他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

♪うさぎおいしいかのやま

赴いた店が休みだった。土曜日の営業日程を見ると、「やる時はやるしやらない時はやらないよ!」という感じの事が書いてあって、虚脱感がすごかった。今日は運悪く、「やらない時」に当たってしまったというわけである。ともかく、これのせいで週明けの予定が少し狂ってしまったので、どうにかしなければならない。午後は魚屋とかスーパーに行った。魚屋に行ってついた服の匂いが未だにとれなくて、鼻を近づけるとうっすらと生臭い香りが漂ってくる。死体をホルマリン漬けにするバイトは身体にホルマリンの臭いがつくと言うが、たった一瞬でもこれほど臭いがつくのである、かのバイトは想像するに余りある。順番は前後するが、まさかのお休み門前払いを食った冒頭の店からすぐ近くにある商店街で、何を買ってきたかと言うと、ずばり、「野兎」である。野ウサギ。ノウサギ。脳詐欺。wild rabbit. 冗談を言っているのではなく、本当に売っていた。最初は4kgくらいある豚の脚でも買って帰ろうと思ったのだが、野兎の放つ圧倒的存在感、レアリティ、その他諸々の色々に導かれ、買ってきてしまった。どれくらい気圧される存在だったかというと、下の写真を見てもらえれば一目瞭然だと思う。いや、だから、目は2つあるんだって。

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いかがだろうか。この圧倒的な「元々生きていました」と訴求してくる、力強い生物感。内臓も一部平然と残っており、キンタマくらいの大きさの腎臓も元の位置についたままである。あばらもありありと分かる。首が切り落とされたのだろうなという細い管みたいな場所もある。俺が今持っているのは肉塊なのだなとめちゃくちゃに分かる。ついでに言うと、このアングルで撮ると「レイプされた後」みたいな感じになった。

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ひとつしか陳列されていなかったので、多分レアもの掘り出しものであったのだろう。その割には安かった。1000円ちょっとくらいだったか。この前買った豚の膝は今日はなかったので、あれもレアアイテムだったのかもしれない。肝心の味だが、結構獣臭い。塩と胡椒をこれでもかと擦り込んで、切れ目を入れてニンニクをインサートし、オーブンにぶち込んだ。難しい事は考えなくてよい。基本、食べ物は加熱すれば食べられるのである。かなりしっかりした身であり、味付けを蹴り飛ばすほど(ウサギだから!)野性味がある。ポン酢をかけて食べるととても美味しかったので、ウサギ+ポン酢=「うさぽん」という新しいワードを生み出して遊んでいた。うさぽん美味しい。なお、首筋あたりの肉は吐き気がするほど臭いので、かぶりつく際は注意されたし。マジで臭い。ちょっとトラウマになるレベルだった。それ以外は、まあ、イロモノにしては美味しかったと思う。ありがとううさぽん。安らかに眠れ。

皆目、整列用意。

とりあえず今日も豚の膝を食ったが、今回はひたすらに、親の仇に対するように塩と胡椒を振って擦り付けまくったおかげで、それなりの味付けとともに楽しめた。カリカリに焼き上がったはずなのだけれど、やっぱり皮は食えたものではなかった。脂はやっぱり脂のチューインガムだった。脂のチューインガムという言い回しが気に入っている。『チャーリーとチョコレート工場』に出てくるバイオレットがずっとガムを噛んでいたように、どこかの焼肉屋には、ホルモンをくちゃくちゃくちゃくちゃ噛み続ける不思議なおじさんがいるのかもしれない(おじさんではないかもしれないが)。ホルモンもチューインガム的性質とでも言うのか、いつまでも咀嚼を強要してくるタイプの食べ物だと思う。賽の河原ではないけれども、いつまで噛んでも状態がほぼ変わらずに、それなのに今まで通りの行動を強いられる苦痛。タレに漬け込まれていたとしても、タレの味も噛み出し切ってしまってただのぶよぶよくにくにした塊に成り果ててなお歯臼で磨り潰される事を望んでくるその姿勢。よく考えれば豚からもホルモンは取れるわけで、というかホルモンは内臓だったわけで、近しいところがあっても不思議ではなかったと思ってしまってもいいのだろうか。同じ身体に存するからといって、近しい性質を持つとも限らないわけだ。髪の毛と喉ちんこは全然違うものだ。この話はもういいか。機会があれば、豚の膝、食べてみられたし。肉を削ぎ取る労力の割には食べられる部分が少ないので、目一杯損した気になれる。俺が今まで包丁まで握って遂行した作業は、一体。何の為に。それは無論、食事のためである。体の底に疲れが淀んでいる。グレービーソースの底に溜まっているよく分かんない固体みたいな感じである。多分掬えば取れてしまうのだけれど、掬うのを面倒に感じてしまう。もう少し、あと少しだけ背中を押す何かが必要なのだろう。何かが何なのかはさっぱり分からない。皆目見当もつかない。皆目、と言ったところで、人間にはふたつしか目ん玉が付いていないのだから賛同否定意見を得られる母体は2しかないものだ。というわけで、どうすれば掬う気が起きるのか右も左も分からない。上も下も分からないとは言わないが、これはなぜだろうか。上と下しか分からないという状況は、細長いエレベーターでひたすらに上下運動だけが許された状態である。それに何の意味があるのかは本当に分からない。最近目を酷使しすぎなのだが、目を踏みつけてなじる行動ばかりに馴染みを覚えてしまっている。

