他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

瀝青の性癖

「見るも無残」と言うが、無残だと、「残って無い」というわけだから、視覚によって知覚されるべき対象物がそこに存在しないわけで、それはつまり物理的に即物的な意味で「目も当てられない」という事ではないだろうか。奇しくも、いや私が詳しくないだけで奇しくもなんともないのかもしれないけれど、「見るも無残」と「目も当てられない」は全くではないにしろ同じ意味である。目から鱗とはこの事だろうか。そうでもないか。目からフケくらいなものだろう。……。眼球から頭部組織の搾りカスが排出されるとは、それ如何にという感じではあるが。目から鱗は、思ってもいなかったような視度からのアイディアなどに対して使われていると思う。青天の霹靂も近いと言えば近いだろうか。青天の霹靂もなかなか凄まじい情景を想定したぶっとび慣用句だけれども、それはともかく。魚の鱗を取り除く作業をした経験はあるだろうか。なくてもいいので、「魚の鱗がどんなものか」という一点のみに絞って、想像と経験に基づいた思考を巡らせていただきたい。……。どうだろう。十分に巡っただろうか。放流した思考が川を遡上して卵を産み付けに来ただろうか。そのコロンブスの卵を塩で美味しく頂きながら、話を聞いてほしい。ずばり。魚の鱗って、そんなに目を塞ぐようなシロモノではないと思うのだ。一枚一枚が小さくて、薄くてだけどしっかりして、とは言え色味が付いていたとしてもそれは半透明だ。そんなしょぼいマテリアルが眼球から剥離したとて、「うわあ! そんな事考えもしなかったよビックリすごいなあ!」とのリアクションには至らない気がする。比喩として物足りない気がする。瓢箪から独楽が出るほどに驚きはしないだろう。鱗が数万枚単位でレイヤーを形成した、めちゃくちゃごつい鱗のカタマリがごろっと剥がれれば、それは目から鱗だろうが(それ以前に、そんな文字通り目の上についていたたんこぶがいなくなった事で覚える爽快感の方が上回りそうな気もするけれど)、小指の爪ほどもないような欠片が視界を塞いでいたところで、多少の不便こそあれ、決定的な思索を妨げるほどの障害にはなり得ないだろう。龍鱗ほどにイカしたブツであれば話は変わってくるだろうが、お魚の鱗では少なからず大いに心もとない。もし眼球が女性のおっぱいだとすれば、乳輪くらいしか隠せていないだろう。そんな格好で外出に乗り出せば、それは痴女である。なぜおっぱいを見て嬉しくなるのかといえば、それが普段は覆い隠されていて捉える事が叶わないからに他ならない。おっぱいという大発見を妨げるのに、おっぱいという大発見の価値を高めるのに、鱗、お前ではこの役目を務めるに足りない。これから以後は、目から鱗ではなく、「目からブラジャー」が辞書の項に立てられるべきなのだ。

ふりかけご飯とカレーライスみたいなもん

外で飯を食った。その写真である。

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この2つは同じものだ。さすがに嘘と分かるか。嘘である。でも、ほとんど同じだった。左がNachosで、右がBurittoである。料理には明るくないゆえ、そういう名前のものを注文したらこれが来たのでこれらがそれらの名称で呼ばれているという事実を知った。なちょすとぶりっとである。ナチョスとブリットである。ひらがなで「なちょす」って書くとすごく可愛いな。「そんな事あるわけなちょす!」みたいなセリフがありそう。ナチョス=ドリトスみたいなやつを敷き詰めて生地にしたピザ、ブリット=クリームチーズとpulled porkがパンパンに詰まったトルティーヤに、これでもかと言わんばかりにチーズとpulled porkが乗っており、それをドリトスみたいなやつが囲い込んでいる何か、であった。共通項としてはドリトスっぽいものが大量に、それは大量にどちらにも採用されていた事であり、そのせいで食事に飽きが来るのも極めて早かったと言える。ドリトスっぽいものと表現し、ドリトスと言わないのは、ドリトスを食べないのでドリトスが分からないからである。形状などからなんとな〜く類推するに、ドリトスっぽいね、と結論づけただけだ。3口くらい食べた時点で、「サイドメニューにナチョスを追加する必要は全くなかったな!」と後悔した。ナチョスとブリットが大体一緒なので、箸休め或いは口直しにならないのである。互いが互いの延長線上にあり、両手に花とはとても言えない。片手に胡蝶蘭の鉢みたいなものだった。うぇっぷうぇっぷになりながら、とりあえず完食はした。今写真を見るだけでも胃もたれしそうだ。pulled porkも、なぜだか知らないが甘いのだ。甘い、チーズ、クリームチーズ、油、油、油と来れば、胃袋がきりきりと悲鳴を上げるのも当然、ぼっち飯がそれ相応なものになってしまった。隣ではスキンのおっちゃん達が、フットボール試合の展開に一喜一憂していた。うっぷ。なかなか褒めたくない締めくくりとなった今日は、朝遅く起きて、昼下がりまでぼぉーっとしていた。あらかじめ言われていて、行かなければならない用があったけれども、それもすっぽかした。留守電が9件くらい入っていたのが面白かった。昨日色々あったので、そして先方もそれを知ってはいるので、すっぽかしても実害はないと言えばない。とはいえ、何かをしなければそれはおおよそ必ずブーメランで返ってくるもので、手を煩わせなければならない事ができた。「煩」という字の成り立ちが、ふと気になった。

