイズだった。揃いではなかったのだ。どうも、片方だけ色が違うが、これも革靴の個性というもの、それとも手前に出ているものは位置のせいで日に焼けているのかななんて思っていたが、たしかに中指と薬指くらいの差があった。短い時間のうちにたちまち気に入っていたのでなかなかがっかりしたが、次善くらいのものは見つけた。いいな、と思ったものは大概高いので、育ちはそんなによくないわりに、物欲というか、いいものを見る目はあるらしい。

泣いて涎を垂れる

引き続き、ほとんど何もしなかった日である。むしろ、私が何か積極的に何かをやった日をマッピングした方が早いかもしれない。一年のうち、祝日の合計日数くらいにはなるだろうというか、くらいにしかならないだろうというか。キッチンの棚下に保管して、使ったような使ってないような鶏油を捨てた。さすがに、作ってから二週間? 三週間? くらい経っている、のだろうか。いつ作ったか覚えてない、気候もあたたかくなってきたし、カビ的なそれとか衛生面での問題がまずいかなと思って、捨てた。水っぽい鶏油が、若干危ない方のニュアンスを漂わせた香りになっていた。実際の物理状態としては、上から順に、ネギの青い部分、鶏油、水のおおよそ三層である。鶏皮のゼラチン質が居残って、水の部分もぷるぷるして、塊でこそげ取れた。何をしているのだろうとは思った。夏だったらもっとやばい光景が見られたのだろう。見たくないが。キッチンで衛生問題が発生すると諸々やばいので、起こってほしくないが単純な現象としては見たい。人格が分裂しているのか? 起きる前に、それなりの寝涎を粗相した瞬間的な記憶があったので、シーツを洗った。もうおねしょはしないが、半年に一回か、もう少し短いスパンで、涎は垂れる。人間は全身から何がしかの水分が出る。身体の6割だか7割だかが水分なのだから、まあちょっとくらいは垂れるものだろう。水をなみなみ湛えたコップをふらりふらり持ち歩いているようなものだ。涎だから、生理的に嫌なのでシーツを洗うのだ。洗う手間が生じるのだ。寝汗は、自分の意識では認知できないので無視するとして、これが涙とかだったらいい気がする。涙が、寝ている、無意識や半覚醒の時に、縁を転げ落ちるようにして、どろっと。でっかい雫が4滴くらい。涙は目玉の洗浄機能が一連発現した結果なのだから、そこまで目くじら立てるほどばっちいものではなかろう。涎じゃなくて涙が垂れればいいのだ。起きたら枕がしっとりしているのはあまり気持ちのいいものではないかもしれないけれど。何か嫌な事でもあって、寝ている間に思わず泣いてしまったのかと自分が自分で心配になりそうだ。普段やけっぱちでぼんやり生きている、私みたいなしょうもないのは、涙が垂れる方がいいかもしれない。乗越駅の刑罰だけ読むのもなんなので、同書所収の他の話もちょっとだけ読んだ。あの話は記憶の中で一番やばかったが、新宿コンフィデンシャルや、カンチョレ族の繁栄も相当なものだ。Kindleは、その章を読み終えるまでの目安時間を表示してくるのが気に食わない。

夏菊

昨日は、全てのエネルギーを使い果たして終わった。今日は、昨日のそれがあったので、それはもう、何もしなかった。バッテリーには100%しかないのだ。本当に何もしなかったが、住宅火災保険が切れたとか、処理しなければいけない書類が何通か来ているのを思い出した。火災保険はさすがに更新した方がいいと思う。いつ何時、燃えたり倒れたりするか分からないものだ。火災保険だから倒れたりしたらダメなのか。火災の損失を一身に背負えるほど私はちゃんとした人間ではないし。何もしてないから、言う事がないんだな。人からもらったチーズが、ジップロックに入れてあるはずなのだが、冷蔵庫の中で臭気を振り撒いている。さすがチーズだ。私の意識には、非常に強烈に、取り除き難く、チーズ=プロセスチーズの式があるので、プロセスチーズ以外のチーズを見ると、どうしても「偽物か……?」と思ってしまう。本当にそうなので困る。ねっちゃりしたやつとかぽろぽろしたやつとか、カビで筋が入ったやつとか、全部そうだ。この前髪を切ったばかりなはずなのだが、また伸びた(気がする)。代謝がいいのが、良いのか悪いのか。昨日尽きたエネルギーは、まだ回復しそうにない。