豚海道中膝栗毛

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肉である。ご覧の通り、めちゃくちゃに肉である。肉塊と言ってもいい。いまいちサイズ感が伝わらないかもしれないが、キッズのあんよくらいの大きさはある。行儀悪く突き刺さっているフォークから、大体のスケール感を想像して欲しい。ついでに言うと、写真のファイル名も「肉.jpg」である。んで、これが何の肉かというと、豚の「膝」である。人生で初めて食べた。これっきりの体験かもしれない。ふらりと立ち寄った肉屋で見知らぬ肉が売られていたので、尋ねてみると、豚の膝だった。腿、肩、腹などはメジャーだとして、豚のお頭が売られているのも見た事があるが、膝という部位には初めて出会った。片膝ひとつで、300円ぽっちとかそこらの値段で買えた。よく分からない馴染みの薄い部位なので、安いんだか高いんだか分からないが、非日常的な経験ができるという意味では安いのだろう。どう調理すればいいのか肉屋の人に聞いたら、「オーブン180℃で90分」という事であった。今いるところにオーブンが存在していて助かった。これをフライパンで加熱するとなると、火加減やらなんやらで手間と時間がかかっていただろう。オーブンに感謝だ。持って帰ってから食べるまでに時間がなかったので、ヤケクソに塩胡椒を振って簡易な味付けを施し、すぐにオーブンにぶち込んだ。その後は布団にぶっ倒れて意識を失っていた。90分後、取り出して見ると、思ったよりも脂が出ていない。トイレに行ってしまった後に「おしっこ出してください」と検尿を要求されて、仕方なしにひり出したお小水くらいの量しか出ていない。あまりジューシーな部位ではないようだ。フォークを突き刺してみると、見た目よりもずっとしっかりぎっしりした感触が返ってきた。どうやら、かなり締まったお肉らしい。いただきますしようとしたところ、並みのナイフでは全く歯が立たなかったので、包丁を持ってきてばっさばっさと薙ぎ倒す、もとい切り分ける手段に訴えることにした。実際、とても「硬」いのだ。包丁でさえもなかなかに難儀するほどで、よく考えるとこの肉は膝に相当する部分であり、人間だってその辺りは体を支えるために結構な筋肉が存在しているはずなのだ。これほどまでに食べづらいのは道理であった。懸命に細かく切り出し口に運ぶと、ぎっしぎっしとでも言おうか、芯と繊維の有り余ったしこしことした食感が顎を殴ってくる。とても食べるのに疲れる。シーズニングは塩と胡椒だったが、そのせいもあるのだろうか、砂肝みたいな味がした。鶏の。砂肝。食感もそっくりだ。あれほどじゃりじゃりはしていないが、顎のタフネスを削ってくる感じは近しい。しっかり焼けば皮も食べられるかと思ったのだけど、包丁の刃が入らないほどにはぷるんぷるんしていて、無理だった。ついでに、皮の裏側の脂、これはマズくて、脂のチューインガムを噛んでいるかのようだったので、すぐにぺっさせていただいた。写真でも、皮の付近は白いと思う。それが脂だ。もっと上手く料理すれば、いい感じに食べられる気がする。豚のニーキック、ごちそうさまでした。

ピンク・ヘッド・ライナー

https://www.houzz.jp/ideabooks/70336406/list

上の記事なのだが。中身は読まなくていいので、タイトルだけ見て欲しい。30回くらい見直して欲しい。何と書いてあるだろうか? 『大好きだけど、入りきらない…… そんな靴の「見せる収納術」5選』、である。何か思うところはないだろうか。ないと言われたら困ってしまうが、私はある。大いにあるのである。「大好きだけど、入りきらない」というフレーズにだけ着目してみよう。そして、この文字列だけを根気よく読み返し続けてみよう。頭の中に浮かんでくるイメージがないだろうか? そう、「(あなたの事が)大好き(でやっとエッチできたのに、)だけど、(私じゃ体が小さすぎておちんちんが)入りきらない」という場面が想像されただろうか? されたと信じたい。このタイトルがOutlookメールの広告欄に出てきて目に収めた瞬間、私に脳裏にはこのイメージが閃きはためき轟いた。控えめに言って、「えっっっっっっっっっっっっっろ」と思った。今でも思っている。こればっかりは譲れない。傍にいた男性に「この記事タイトルエロ漫画っぽくないですか?」と見せてみたところ、「確かに」との返答を得たので、私はあながち間違っていないと思われる。エッチなのだ。いかに私の普段の思考様式がそちら側に寄っているかをまざまざと見せつけられた事象であり、多少反省した方がよいのだろうかと自問自答を重ねている最中であるので、野暮い事は今は言わないで欲しい。明日には忘れているかもしれない。でも、「大好きだけど、入りきらない」だよ? もう単発商業掲載のタイトルになってもおかしくないよ? LOとかに載ってそうでしょ? 載ってない? 載ってないのかな? ネームに困っている人がいたら、使ってみればいいと思う、大好きだけど入りきらない。エロ漫画的に、全部入ってしまうのではなく、3割くらいしか入らないやたらなリアリティがありそうなタイトルだ。長々と、見かけただけの記事のタイトルだけについて熱弁してしまった。岡目八目すると大層恥晒しな事をしているのではないかとハラハラしてきたが、いつもの事だろう気にするなとメンタルが囁いてくるので気にしないでおく。今日見つけたこれは、しかし、そういう目で見るとよくできている。そういう目で見なければ大した事はないが。最後にどうでもいい事を言って終わりたい。「芽こんぶってなんだっけ」と考えていたら、「茎わかめ」のことだった。