なるべく凹凸は作らないように

昨日何を書いたか覚えていなかったので読み返した。読み返そうとして、タイトルを見て内容を思い出した。〆が、しょうもないというか、こういう事をしないと落ち着かない精神をしている事も思い出した。絶対ここに帰着させよう、と940字くらいから考えていたに違いない。益体と言うか、利益も実体もない話をしている。まだ見ぬ慣用句に想いを馳せ、勝手に話を転がし風呂敷を畳んでいるのである。陽の光を知らなかった風呂敷を引きずり出して、明るい場所の存在を知らせた事は罪である。時々そういう事をしては、ほっかむりをして人生をのうのうと生きている。明るみを知らない方が、主観的であろうが客観的であろうが幸せである場合もある。風呂敷の目を明かしてしまった事、その行為が持つ意味合いを忘れてはいけない。以上のような事は微塵も思っていない。そういえばそういう可能性もありますね、ヘラヘラ。これで十分である。もし言葉が実体化して人間に叛逆の狼煙を上げた時が勝負であるが、今のところそのような事象が起こる可能性は大変低そうなので、期待も恐れもしないでおく。とりあえず引き出しや箪笥の中をひっくり返し、出てくるだけのもので部屋を埋め尽くしておこう。ゴミ屋敷に見えたとしても、中に住んでいる当人にとってはかけがえのないアイテムばかりであるかもしれないのだ。ここまでの事は極めてテキトーに書いたので、私が本心からそう思っているかどうかは定かではない。自分でもよく分からない。今日考えた事も、ただいま振り返ると「なんでこんな事を思いついたのか?」と疑問符が列を成して更新するような内容だった。しかも、結構真面目な場で書き留めた記憶がある。本当に、なんだと思っているのか。で、その疑問というのが、「なぜパイズリオンリーエロ同人はあるのに、尻コキオンリーエロ同人はないのか?」というものだった。ロリ巨乳に搾り殺される同人ゲームをやった後、頭に浮上するに極めて相応しい命題かどうかは神のみぞ知るし、神も知ったって忘れたいと願うに違いない。神が願うにしても、どこに願うのか? 神もママのおっぱいを吸って大きくなるのだろうか? 話が逸れたが、前戯をピックアップした作品は数あれど、人生でまだ尻コキオンリーの作品は見た事がないなあ、と思ったのだ。現在Google検索にかけてみた結果では、なさそうである。ないのだろうか。尻コキオンリー合同。私が特別尻コキを好き好き大好き超愛してるわけではないのだけれど、なんだか寂しい気持ちになる。何がなくて寂しいのか、それもまた分からない。

チーズのお尻ってどこ……?

指がすぽすぽ抜けたら、マジシャンの解体ショーがあまり面白くなくなりそうな気がした。マジックショーで憂さ晴らしをする習慣はないので、別に構わないのだが、物事がひとつ変わると、一つ以上の事に影響を及ぼすのであるなあと思う。何日か前のロリ巨乳の里はクリアした。全部条件開けたし、全部エンディングも見た。とてもよかった。梔子が可愛いという感想だけがしっかりと残っている。梔子は可愛い。他の作品を見ると「あっれ〜、おっぱい小さくないですか〜?????」と本気で思ってしまうので、あの作品は功罪共に大きい。産業革命みたいなものである。産業革命も、ロリ巨乳に搾り殺される同人ゲームと同じ平面上に立ったのは初めてであろう。今、あなたは歴史的瞬間を目撃しているのかもしれないし黙読しているのかもしれないし、大したエピックではないのかもしれない。とは言え、普段の生活の中では絶対に組み合わさらない言葉同士である事には間違いないので、それなりに意義のある瞬間であると私は考えたい。費やした時間が無駄になるのは、好きな事に費やした時間が無駄になるのはあまり快く思えない事象であるから。「おせんべいを58時間無駄に焼き続けたぞ! おせんべい大好き!」とは、私は口が裂けても言えない。どうして例におせんべいを持ってきたのか、自分でもよく分からない。口が裂けても、と言うが、肛門が裂ける方が嫌だな、と散歩しながら思った。「口が裂ける」という言葉が指す口裂け度がいかほどのものか知らないし分からないし考えたこともないけれど、リップクリームを塗らないで過ごす冬の日に切れる程度であれば、まあ看過できる気がする。さてその一方対岸では、「肛門が裂けても組織の秘密は言わない!」と言っている健気な組織の犬がいる。さてさて。口が裂けるのも痛いと思うが、というか痛いのは間違いないが、肛門が裂ける方が痛いのではないか、と提案したいのである。なぜ提案するのか、と議論の卓袱台を引っ繰り返されてしまうと私が非常に困る。お前の番茶にイチジク浣腸を入れてやろうか。肛門の方が、大事そうで太そうで、いかにも身体にダメージのでかそうな血管が近い。そして、こちらの理由の方が私の意識の大部分を占めているのだけれど、肛門を裂かれるのって、多分、めちゃくちゃに格好悪い事だと思うのである。なんか、こう。喜劇的に誇張した切れ痔と間違ってしまいそうなのだ。こんな提案に耳を貸してもらえるとは、下の口が裂けても言わないけども。