だから

もう上着はいらないのではないか。あってもいいが、なくてもいい気温だった。春だから、で許される行為の範囲は、どこからどこまでなのだろう。あるいは、今は、春だから、なんていい加減でおおらかな、良くも悪くもある尺度は居場所がなくて、春だろうがなんだろうがダメなもんはダメ、な感じなのだろうか。まあ、春だから、が許されるなら、夏だから秋だから冬だからが許される事になる。暑いから、空気が乾燥しているから、木が葉を落とすから、寒いから、雪が降るから、霜が降りるから、……。酒が呑めるぞ、のあの歌と変わらなくなってくる。根本にあるのは、あれと同じような、かわいらしい、人間的な転倒だとは思う。『エロ事師たち』をまた読み終わったが、これは本当にいい本である。誰が何と言おうと、私にとっては燦然と輝く素晴らしい本だ。ある点において、これを凌ぐ本はないだろう。でも、今日も量は書けないな。春だからか?

直上

用があって外に出た。知らない神社にお賽銭を投げて時間を潰した。二礼二拍手一礼だったと思うのだが、賽銭箱の後ろに文言を書いた札が立ててあって、そっちを読み上げてよしとした。神社の石段が急なのは、ハンバーグに豚肉が入っているのと同じくらいな確率だと思われる。昔金比羅山に行った時もすごかったような記憶がある。最寄りの駅から帰ってもよかったのだけど、ひとつ隣に、以前人に連れて行ってもらったいい感じのイタリアンか何かの店があったなあ、と昨日からぽやぽやしていて、もし隣の駅が記憶の中のそれと同じであれば(自信はなかった、私は歴史地理に対しての感覚が壊滅している)、行ってみてもよかった。一駅なので、ちょうど桜も咲き始めたし、きょろきょろしながら歩いた。私はきょろきょろしながら歩いている。壁に描かれた落書きとか、店先に出してあるメニュー表とか、どうでもいい情報を、目を小皿くらいにして見ている。見ているだけで覚えていない。途中で、ちまっとしたイタリアンの店があって、豚バラのビール煮込みみたいなメニューがあって、美味しそうだったので、一回通り過ぎてから、引き返して入った。こんな事ができるようになるなど、18歳の頃の私は考えてもいなかったのではないか。そもそも知らなかったかもしれない、こういう行為がある事を。セットメニューで一緒にプレートに乗っていた黒ライ麦パンが一番美味しかった。玄米といい、こういうのが好きなのだな。ショートブレッドくらいのサイズで乗っていた焼きリゾットもよかった。コーヒーを飲んだら、夕方は具合が悪かった。茶はいいがコーヒーはダメらしいが、理由は分からない。カフェインの程度とか性質とか、そういうやつか。なので今も気分が悪い。

どちらから見て負け戦

これはものの例えだが、材料がなければ、サンドイッチ屋はサンドイッチを作れない。作ってくれと言っている本人が材料を寄越してこなければ、何もする事がないのである。パン切りナイフを研いだり眺めたり、昨日のパンの耳をラスクにしたり、それくらいしかやる事がない。あるにはあるが、本筋ではない、と言うのが近いのだろうか。いつもの私の世迷言かもしれない。さっき、晩飯を食べている最中、どういう角度でそうなったのか、舌の中ほどを歯で食い破ってしまい、どうしようもない位置で口内が損傷していて常にじわじわと痛い。本当に変なところがちくちくする。困ったものだ。困ったものは、大体そうなったら困る時に発生するから困るのだけど。しばらく消息を聞かなかった人について、聞き及ぶ事があった。それについて、それはもう、たくさん思うところ考えるところあったのだが、書ける事はひとつもない。デリケートだし、書きたくないし、という二つの点で。水は方円の器に従うが、水でないものはどうすればいいのか。自分の中に在る原理が出した答えを否定された時、その答えを自ら否定して引っ込め自らの横死を認めるか、その答えを掲げて勝ち目が高い朧昆布くらい薄い戦いに身を向けるか。内に持っている原理が、現行のそれと合わない場合、その時点で何をやってもだめなのだ。こんなにやるせない事があるだろうか。そんな事を考えた。