Fat is your name?

少しくキレそうなくらい疲れた日だったので、さっきまで「ちょっとだけ、ちょっとだけだからね……」とベッドに横たわって意識を失っていた。生半可な睡眠を経たせいでより一層だるさと眠さがオーバードライブしているのだけれど、風呂に入ったりとか、人としての形を保つためにしなければならないbusinessは指折り枚挙していけば暇がない。寝る食う風呂に入る程度の暇がなくなれば、それは人としての輪郭が危機にさらされている証拠だろう。普段から6H程度の存在感が世間にすれれば、手垢とかの黒さに負けてしまうだろう。いかに腹が黒かろうが、髪の毛が黒かろうが、時の流れなる消しゴムにかかれば一瞬で、ただ紙にへばりついた汚れだったに過ぎなくなる。空恐ろしい話だ。予想より肉肉しさと脂油っぽさがただれていたステーキのせいで胃袋が機能不全とはいかなくとも機能不調に陥り、晩に食べたインドカレーがべろっべろの脂と一口食べるごとにじっと身をすくめてしまうような辛さを兼ね備えていたので(入っていた肉は美味しかった。その事実を忘れてしまうくらいに辛かったのである。カルカッタ!)、上半身を起こしていると胃袋の中でそれらの食べ物ハザードが胃壁を攻撃しまくっているのがわかる。ステーキの脂でいいボディーが入ったところに、強烈なカレーが脳震盪アッパーを繰り出したのだから、むべなるかなという事態だ。むべむべ。消化されて腸の旅を終えて来たようだが、カレーのびりびりが粘膜に来る。……。ふう。自然の摂理、自然の欲求に負けてお手洗いを済ませて来たが、ちゃぽりと落ちていったものを見て、ふと思う事がある。「脂っぽい食事をした後でも、便には脂が浮いていない」という、当たり前なんだか当たり前じゃないんだか、意識した事がないような気付かずスルーしてしまっていたような、そんな事に意識が及んだ。用水路とかドブとか、虹色に光る脂の油膜が張っているのを目にした事は誰しも一度や二度はあると思うが(こういう言い方は押し付けがましいのだろうか? でも、画像検索すれば『画像は』見られる時代だしね)、自身の排泄物で便器の溜め水ー便器の底で原始的な欲求の充足を待ち受けているあの水には、一体全体、正式な名前がついているのだろうか。知らないーがテラテラと光った事がない、ないと思う。これは消化器官がウルトラ頑張ってくれているからなのか、それとも何かしらの要因で目には見えていないだけなのか。便が含有すべきと想像される脂、彼らの行く末はまだ分からない。

Tex論

テフロン加工が施されたフライパンは、卵焼きがくっつかないのでとても素晴らしいと思う。卵焼き以外にも、ハムとか人参とか、いろんなものがくっつかないので優秀である。テフロンという名前が、もうそれ自体で可愛いのだ。ひらがなで書いてみれば分かるが、「てふろん」である。なんとなく、「てふ☆ろん」という文字列として読んでしまいたくなるほどに可愛らしい。「てふろん♪」である。るんるん。頭の「て」を取り除くと「ふろん」になるが、これはあんまり可愛くないので考えなくてよい。「フロン」あるいは「風呂ん」であり、後者はお風呂のご当地キャラ化みたいな意味不明のあざとさが滲み出てしまい、私の本意ではない。ぷりちーなのはてふろんである。皆、テフロン加工には足を向けてゆめゆめ寝られぬよう、気をつけていただきたい。とか言っていると、そういえば布団の足の方が思いっきり台所の方を向いていた。不敬、テフロンに対しての不敬である。たかがフライパンであるから、怒ったところで大したことはない。きっと、朝ゆっくり眠っていたい時に、おたまとかと結束して、耳元でがいんがいんとノイズをぶちまける嫌がらせを強行するくらいだと思われる。最近よく目玉焼きをつくるし、卵を大量に割りまくる機会に恵まれたので、フライパンについてしばし意識を巡らせてしまった。全日本フライパン愛好協議会推進機構みたいな団体があれば、2018年の佳作に選ばれるくらいのフライバンテキストを書いたと自負している。フライパンテキストってなんだろうと今自問自答しているが、フライパンに関する文章なのだからフライパンテキストとしかコメントしようがない。オーバーセットテキストはオーバーセットされたテキストなのだからオーバーセットテキストなのだ。そういう事である。納得していただくしか、納得してくださいとお願いするしか、私にはできない。私の言い分やお前の言い分やあいつの言い分がどんなものであったとしても、納得しなければ腑に落ちなければ、それはただの言い分でしかないと言おうと思ったが、そうでもない気がしてきた。真理を懇々と説かれたら、それはどうなるのだろう。宗教とかは、それは、相手の言い分をこちらが飲み込むかどうか、なのだろうけれど。公理というか定理というか、そんな感じの「どうやったって初めからマウントを取られているタイプの物事」を滔々と説かれた場合、それはどうなるのだろう。抗う事が、言い分を守るために必要な、それ自体が必要な事なのだろうか。いつしか痩せ我慢になっていって、枯渇して死にそうな気がするな。