余りの出る懊悩ばかりであるから

まだ懐かしいと言うには早すぎる気がするが、少なからざる因縁のある場所を訪れた。別に悪い事があったわけではない事もない事もないような場所なのだが、かと言っていい事があったわけでもないのであまり気の進まない場所ではあった。離婚して親権を預けた子供に会いに行く親は、こんな心持ちなのだろうか。それはまた別の話なのか。ともかく、いちおう一通り歩いてみて、途中で膝からくずおれそうになり、思考が全くまとまらず、皮膜を取り去ってほぐしきった導線みたいに成り果てたので、心の底ではいい思い出の刻まれた地とはカテゴライズされていないのであろう。ここを歩きながら死ぬ事を考えていたな、とか。心が折れないようにするために、音楽を聴きながら歩いた道で、イヤホンをさしていないのにその曲たちが聞こえてきたりとか。場所は変わらないが、人は変わったり変わらなかったりする。その景色にべったり塗りつけられた思い出が立ち上ってくるたびに、頭の中の固形物が雲散霧消して、それがなんだか格好悪い事に思えて、必死に何かを考えているふりをしていた。隠すために、すごく不機嫌そうな顔をしていた。不機嫌そうな顔をしているのはいつもの事か。ここで鳩が死んでいた、ここで猫が死んでいた、そんな事はやたらとよく覚えている。シミというやつだろうか。そのようにストレスフルな散歩をしたせいで、精神に負荷がかかり、してもしなくても直ちには困らないどうでもよい買い物をした帰り、「身体中のパーツが着脱可能だったらいいのに」と考えていた。肩を抜いたり、指を抜いたり、太腿の前半分だけをパカパカ開閉したり。モノに当たる事ができないから、でも自分ならいくら傷つけても痛むのは自分だけだから、自分の身体を身体をモノとして扱えれば、それはとっても不健康な事なのかもしれないけれど、短期的な視点ではスッキリできるのに、と不満だった。引っこ抜けるわけはないのに、体内から来る不安感とか色んなごた混ぜに任せて右手の五指を引っ張るモーションをしていた。すぽ、すぽ、すぽ、すぽ。『そらのおとしもの』でイカロスがこけしの頭をすぽぽぽぽぽぽとしていたように。眼球を取り出して、力の限り壁に投げつけるのでもいいかもしれない。ちょうどよくバウンドして、眼窩に帰って来る遊びに気づいて、目先のストレスからは逃れられるかもしれない。自分の胃を取り出して、十二指腸のあたりをオナホール代わりに使ってもいいのかもしれない。頭を外して、氷の入ったバケツに入れておくのでも。反射でしか自分は見えないのだから。

一人で生きていけないタイプのヤンデレ

身動きの取れない時間が10時間くらいある日だったので、外に関して特に言える事がない。ヤンデレに拉致拘束監禁されたわけではない事を申し添えておくが、本当にヤンデレは宣言通り「あなたは右手以外の全ての自由を失うの、右手だけ許してあげる、それ以外は私がお世話してあげるから、なんでも、なんでも、上から下までなんでもなんでもなんでも」世話してくれるのだろうかという疑問が胸の裡にへばりついて離れないので、実は一回くらい拉致拘束監禁されてみたいとは思っている。生活力のないヤンデレに拉致拘束監禁されたら、途中でご飯を作るのが面倒になっていい加減な中食(「なかしょく」と読む。そういう言葉が存在するので、知らなければ調べてみよ)を提供してきたり、服を洗濯するのが面倒になって四六時中全裸で過ごす事を強要されたりするのだろうかと考えてしまう。ポップな方向を目指せば、「生活力のないヤンデレに拉致拘束監禁された結果www」というラノベか何かだって夢ではない。夢のままであってほしいと願うばかりではあるが、夢ではない。ヤンデレはあなたのすぐそばにいるのである。発言に根拠はない。本当にないので安心してほしい。コントにしてみたら面白そうな気がする。気がするだけかもしれない。やってみないと分からない。そういえば、ヤンデレも「やんでれっ!」と書くとポップになるタイプの文字数だな。この話は終わりにしよう。昨日のアレは、隠しキャラ2人とも解放した。ヤケクソで進めると、よく分からないが新しい場所に辿り着いて色々あったりした。梔子が可愛いので、めたくそ可愛いので、なんでお前巫女服着てるのに乳首浮いてんねんという所も微笑ましく見る事ができるので、買った人はそこまで頑張ってくれ。強い装備で固めて即死術で殴る場面が多くて疲れたぞ。あとはハーレムエンドを残すばかりなので、きちんと乳上死できるよう、パイズリセックスに魂を捧げていきたいと思う。パイズリまで打鍵すると「パイズリせっくすマシーン」という変換候補が出てきたが、これはどういう事なのだろうか。Windowsの予測変換はクラウドになってからバカになったが、Macはもともとかなりイカれていると思う。ATOKに泣いて謝れこの野郎と思う程度には微妙だ。ついでに、セックスの変換候補にお雛様お内裏様があった。「異性のつがい」である事には間違いないが、「異性のつがいがする事」まではその絵文字では表現できないわな。異性のつがいって書くの、配慮が足りないとか何とか言われて、あんまりよくないのかしら。つがいでいいです。3人以上でやったりする事もあるみたいだけどな!

