他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

突と貫の下り

朝起きた瞬間の、頭のダルさで全てを理解しました。今、低気圧が俺の方に近づいているなと。好意寄せに来てるなと。朝っぱらから夜の今まで、コンスタントに同じ速度で雨が降り続けていて、しかもこれ、まだ上陸してないんでしょ? そろそろ本格的にタイマンバチバチに張り始めるのであって、まだ見つめ合いの間合いなんですよね。は〜自然の脅威怖いわ〜〜〜。雨が降っている時に外出するとQOLタワー・オブ・テラーするので、しかもド級のご立派なやつが相手らしいのでわざわざ身を危険に晒しに行ったりしなかったですけど、絶え間なく落ちてくる水分のせいで湿気がものすごいやばくて、身体がべちょべちょに腐敗しそうなので昼過ぎに窓を開けて換気しようとガラッとすると、顔一面に水分がばっちゃーって飛んできました。網戸かけてたのに、ものともせず顔面にしぱーって。よく考えると、網戸についてた埃とか、きちゃないマテリアルが顔についたのか。やだな。そんな感じの事があったんで、窓はほぼ締め切りですわ。完全に閉めるとキノコになっちゃうんで、2割くらいだけそっとスペース開けといて。窓枠の木がびっしょびしょになってるのは見て見ぬ振りしてますけどね。腐らない程度に拭いとけば大丈夫でしょう多分。吹き付ける粒の音が、板状の金属をぼわんぼわん殴っているあの音に似ていて、しきりに叩きつけてきてすごくイカした現代的サウンドになっているわけですが、煽られる時の風、こいつが前評判に違わぬ力を感じさせて、お家が静かに、けれど確かに揺れているのを感じるんよね。今、座標系のY軸が傾いたなと。現代版で3匹のこぶたをリメイクするなら、藁木煉瓦では到底時代に追いつけないだろうな。普通の現代テクノロジーで建ってる家でさえこれだもの。でも、ヨーロッパの建物って堅牢だからな〜。ブリザードに見舞われた時、びくともしなかったもんな〜。相手がワールドレコードなんで、比べるのもおかしい話なのかな。本当に音すごいね〜。玄関の扉開けたら、家の前の道路冠水してびちゃびちゃになってんじゃないのかな〜。ここからまだリミット解放していくわけでしょう? 大人の本気、見くびっちゃダメよね。メスガキがよく言われる事ですけど。寝てる間に停電すると嫌だから、ご飯炊いとこうかしら。日中に避難勧告出てたけど、大丈夫かな。雨降ってる中出るのが渋いから出ないのに出ろとは。こう、屋外に猛威の密度の高まりを、高まり続けるのを感じて、戦慄しながら寝ます。

手加減はいかがですか

傘を閉じるという操作がめんどうだから、それは折りたたみ傘みたいなみみっちいサイズのものを使っていて布地が無理に畳み込まれるゆえ後処理が必要なだけかもしれないが、ある程度のぱらつきからそこそこの粒まで、絶対にあの手間を味わわないぞという強い意志を心に固めて外を歩いた。いくら敵機襲来と言われても、まだ来ない事が分かっているのだから、肩の力を抜けるところは無理に気張らなくてもいいし折り目を爪で刻み込む事もない。手を抜いていいなら、池の水を全部抜くのと同じくらい抜く。手を抜くというか、そもそも手を入れない。ノータッチ。手探りしたところで、手刀で暴風の塊に敵うわけはないのだが。めちゃくちゃに取り沙汰されると、反比例的にものすごい冷めるから、明日は手作りプリン教室でも開催するかという頭になる。本当に大事な事は白地に特大ptのゴシック体か肉太明朝でバン! と書いてくれればいいのであって、無駄な反響と雑音と装飾が多すぎる。ゲーセンが嫌いって言っただろお〜? ちょうどいい距離感と音量と情報量と、じゃあそれは何かと考えると、これは本物を知らないので全き予想だが、執事がそれ、ちょうどいいのではないだろうか。本日の御予定は〇〇、〇〇、〇〇でございます。つけなくてもいい贅肉がなくて、骨格とシルエットだけでキレキレに決まっている。なんなら敬語もなくていいので、予定:〇〇・〇〇・〇〇みたいな追求の果てみたいなスタイルも魅力的だ。なくても本当にいいものをなくすと非人間的になり、機械に言わせとけばよくないかと思えてきて、なくてもいいっちゃいいけどそこまで目くじらを立てなくてもいいもの、贅肉や無駄の以上と未満を守るものが血肉通った感じを演出するのかもしれない。「ちにく」で変換しようとして「恥肉」になったので驚いたが、この単語を入力した自覚はない。そんなもん通って堪るか。窓締め切って部屋に籠城してるとすごい静かで、軒先から水分が垂れる音とか、風が水分をぺちゃぺちゃする音とか、そんなんしか聞こえてこないけど、事前にビシバシ言われた通り、どうなんですかね実際のところは。嵐の前の静けさっていうか、今、サビに向かって、2番終わってちょっと特殊なところ終わって、ラストの大サビに向かうあの瞬間みたいにむくむく隆起してるんでしょ? このまんましお〜って終わってくれればいいんだけどね。あるかね。鎧戸を閉めると、部屋の中の光景がホメオスタシスを強烈に主張し始めるから開けときたいんだけどね。変なもん飛んでこないといいな〜。