バニラアイスがバニラ味のアイスだとは限らないのだと。

チョコクッキー入りアイスクリームを買った。中身は、確かにチョコクッキーアイスクリームだった。ただし、「チョコ」と「クッキー」が入っているのであって、「チョコクッキー」が入っているのではなかった。チョコ・クッキー入りアイスだったのだ。パッケージに印刷されているのは、どう贔屓目に見ようとしなくても完全にチョコクッキーであり、チョコとクッキーではない。がっかりしたとまでは言わないが、これはどうなのだろうと思わざるを得なかった。「素人美少女がAV出演解禁!」と謳われていて、実際の出演が「素人」(美少女とは限らない)と「美少女」だった時のような感覚である。素人でなおかつ美少女ではないのだ。例えが悪い気がしてきたが、書いてしまったのでそのままにしておく。詐欺ではないが、詐称ではあるような、そうでないような。美味しかったのでよしとしたい。したいが、していいのだろうか。チョコは四角く切った板チョコみたいなものだったし、クッキーはカントリーマアムバニラ味の生地のところだけを抽出して硬くしたような感じだった。美味しかったのは美味しかったのだ。そこは認めなければならない。素人美少女はそそったのだ。ただ、食いつかせるまでの過程に、どことなく腑に落ちない点があった、これだけは胸に固く留めていきたいと思う。絶対例えが適切ではないと心の中の善天使が懸命に意識をくすぐってくるが、笑い飛ばしておく。ここ一週間の疲れが出たのか、それとも昨日ちょこまか動き回る用があったのでその疲れで参ってしまったのか分からないが、朝8時に起きて、それはともかくとして12時くらいから4時間くらい泥のように眠っていた。ちまちま意識が浮上してはいたのだけれど、まだいいや、というまどろみの声に再び引きずり下ろされ、幾度も寝直していた。そのせいで今頭が痛い。スーパーに買い物に行こうと思っていたのに、ずるずる眠りこけていたせいで閉まってしまった。悔しい。近くの別のスーパーで用事は済ませた。普段行かないところに行くと、面白いような面白くないような気分になる。慣れた場所ではないので、「あっちにはあるのにアレがない」「あっちにはあるのにコレがない」と「〜ない」の否定的な捉え方をしてしまう。きっと、あっちにはないがこちらにはあるアイテムが存在するのだろうが、脳みそがルーチンで働くために視座を動かす事を面倒がる。買ってきた鶏肉は、いつものところで買うよりも獣臭さが少なかったので、怪我の功名というやつだろうか。今使っている醤油は、刺身醤油みたいな味がするのだが、どうなっているのだろう。煮物に入れると風味が一瞬で飛ぶし。どうなっているのだ。もっと醤油でいる事を頑張って欲しい。

 

放し飼いの生簀から手掴みでハンマー投げ

連日、人に対して極めて適当な事を言い放っているので、そろそろ自分の発言に自覚と責任と、あと3つくらいの何かしらを持たないと、取り返しがつかない事になりそうな気がして怖い。放言を置き去りにしていいのは、いや、あんまり置き去りにしまくるのもよくないとは思いつつもその懸念さえ置き去りにしているのだが、ここだけにしておいた方がいいんだろうな〜と思いながらも、脊髄反射で出てきた発言を検閲無しで放つ快感に逆らうのは難しい。ウンコと一緒である。したい時におもっきしするのが、気持ちいいのである。ある程度量を重ねると、ガス欠みたいになるのも似ている。思慮に欠けた(可能性のある、と留保をつけたいが果たして)発言は、私が無意識に行なっているストレス発散ガス抜きなのかもしれない。口から不満を吐き出して。ぷぅーって。……今日はあまり書きたいことがないような気がする。いや、あるのだろうが、それが言語化できるほど表層に上がってこない。表層を覆っている油膜みたいなものが、ぼんやりした顔を映しているだけだ。じゃあ今日した事を書けばいいのかしらんとも思ったが、人が生活しているっぽさが匂ってしまうのは本意ではないので、かような事柄について筆を取るのも気が進まない。賑やかめな近所が、今日は静かだ。それにしても、今日は全然進まないな。3時間かけてまだここまでしか書けていない。576文字。古びたタイプライターを見たから、それに呪いがかかっていて、今日書ける文字リミットをゼロにされてしまったのかもしれない。そんな感じの、「何かをゼロにする」トラップが日常に仕込まれたら怖いな。毛髪ゼロとか、預金残高ゼロとか。膀胱の中身ゼロはあたりだと思う。あと、なんだろうね。渋谷109をゼロとか面白いかもしれないけど。渋谷000になるからな。銀河鉄道も000になっちゃうし。銀座シックスも銀座ゼロになっちゃう。ウケる。それを物語る代名詞を剥ぎ取るのは面白いな。全然進まん。他にやりたい事もあるのに、うんうん唸っているだけでちまちまとしか前進しない。便秘でおトイレに籠もっている時って、こういう気分なのかしら。あんまり便詰まりになる事がないから分からないけど。夏場にお手洗いで篭ると、アホみたいに暑いのは知っている。便詰まり。手詰まりだよこっちはよぉ! 仕方なく終盤に差し掛かったので、未来の私が振り返るためのメモとして、今日ランスロットネツァワルピリシルヴァをレベル100まで育成し終わった事を書いておく。つよーい。ここ数日、気胸が続いているけど。肺が爆発するのかな。