女性用下着みたいなピンク・赤の花を見ました。

ついさっき、頚椎がバキバキになった。寝違えたわけではないのに、寝違えたと言いたくなるような痛め方をした。猫背から背筋を伸ばす時に、噛み合い悪く首を上に向けたせいであろう。痛みが左に移った。いってー。確かに、今日一日は引くほどに座りっぱなしだった。10時間くらいはぶっ通しで座っていたかもしれない。ぶっ通しは嘘だな。トイレには行ったもんな。でも、それ以外ではそうだった気がする。不健康だなー。物理的な身体によくあろうとあんまり思わないが、痛みとか疾患とかが出ると、やっぱりちゃんとしておけばよかったわぁんと思ってしまう。物理的な身体というのは、鏡に映る方の身体であり、私が比較的気にしているのは理念的な身体、まともな食べ物を摂ろうとか不自然な肉がつかないようにしようとか、なんかそういうタイプの身体である。身体というか、身体のイメージ、主観的反射とでも言えばいいのだろうか。難しい言い方をするとどんどん手元から離れていく気がするので、そうあるのが好もしいと指向するモデルと表現しよう。もっと分からなくなった。砕けて言うと、将来の夢(ただしとても卑近で時間的にもすぐ目の前にある)だろうか。こうあればいいな、知らんけど。さて。最近DMMR18同人でこれといったものに出会えていなかったのだが、昨日(だったと思う。記憶がない)買ったこれはすごい。すごいので置いておく。

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紹介ページにざっと目を通してみれば一目瞭然かと思うが、キレキレのコンセプトである。髪の毛を乗せて息を吹きかければ、両断されてしまうだろうくらいにはキレキレである。遥か昔に恐らく目にした事があったと思われる感覚が強烈にあり、多少のイロハを知った今見るとなぜ見過ごした、なぜ見過ごせたのか分からないくらいに半端ではないカロリーである。いや、いやいや、サムネイルだけでもそれなりのカロリーに見えるが、本編をやってみると、異常なまでの情熱がカロリーメイトされている事が伝わる。カロリーメイトするという動詞はこの世に存在しない。ともかく、これをぶっ続けてプレイした後に落ち着いて街に出ると、「みんな胸ちっちゃ」と思ってしまうくらいにはこってりしている。「セックスっておっぱいにちんちん入れて射精する事だよね」と言われて「ハイ!」と返答してしまいそうなくらいには脳味噌を侵食してくる。世界には「ズリキチ」なるタイプが存在すると聞いてはいたけれど、いざ目にするとその質量と熱量にアテられる。システムといい内容といい、全てが「これぞ同人ゲーム!」と快哉したくなる作品であった。であった、とか言ったが、隠しキャラ2人をまだ解放していない。探索は商業RPGくらい手間がかかる。でもすごくいいと思う。性的嗜好に向けたとびきりのラブレターを読んでいる気分になるから。