いい度胸してるな、わがままボディ。

クソみたいな晩御飯、いや、晩御飯未満の物を食べたので、とても体調が悪い。なんと申せば良いのやら、豚のホルモンをカリカリに揚げて塩コショウをまぶしたやつ、それに頭が悪いほど甘いクッキー、よく分からない味のするポテチ、そんなものだった。未だに胸がムカムカしていて、横になるとその症状はより一層悪化の様相を見せたので、しばらく寝る気が起きない。しかし寝なければ万事よろしくないのは火を見るよりも明らかなので、とりあえず横にはなろうと思う。火を見るより明らか、と言うか、火のないところに煙は立たないので、煙を見るより明らかとでも言うのか。外食はやはり、あまり好きではないので、素敵なレストランに行くよりは自分で作った食事をだらだら食べるような時間の過ごし方の方が好き好き大好き超愛してる。愛してるの響きだけで強くなれる人もいるのだから。孫悟空も、みんなから元気を分けてもらう暇があったら、愛してるの響きだけで強くなるトレーニングを積んだ方が最強に近づくのではないだろうか。「〇〇の響き」だけで強くなれる能力があれば、独り言をぶつぶつ絶え間なく呟く、暗くて目元をフードで隠した陰鬱系敵キャラっぽいやつになりそうだ。そういう事を言っているのではないのかな? 今日、「わがままボディ」という言葉について、率直に言って、意味が分からないなと思った。わがままボディ? 何がわがままだと言うのだろう。一般的にわがままボディと言った場合、ぼんきゅっぼんとほぼ同義であると言っていいだろう。ゲスな言い方をすれば、「イイ身体してる」である。多分ね。ナイスバディも、イイ身体してると言えば台無しである。鼻の下が伸びているみたいな。ばいーんと出て、キュッと締まって、ばいーんと出ているスタイルの、どの辺が「わがまま」だと言うのだろう? おっぱいが好きなだけ勝手にぼいんぼいん発育しているという意味なのか、ウェストが好きなだけ勝手にすらりと締まっているという事なのか、お尻が欲情を誘う形に発達しているという事なのか、一体どの辺がわがままだというのかさっぱり分からない。本人が望むがまま、欲望にブレーキをかけずに磨きをかけまくった身体は、それはわがままボディだと思うが、それは整形とかなんかそちらの話になるのであって、ナイスバディの話ではないと思うのだ。ギャグへの調子を整えるためにキャラが「ふふん、私のわがままボディはどうだ……って、見てない!?」と言う事はあるが、それもまた別の話だろう? 見て欲しい、見てくれ、この身体を、という意味では、わがままボディ、なのかな。

アンパンマン郷

少しの間だが、家から離れたところで生きている。自分探しに出ただとか、夢を見つけただとか、そういうのではない。気がついたら、ここにいたのだ。誘拐された、とかいう話でもない。誘拐された上で今までのような日記を書けるほど、私の精神は図太くないと思う。もう少し細く、頼りないものだ。拐かされてなお、飄々とヘラヘラとしている人は、肝が瞬間接着剤でくっついて座ったまま取れないか、ちょっとあそこがどうかしているかのどちらかだろう。なぜか誘拐される話をしてしまった。別に、やたら高くて分厚い壁に囲まれ、はるか高くにこぢんまりと開いた窓からわずかに差し込む星の光に胸を締め付けられているとかそういうわけではない。まともなご飯を食べているし、まともなお布団で夜な夜な寝ている。夜な夜な寝ている、というのも変な言い方だが。郷に入っては郷に従えと喧しく言う人もいて、それはまあそうだろうなと思わないでもないけれど、私は郷の中の一軒家に閉じこもっていたいので、郷に行って郷に従わないために自分の中に小さな郷を立てて、表には出さないまでも、小さな声で独立宣言をして、面従腹背しながら生活する。するし、したし、経験からすると多分環境が変わってもやり方を一切変えず、ちいさな郷を守り続けるために食わなくてもいい割りを意地で被り続けそうな気がする。郷と言ったって、一軒家と言ったって、そんなに大したものではない。レンガの家ではない。吹けば飛ぶ。国旗はきっとお子様ランチについてくる程度のものだ。それはしかし、シルバニアファミリーの家がかけがえのないものである人もいて、掲げられた旗に救われる人もいて、それらを是としないのは私にはできない。隣の家もまた別の郷で、その中で隣人は必死に彼彼女の郷を護るのに精一杯、精なんていっぱいなくて、絞りカスみたいな動機を無理にしゃぶっているのかもしれないけれど、精一杯頑張ったり頑張る気力もなくて寝っ転がっているのかもしれない。守りたいものがあるのに守ろうという気力が起きないのも、別にいいと思う。鼻くそをほじれるのが平和だ。なんか全く関係ない話を長々と書いてしまったが、詰まるところ煮詰めたところ、私が何を言いたいのかと言うと、今住んでいるところでは、理由はよく分からない不明なのだけれど、水栓で水をひねるとお湯が出る。??? しかも、結構熱いお湯が出る。しばらく放っておくとぬるいくらいの水が出てくるのだが、それにしても、一体全体どうしたことやら、頭を冷やそうにも暖かい水しか出てこない。困ったなあ。