おしっこジョバァンニ

日中、どこかからずっとピアノの音が流れていた。♪♪♪。情熱大陸のテーマとか、他にも何か流れていたはずなのだが、素養がないというのはそういうもので、ピロピロリズムが流れているな、くらいにしか思えなかった。ピアノの音をピロピロなどといい加減な形容をしてしまって良かったのだろうか? ポロンポロンとかオノマトペがあった覚えがあるけれども、楽器の音を文字にするのはかなり野暮な真似なのだろう。バンドの曲をすべてカタカナで書き起こしてみると、死ぬほど間抜けな事になるだろうから、怖いもの見たさに似た感情の衝動に従って見てみたい。バンドスコアに「ギター:ギャイーン、ベース:ドゥンッ、ドラム:チンチンチン」とか書いてあったら、それはそれで面白いだろうが。話が脱線したが、上の方の階で誰かがピアノを弾いていたらしい。文化的で結構な事である。私はうるせーなと思いながら昼寝をしていた。体力が赤いゲージに突入するのを感じたからだ。まあそれはともかくとして、ぐぅっすり眠ってから目を覚まし、堪えていた尿意を解放しにお手洗いに向かうと、なんと、眼下のズボンに染みがあった。尿意を堪えるも何も、就寝中に失禁していたのである。なかなかにびっくりする現象であった。私は、お漏らしをする時は夢の中で放尿する行為を経て現実でお漏らしを遂行する。しかるに、今日の昼寝に限っては、夢の中での排泄行為、すなわち夢尿(むにょうと読む。夢精みたいなものである)をした記憶がない。夢の記憶なんて水に浮くオブラートに水性ペンで書かれた内容が如く曖昧でぼやけまくっているものだが、それにしても身に覚えがない。身に覚えがないが、身にしるしがあるので、まあそういう事なのだ。数年ぶりにお漏らしをした気がするが、そういえば去年にしていたようなそうでないような。大人にもなってお漏らしをするなんて、と思う人もいたりいなかったりするだろうけれども、大人には大人でお漏らしプレイや放尿プレイがあるのである。大人にとってのお漏らしは、付加価値のついた、子供の頃の粗相とはかけ離れたシロモノなのである。そこを間違えないように。ついでに、私がそういうプレイをしていたのだと勘違いしないように。のどかなお昼寝中である。あとは、目的地に辿り着いたものはいいものの、どこが入り口か、そして入り口らしきものを見つけたとしてもそこをどう開けるのかさっぱり分からず、目的の建物をぐるぐるぐるぐる周回し、結局あっさり他の人が入っているご相伴に与るという非生産的な時間の無駄遣いをしてしまったくらいなものである。

肘に優しくするにしてもどうすればよいのか

節々が痛い。節々、と書くと、「いくつもの節(関節)が痛い」という事になるわけだが、そうは言いつつも身体中にそれほど節(ふし)はないような気がする。とりあえず、肘が痛い。疲れが溜まって、それが表面化してくるのはいつも肘関節からだ。理由は分からない。「お前は生活の中で投球し過ぎ(頑張り過ぎ)」という事なのかもしれないが、スポーツに興味のない私の、私の身体がそんな粋或いは無粋な真似をするとは考えにくいので、体質的な問題、それで終わりなのだろう。ゆるく麻痺したような感覚が肘にずぅっと居座るので、疲れて症状が出ると結構癪に触る。……。よくよく身体の感覚に耳を澄まして意識を向けてみると、肘以外の節または関節に疲労の症状が出ていないような気がしてきた。膝に何か不快感があるわけでもないし、腰に痛みを覚えているわけでもない。今の今まで、「節々が痛い」と認識して疲労の顕現と捉えていたものは、どうやら肘の痛みただそれのみであったようだ。全てが全て肘オンリーではなかったはずだが、膝が痛い腰が痛いという事もある、「これ疲労感! This is 疲労感です! 見て見て!」と脳内法廷で意識が訴えかけてくるトリガーとなるのは肘の痛みであった。振り返る時に椅子の背にフルスイングでぶつけたわけでもないし、誰かの脳天に肘を振り下ろした覚えがあるわけでもないので、疲れたらとりあえず一発シグナル出しときますかという場所が肘なのであろう。鼻とか内股とかではなくて救われた感覚に襲われるが、だるいのはだるいので早くどこかに行って欲しい。疲れコンニチワの理由は、今日お昼寝をしなかったからだと思われる。一日も半ばを過ぎたところで、体力が一旦尽きると言うか、瀕死になって、もう無理ばたんきゅ〜お休みなさいをしないといけないらしい。毎日昼寝をできるわけではない。今日昼寝をしなかったのは、考えてみても理由が思い当たらないので、なんとなくだろう。余裕のある時には、どんどん昼寝をしていきたいと思う。さもないと、一日を締めくくる時になって、とても倦怠感を覚えて意識を閉じないといけないからだ。あとは今日見たものでも書いておく。手を繋いで仲良く歩くおじいちゃんおばあちゃんを見て、こういうのいいな〜と思った。普通であるが、普通になるまで寄り添うのがどれだけ難しい事なのか、事の片鱗を傍観者の立場から痛いほどよく知っている。CDショップにふらりと寄って、toolのundertowを買った。なぜか今まで買っていなかった。でも、手元にすぐディスクドライブがなかった。

ムキムキ頭皮エクササイズ

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別タブで開きっぱなしにしていたので、貼る。今更ではあるけれども。とても良いと思うので、観てくんねぇかな〜という期待を込めて貼る。人生に鬱Pめり込め〜という願いを込めて貼る。歌詞を怒涛に乗せて押し流していく流動的な歯応えがとても快い。どう言えば良いのかわからないのが、マキシマムザ亮君がやるみたいに、日本語の発音を4〜7割くらいに抑えて歌詞を流そうとしているのがとても快い。字幕モードにしないと歌詞が出てこない仕様である。最初、歌詞見せてくんないのと悲しい気持ちになったのはまた別の話である。いくらでも語れるというほど語る元気はもとより持ち合わせないので、今日機器に書きつけたすごくどうでもいい発見をお知らせする。「女性の髪の編み込みは、一瞬板垣恵介が描く筋肉にすごく似ている」という事実である。もう一回言うが、女性の(男性でも長髪なら可能である)髪の編み込みは、ふと目をやったその一瞬、その一瞬に、板垣恵介が描く筋肉にとっても似ているのである。もう一回言った方が理解が進むだろうか? もういい? もういいなら、いいのだけど。画像検索して、見比べてみただろうか。今日私がそう感じたのは、後頭部で左半分と右半分を中心で捩り合わせるタイプの編み込み方だった。おそらく、このやり方が最も板垣恵介筋に近付くメソッドなのだと思われる。あの特徴的な筋肉構造、編み込みにめちゃくちゃ似てるなと思ったのだ。これから街を歩いて、誰かしらの編み込みを見たら、あぁ、頭部に板垣恵介が顕現しているなぁと考えてしまうだろう。これを読んだあなたもそうなってしまえばいい。比較的ぶっとい編み込みの方がそれらしく見える確率が高い。ぜひ、明日からそんな編み込みを探してみていただきたい。「あ、こいつの髪のここ、板垣恵介だな〜」と思った相手は、知っている人間ではあったので、この発見を共有しても良かったのだが、どうやら向こうからはアヤシイヤバイ奴だと捉えられている節があり、そのprejudiceを抱いたままこんな閃きを共有しようと持ちかけられようものならなんかよろしくない展開に転がり込みそうだったので、胸の内では「伝えたいっ、ああ〜伝えたいな〜この気持ちな〜! どうしてかな〜!」と恋する乙女のように悶え苦しみつつ、ついと目を逸らして場から意識を剥がす事で乗り切った。そもそも最後まで乗って心中するようなアイディアではないのかもしれないが、また新しい世界の捉え方を知って、心が少しの高ぶりを覚えたことは偽れない。

ひとしめりでこんなにも

ブルーベリーを食べるのをサボっていたら、目が痛くなった。そんなに即効性があるものかよオイ、と思うが、実際に症状として顕現しているのだから仕方がない。何日か前に書いたように、私はブルーベリーが速攻で反映される体質のようである。長期に渡って継続的に摂取した場合の変化の変容は未だ知られざるところではあるが、短いスパンで見れば劇的な改善をもたらしている。それとも、非摂取時がマイナスの状態であって、摂取時にフラットの状態になっているだけで、プラスではないのかもしれない。ブルーベリーを食べて初めて普通の平面に立てるのであって、そうでない場合は負の象限に存在すると。いっその事眼球をブルーベリーと取り替えてやろうかとも思ったが、よく分からないコラ画像みたいになるのでやめよう。眼球を殴打した時に、紫色の涙が出るというのもぞっとしないものがある。よくできた隠し芸だ。でも本当にドライアイが目に染みる。……。この言い方であっているのだろうか。ドライアイが目に染みる。染み渡る。でも、ドライアイは染みていない。染みるものではない。乾くものだ。ドライアイによってもたらされる不快感、掻痒感が眼球に対しての疾患として染みる。ドライアイに対して無性に腹が立ってきたが、ドライアイの反対の症状、つまり、目ん玉が潤って潤って仕方がない、そういう症状にはどのような名称がつけられているのだろう。そもそも存在するのかどうかを知らないが、「うるうるアイ」とか言われていると素敵だな、と思ったりする。「私、うるうるアイなんです」と。常に光が反射しているから、少女漫画みたいな顔つきになっちゃうのかもしれない。アイフル犬症候群とかでもいい気がしてきた。あまりにも俗称っぽすぎて、医学的な性格を微塵も感じさせないのが玉に疵というか、疵だらけの玉というか。メディカルな呼称についての知識がさっぱりないので、うるうるアイに関する名称にまつわる諸問題は転生して医学部を卒業する機会に委ねるとする。食べたものの話をする。口に入れたものの話をする。後者だと空気とかの話もできる。指とか。アップルサイダーらしき液体を飲んだのだが、常温だったせいもあってか、いやおそらく理由のほとんどが常温だったせいだと思われるが、かなりまずかった。普通に飲めるが、進んで飲みたくない味がした。水で薄めた、ハイチュウ青リンゴ味みたいなフレーバーで、女児みたいな匂いがした。意味が分からないと言われたが、確かに女児の匂いがした。なぜ女児の匂いだと言えるのかと問われれば、答えようがないのだが。