ねじれて明るい

人生で、初めてやる事をやる機会というのは、いいのか悪いのか断ずる事ができないが、だんだんと減っていくもののような気がする。冒険心、と言うのか、常に刺激に飢えている人ならばいつでもどこでも新鮮で初体験な刺激が転がっているのかもしれない。私は別に皆が皆刺激に対して貪欲であるべきはないと思っているけれど、というか貪欲では全くない側として自己防衛のためにそう述べなければやっていられないからだが、それでもしかし進歩或いは進化ゼロでは精神的にしんどいものがあるな、とは思う。いくら鼻くそをほじるのが好きでも、四六時中絶え間なく鼻をほじっていては鼻血が出て、それでもなお鼻をほじっているといつか出血多量で死んでしまうと、そういう事を言いたいのである。鼻ほじりは例としてかなり極端に映ってしまうけれど、まあ、ガムを噛むのが好きだからといって、いつまでもいつまでも棺桶の中で灰になるまでガムを噛んでいたいかというと、必ずしもそうではないのと同じだ。少しくらいの変化がなければ、参って滅入って嫌になってしまうだろう。変化がない方がいいとは言いつつも、変化がない事、変化をもたらせない自分とか、変化をもたらしてくれない周りとか、そういうものも嫌になるのではなかろうか。変わり映えしない諸々が映り続けて、目ん玉でもくり抜いてしまいたくなってしまうに違いない。ずっと右足だけ使って歩いていくわけにはいかない。ずっと左足だけ使って歩いていくわけにはいかない。どちらも使って、しかしそれさえも単調にならないように、スキップしたり、不安になっていきなり走り出したり、腹いせに落ちている空き缶を蹴っ飛ばしたり、そういう事をしなければならない、のだろうね。もにょもにょと長々と言ってみたが、結局は、人生で初めてGoogleアンケートフォームとドライブ共有を行ったという報告であった。今までそういうものを流されたことはないではなかったが、「ふーん、そんなんあるんだ。っつっても使う機会がないけどな~」と思うに留まっていたので、いざ運用に移るというのは少しドキドキするものがあった。初めて買ったゲームハードを、恐る恐る説明書を頼りにいじっているような感覚。引っ越して初日の新居で、初めて水栓を捻る時のような感覚。ああ、世の中にはこんな感覚もあったのだなと、思い出すものがあった。そして、これこそ本当にGoogle様様であるけれども、全くの初見であっても、大体こんな感じかなと思ったようにいじくると、およそその思惑に沿って簡単に変形を加える事ができ、直感的な操作を可能にする、というのは恐ろしく凄い事だなと思った。世の中には知らない間に便利なものが腐る程産まれていて、それを便利に思うのは使ってみたいざその時なのだろう。