葉っぱ植物油脂乳製品

清涼感というか、なんか気分がスカッとするものを食べたかったので、チョコミントアイスを買ってきていた。「なんか気分がスカッとするもの」という字面を見ると、完全にドラッグだなと思ったが、ドラッグではない。その辺のスーパーで積まれている、残念ながらごく普通のありきたりでありふれたチョコミントアイスである。ひとつ申し添えるならば、1リットルあるので、そこが多少逸脱していると言えば逸脱しているのかもしれないが。とはいえ、バニラアイスやチョコアイス、ストロベリィアイスには同じサイズ、あるいはもっと大きな容量が用意されている事を考えると、そう道を踏み外したものでもあるまい。で、チョコミントアイスだ。今回買ってきたものは、以前の「チョコクッキーアイス=アイス+チョコ+クッキー」みたいなパッケージ詐称じみたものではなく、ノーマルなチョコミントアイスだった。ノーマルなチョコミントアイスだったとは言ったが、「チョコミントアイス=アイス+チョコ+ミント」だったら結構行く末が恐ろしい気がする。チョコが入っている事実にはおおらかに目を瞑るとして、というか当たり前なので、そこに引っ掛かっていては物事が進まない。ミントが「まるまま」、葉っぱのまま入っていたら、噛み締めた時の突き抜ける清涼感にギョッとするだろう。遠目に見れば、それは雑草なる異物が入ったアイスクリームに見えなくもないわけで、ミントには風味とか香料としてだけ入っていてほしい。ミントは堂々と表に出てきていいタイプのアイテムではない。裏方に徹していただきたい。そして、ミントとチョコを抱く、ベースとなるアイスも、何味のものを採用するかでかなり結末が変わってくるだろう。上記ふたつが入ったストロベリーアイスとか、メロンアイスとか、レモンアイスとか、あんまり美味しくなさそうだもの。いや、メロンアイスは美味しいかもしれない。そうだな、メロンの場合はちょっと試してみてもいいかもしれない。どうでもいいが、海外でもスイカバー的な、スイカを象ったアイスが売られていたことを思い出した。想像するより、よほどスイカっぽく作ってあったので、あれをスイカバーだと供出されたら、はいそうですかと食してしまうだろう。また話を逸らしてしまった。わざわざチョコミントアイスにまつわる話題を引き延ばしかき混ぜて展開してきたところ悪いが、結局言いたかったのは「このチョコミントアイス、やたらケミカルな味がするな」という事だけであり、それ以外は特にない。10口くらい食べると気にならなくなっているのだが、10口も食べると既に飽きているので、なかなか素直に楽しめないのだ。チョコミントアイスって、わざわざ緑色に着色する意味はあるのだろうか?

これは振り返り学習ではない。

過去の自分が書いたメモを読み返すと、「ははぁん、後で読むと分からないのではないかとビビって、やたらと詳細に書いてあるな」というものがある。私は心配性なので、何かアイディアを思いつくと、その核心のみならず、周辺情報までつぶさに書き記して、思い出しやすいようにしている。大半の場合そうしている。ただ、今日液晶画面上にふと表示されたメモは、「お前何言ってんだ」というものだった。端的に言うと、「縁起物は6つ」と書かれていた。さっぱり意味が分からなかった最初の数瞬を、今も見返すたびに繰り返してしまうのだけれど、ちゃんと思い出して詳細情報まで書き加えておいた。ここに至るまで、そしてここに至ってからどこへ繋がるのかという情報を一切与えていないので、読んでいる方には分からない事だろうが、これは私がある時突然思いついたボケの一環である。発想の瞬間は確か路上だったはずで、そこで筆記具を広げるもの面倒だからとりあえずペンでスマホの液晶に書き記しておいたものだ。一度思い出すと、おそらく必要ないであろう瑣末な事柄も思い出されて不思議なものである。ヒントは「6つ」という数字だが、他にあと2つくらい手がかりがないと私の考えたボケには絶対辿り着かないので、書いておいて放りっぱなしとは、いかにも不親切な奴だと自分でも思っている。形になるまで待たれい。同人誌出したいな〜の一歩として、インデザインで版面のテンプレートをいじっていた。検索した文庫本のサイズとインデザインプリセットの一覧に相違があり、大丈夫かしらと冷や冷やしている。「冷や冷や」とタイプすると「Hear! Hear!」という変換候補が出て来たのがとても面白かったので書いておく。一体、変換候補はどのような経緯を経てそのようなライブラリを抱えるに至るのだろうか。不思議極まりない。不思議が極まると、多分、摩訶不思議とかに進化するのだろう。その次は、メガ摩訶不思議とか。「メガ」と「摩訶」って似てるしね? ギガ摩訶不思議。その後は「人知の及ばぬ超常現象」とかに落ち着くのかしら。分からない。不思議の行き着くところはどこなのか、wonder wonder. 話が脇道に逸れたが、同人誌は出したい。小説本で。地の文がない(あるいはほとんどない)掛け合いコメディで頑張りたい。頑張っている最中だが、脳みそがもっと稼働してほしい。素面で、脳味噌を絞った液体だけをインクに、泥臭くいこうと思う。カメラのSDカードが壊れた。データを取り出しておいてよかった。