スヌーピーが洟をかむとき

鼻炎っぽいのが治らないが、涼しいところにいるので気にならない。嘘だ。部屋の匂いさえ分からない程度の鼻詰まりに軽く苦しめられていて、なかなかティッシュを手放す事ができない。ティッシュで鼻をかむ時の音は、大抵「チーン」であるが、チーン以外の音も鳴っている。ずばばばば、とか、えっと、上手く音を転写できないので困っているのだが、鼻が詰まっている感覚がある割には鼻水が出て来ず鈍く空気が通り過ぎていくような音、アレとか。鼻のかみ方、それに伴う音をオノマトペかつ漫画文字に仕立てた百科みたいなものがあれば、是非とも一度手に取ってみたいと思う。『目で見て分かる! 鼻のかみ方全集』とか。シリーズの他の本には、『目で見て分かる! お尻の拭き方全集』みたいなものがあってもいい。可愛い女の子が鼻をかんでいるのを見て興奮するフェティズムを抱える人は、世界が広いのできっといて、そういう人のためにも出版する意味は小さくないだろう。今あなたが「鼻をかむ」という行為に何ら感情を覚えなかったとしても、いつか女の子が鼻をかんでいるのを目にする機会があれば、じっくりとしっかりと網膜に移して観察してみるとよろしい。どことなく、胸の内側で「あれっ、もしかしてこの光景ってとってもアレなんじゃないのっ?」という感覚が沸き起こってくるはずである。上手くティッシュで拭い切れずに、鼻頭からティッシュにかけて透明な橋がかかっている時は言いようのない何かがぐつぐつとする。居眠りから目覚めてぽーっとしている状態の口からノートへ、よだれの蜘蛛の糸が降りているのもいい光景である。長々とよく分からない話をしてしまった。一日のうちで、一番食欲があるのは朝ごはんである。目覚めて、一日を生き抜くためのパゥワーを欲して、いっぱい食べる。いっぱい食べるかどうかは状況によるけれど。グラノーラしかなければ、グラノーラに牛乳をぶっかけて食べるが、パンと卵とベーコンがあれば、焼いてソースをぶっかけてそれなりに食べる。朝ごはんを食べ終えてしまうと、これからやらなければならない事、やらなければならなさそうな事、やりたくない事に意識が向いてしまって、それが眠りにつくまで続き、優先的にご飯を食べようという気は起こらない。たまにそういう日があるが、朝ごはんを食べたっきり、固形物を口にしない日があっても、特に支障はないものだ。一日3食は多いんじゃないかと思うようになり、朝夕の2食でいいじゃないかとなると身体は意外と追いついてくる。こんな事をしているから、肉がつかずに死相の浮いた顔になるのかもしれないが。多いよりは少ない方が楽だが、少なすぎるのも考えものなのか。

香辛料入りのホルモンを焼いた時もキッチンが赤く染まった。

鶏肉のトマト煮込みを作った。ナスとピーマンと玉ねぎとトマト缶を入れてとにかくいっぱい作ったら、野菜の水気が想像以上に出る事となり、まったく身動きが取れずギッチギチに詰まった鍋が一瞬にして洪水の様相を呈した。仕方ないので手羽元を何本かお皿に隔離して水気を飛ばそうと思ったら、ぐつぐつと九州の地獄めぐりで見た事があるあんな感じで沸騰し、細かい飛沫が散るわ鍋から吹きこぼれるわ全然水気が飛ばないわで、キッチンが大変な事になり散々な目にあった。OXとパッケージに書いてあるよく分からないスープの素を今日初めて使ってみたけれど、水分が飛び切らず少し水っぽかったので、真価を捉える事ができなかった。中身のキューブは、銀紙を折り込んで包んであるのではなく、ぴちぴちにアルミホイルで密封されていて、新鮮な感じがした。あと、粉っぽかった。公園の砂にちょっと水を加えたような、そんな程度で。総合的にまあまあ美味しかったので、良しとしたいと思う。悪しとしたいと思う、とは言わない。なぜだろう。ここ数日、人と大量に接して精神の均衡が怪しい事になっているので、いつもみたく字面を捏ねくり回してだらだら続ける事が難しくて、たまには趣味の話でもしてみようかと思ったら、なんだか恥ずかしいのでどうしようか思案しながら書き進めている。唐突に味噌汁が飲みたくなったが、いざ出されると「いや、いらないです」と言ってしまうと思う。脳味噌がきっと、意識で捉えられない感じに疲れていて、そのせいにしたいのだけど、猫が毛玉からくりくり先っぽを取り出して一本の長い糸に帰してしまう書き振りができないので、もういいやということで書く。さっきジュリエットと水着ベアトリクスが出た。光でまともに殴れるのがサーヴァンツしかいなかったので、光パーティに戦力が増えたのは大きい。アルベールはピンポイントにしかならなさすぎる。水着ベアトリクスを活かせるほど火で背水を敷けるわけでもないので、さっさとご臨終する前提で殴りまくるか、サブで待機していてもらうか、何か策を講じなければいけない。やっと無料10連の恩恵に浴せた気がするが、恩恵は多ければ多いほどいいので、いいぞいいぞもっとやれと言っておこう。きっと、2日間人に対していい事をしていたからだと思われる。思われる、というか、思いたい、と思ってしまうあたり、私の人間の小ささというか、臆病さが見える。いい事があると悪い事が次に来るだろうと身構え、悪い事があるとどこかで安心している。幸福と禍のバランスなんて、秤が働いているのか知らないのだけど。飯を食えるというのは、それなりの幸せらしい。

時もかけました

唐突に、プレイリストにあったので、『サマーウォーズ』を観た。今までの人生において、確か地上波の放送で2回ほど目にしていたはずなのだけれど、あらすじやら細かい点やら、さっぱり覚えていなかった。また、高校の部活の先輩が大変痛くこの作品を気に入っていたのが妙に印象にに凝っていて、もしやこれを観ないのは何かしらの損失なのではないかとの恐れが沸き起こり、目の前にあるしで、唐突に、観た。観終わって、そうだそうだ、そういえばこんなだったと思い出した。どこかの海鮮丼屋が「どうすか! ウチの海鮮丼、イクラ溢れてますっしょ!」と満面の笑みでカウンターからしとどに卵滴る器をずどんとしてくるように、目も眩まんばかりの意欲溢れてあたかも満杯の風呂桶に体をざぶりと沈めたような映像表現が、もうこれでもかこれでもかと押し寄せてきて、そうだそうだ、こんなだったと思い出した。おそらく地上波視聴という事はディレクターズカット版であろうから、生のフルサイズでしゃぶりつくしたのはこれが初めてで、それはもう、ひゃっほうと喝采を叫びたくなる満足度だった。きっと、これを思春期真っ只中に劇場で観ていたら、人生の方向性がもう少しねじれていたと思うので、今ある程度人としての塑像が済んだと言えなくもない、誰かそう言って欲しいようなそうでないような、このフェーズで再び巡り会わせた事によかったよかったと胸を撫でさすり回したい。やりたい事やりました、どうすか、どうすか、という食い気味な姿勢がありありと浮かぶようで、「これをーーーっ! 観ろーーーっ!!!」な旺盛さは、最近どこかで見たものだな、と思い出す。自信満々で物事をぶち込む事に大して私が感じる何かしらのインパクト、この圧を感じられるようにいようという内圧には逆らわずにおこうかね。さて、ここで700字だ。あとは特に言いたい事が残念ながらないので、今日目にした愉快なピーポーについての覚書を残しておく事でよしとしたい。いち。下腹部を露出しているやばいねーちゃんが歩いてきたと思ったのだが、よく見るとその人はウェストポーチの中身を確認していただけで、そしてその中身が白っぽかったために、私の脳内で「いやだ、あの人公衆の面前でぽんぽん晒す御趣味の方なんだわ! きゃあああ~!」という変換が行われただけだったらしい。幸いこの過ちは誰とも共有していないが、共有していなくてよかったと思う方の部類に入る勘違いだった。に。フランス人の家族が近くのベンチに座っていた。去りゆくパパンの上腕後方には、「お父ちゃん」との刺青が入っていた。しかも、理由を求めるのが正しいのかどうか分からないけれど、ガリ版で彫ったような書体で。アームで輝く「お父ちゃん」が、いやに眩しかった。ふたつとは言ったが、もう一つ思い出した。さん。完全なる酔っ払いが、警察官にアールグレイよろしく拘束されて連行されていた。徒手空拳かつ裸足で、ほっぺたが可愛らしく上気して、私としては社会的に色々まずいのではないかと心配になったのだが、アルコールの力とは恐ろしく、すっかり弛緩したようにヘラヘラと笑っていた。あれが死刑囚だったら、どう、なのかね?

八百長のフィーリングカップル

じんわりと居座る喉の痛みが引かなくて、これはこれでちくちくと意識を逆撫でして苛立つものではあるが、先週くらいからなんとなく感じていた、冷房の匂いみたいなものに対して意識が及ぶ。冷房の匂い。スメル・フロム・冷房。公民館の冷房とか、図書館の冷房とか、電車の中の冷房とか。むしろ、場所の匂いと言った方が適切な場合もあるような気がするけれど、冷房の匂いと形容できるかほりが排出されている場面が、少なくはない。実家の新しい方の冷房(それでも6年とか7年とか前のものだけれど)は、新鮮な冷気を出すくせに臭気はわずかで、とても好感の持てる冷房だった。今の家についている霧ヶ峰は、なんというのか、ガーッとした、ぱきぱきに乾いた冷気を轟音とともに吐き出すタイプで、肉食系男子に近いかもしれない。あまり直接的に好意を持てるタイプではない。冷徹に、忠実に義務を果たす、血も涙も無い(フロンはある……あるのかな? 今時のエアコンには入っているのかしら)空調機器100パーセントと言った風情である。風が出るから、風情である。エアコンから排気されて嬉しい匂いとして、どんなものがあるだろうかと一考してみたが、特に思い当たらない。食べ物の匂いが出てきたら嫌だし(料理した後にしっかり換気をしたい。部屋にいつまでも『過ぎた行為の痕跡』が残っているのが嫌なのだ)、香料系のアーティフィシャルな匂いも好かないので嫌だ。欲を言えば少女の頭皮の匂いが排出されるといいような気がしたが、随時心身に悪い影響を及ぼしそうだし、涼むどころか熱くなりそうなので冷房向きではない。もし知っていれば、もしの話だが、過ごした刑務所の匂いとか、そういう本人にとってのみ主観的で強制的な鎮静作用を持つ香気があれば、前向きに使っていっても構わないやもしれない。アロマテラピーを少し過剰にしたようなものだ。ものか? 今日の発見。以前絶賛した「もも水牛乳」(もも水と牛乳を1:1の割合で混ぜるという、一見ゲテモノくさい飲み物)なのだが、なんとこのドリンク、紙パックパッケージに記載されている通り、「1:1」の割合でないと、美味しくもなんともないのだ。むしろマズいとさえ言っていい。うまく作れれば、あんなに美味しいのに。牛乳が多いと、もも水の甘みが牛乳に踏み潰され、しかし牛乳の濃厚さがもも水の清涼さに掻き消された訳の分からない液体になる。もも水が多いと、しゃばしゃばした甘くてうっす〜いココナッツミルクみたいになる。いちパック88円だからとナメくさっていたが、このメーカー、きちんと黄金比を教えてくれていたようだ。