クジラの丸裸

ミートソーススパゲッチーを食べた。美味しかった。スパゲッティーではなく「スパゲッチー」と打鍵したが、予測変換候補で出てきたので、私が今まで知らなかっただけで、世界には「スパゲッチー」と書く人もいるのだろう。私はスパゲッティーでいきたいと思う。まあ、スパゲッティーなのかスパゲッティなのかでまた論争があるかと思うが、その異論は今はちゅるりと飲み込んで、溜飲を下げていただきたい。溜飲が上がったかどうかは知らないが。溜飲って上がるの? 「飲み下す」とは言うけれど、「飲み上す」とは言わないものな。多分上がらないんだと思うが、言葉の柔軟性に幻想を抱いてそのままにしておく。目くじらだって、立ったり座ったり走ったりするはずなのである。目くじらを立てる、目くじらを座らせる、目くじらが走る。走る? 目くじらの潮は、泣く事の比喩だったりするのかな。目くじら目くじら書いていると、目鯨さんという人がいる気がしてくる。目鯨さんが立ったり、座ったり、走ったり。時に泣いたり笑ったり。溜飲と仲良くしてほしい。どうでもいい話で脱線してしまった。元々大して舗装された道を走ってはいなかったけれども。獣道を歩くのは好きだ。足場が悪くて体重を移してえっちらおっちら歩いていく行為が、楽しくはある。疲れるのでそうしょっちゅうやりたい事ではない。副線から副線にまた足を踏み変える。あるスポーツショップの傍を通りかかったのだけど、ショーウィンドウにいくつかのスポーツチームの写真が飾ってあった。推察するに、その店でアイテムを買ってお世話になったチームがお礼とか宣伝とか色々を込めて飾ってもらっているのだろう。みんながいっぱいいて、多いな〜と思っていたのだが、それらのうちの2枚だけが完全に異常、あるいは浮いていた。何かの競技の男子チーム、そして女子チームの写真だった(はず)。そこに写っているのは、なぜか全裸の選手たちだった。男子はもとい、女子も。成年はしていたはずなので、男性女性と書くべきか。ともかく、なぜか、被写体全てが裸だった。「?????」マフラーなどで局部を隠してはいるが(当たり前か?)、なぜかすっぽんぽんだった。女性の方は手ブラである。集合写真だからか、全員がニッコリ笑顔だし。その爽やかな表情と、全く逆の方向を指すAVの撮影みたいな状況とで、ウィンドウの一角がねじれていた。私が物事を知らないだけで、世の中には、集合写真を撮影する折には服を脱がなければならないエチケットを有するスポーティなスポーツが存在するのだろうか。未だに幻だったのではないかと疑っている。

紫眼

ちょっと遅く起きた。疲れているので休みたいが、休むと疲れが取れるものの「休む事=何もしない事によって疲れる」という人間の摩訶不思議なメカニズムが作動して疲れてしまうので、どうやって体力を回復したものかなかなか悩ましい。夕方にも泥のような睡眠をとってしまったので、夜に眠くなくなり朝ヘずれ込んで睡眠が狂って……という悪循環に突入しようとしている。これは大変良くない。まあ、いいや、と投げておく。それよりも、毎朝の排便が緑色なので毎日ぎょっとするのだけれど、どうしてそんなカタツムリみたいな排泄物が出るのかを考えた結果、ここ数日食べているブルーベリーのせいであろうという事になった。ブルーなのにグリーンとはこれいかに、といった感じではあるけれど、実際青がかった緑色になっているのだから仕方がない。仕方がないわけではないと思うが、トイレットペーパーが目に入るたびに一瞬身構えてしまうのである。一度血便をやってしまったからか、身体が警戒しているのかもしれない。だが、ブルーベリーには驚くべき効能があって、「♪ブルブルベリベリアイアイブルベリアイ」と歌いながらブルブルバイブレーションするけったいなブルーベリーが登場するあのCMのごとく(知らなければ動画サイトで探してください)、確かに日中目の疲れを感じないのである。目が強張った感じがしていつも目を細めているのだが、それがない。なんとなく、自然に目を開けている感覚がある。無心で、水で洗っただけのブルーベリーをバクバクバクバク口に運んでいるだけだが、それっぽっちでこれほどの効能が出るのであれば、薬膳なども意外とバカにできないものなのだろうか。すごいぞブルーベリー。見直した。目の調子がいいので。それで、晩御飯はマッシュルームと白菜(?)と鱈のクリーム煮を作った。最近の中でも最高傑作だと言えるほどに美味しかったので、書いて自慢しておく。生クリームと岩塩と香草タイムを使うという、私自身も考えられない凝りようであった。これで美味しくなかったら凹んだと思うので、結果が出てよかった。岩塩は正八面体みたいな形をしているやつで、かなり粒が大きくパラパラしているので面白い。前に出てくるタイプの味のつき方をしない。奥の方で「ここにいるよ」と小声で囁くような主張の仕方で、いやこれは生クリームに覆い隠されていただけかもしれないが。生クリームだと少し胸焼けのする重さがあったので、牛乳とかでうまくやった方がいいのかもしれない。ちゃんとしたご飯を食べないと心が萎む。