左団扇右団扇中団扇上団扇下団扇

確かに味の濃いものは美味しいけど、そればっかり食べてると舌がバカになるんよね。そんな高波、前越えたから見た事あるからもうええわ、みたいになる。微とか妙とかがチャンネルから消えていって、声のでかいチャンネルで埋め尽くされるようになると、それはそれで気持ちのいいものなのかもしれない。ゲームセンターが苦手だから、時計の針の音すらしない、衣擦れと、有無の有無を問うような強度の呼吸と、どこかで何かが動いたような音と、それだけで構成された色のない水銀にとっぷりと浴したい事がある。強い言葉ばかりを使っていくと、同じような状態になって、それが悪いかどうかは分からないにしても、自分でそんな状態は嫌だなときっぱり言えるので、その強度たるや包丁で豆腐を切るが如し、どうだすっぱりだろう、文章を書く時くらいはあれを使えば一語で済むけどわざわざ分解して300文字くらい費やすように心がけるのだが、ちゃんとzipファイルを解凍できているのかね。半分溶けかけたくらいが、冷凍みかんとか美味しいし、悪くないのかもしれないね。半冷凍状態で調理を始めてくださいって書いてある餃子とかあったしね。ので、歯槽膿漏だった場合には申し訳ないですが、ソルベのまま書かれていても頑張って咀嚼してください。食中毒にはならないと思うので。いや、食ってたちまち健康になったり悪阻に襲われたりする料理ってなかなかに恐ろしいと思うのだけど。インスタントに効力が現れないものさして後に残らないものが食べるものの9割くらいを占めるのだから、それはやっぱりそれらに何か、ニキビ跡みたいなものでいいから発見しようとしてみても損はないんじゃないのかね。根っこの部分では、俺はおかゆが好きなのかもしれない。塩だけで勝負できるし、塩がなくても勝負できるし。そこには薄味も濃い味もない。愛情注いで炊きましたよみたいな、多めに入れて食べやすくしました少なめに入れて食べ甲斐を増やしました的なかっこいい矛盾が生まれるのもいいし。あ〜んっていうのはひとつの平和の象徴的具現化だからね。俺はおじやが好きなんだね。内省を得たところで何なのですけど、この前買ってきたミルクアイスバーがもしかして不良なんじゃねえのと思うほどアレなので写真だけ載せておきます。

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使用済みのコンドームに見えますがミルクアイスバーです。そう見えるのは俺だけかもしれんけど。本当は綺麗な直方体のはずなのに、ほぼ全部一回ぐずぐずに溶けて再冷凍されたみたいなだらしなさを発揮しているのよね。これは特に酷くて、棒が半分くらいアイスに埋もれてたの。ちょっとも〜、手がベタベタなんですけど〜。

V字の形状に回復する

今日はまだ、おっ、いけるかもしれんねくらいの感慨を抱く程度の起き抜けだった。そのものを書くのではなく、それに寄せてしかし接触はさせない書き方、どうにかしたいが気がつくとこうなっている。手癖である。まあまあ溜まっていた洗濯物を洗って干さなければならなかったから、時間の必要に迫られて、否応無く仕方なしにとりあえず起き出したとも言える。だが、足をすっ転ばせて頭を強打した挙句の二度寝からの重たい垂れ下がるような浮上の仕方ではなく、風呂場に浮かべるアヒルのおもちゃ程度のファニーさ、ぷかぷか感は覚えたので、一回できっぱりちょちょ切れるというのは大事だ。なまくらの斧で首を斬られたくはない。朝の空気にはやはりどことなく軽さがあって、優しいメレンゲみたいな感じがする。そろそろ季節が下ってくるとただただひたすらにしばれるだけになるのだろうけれど、今の寒と暖の間、境界に立つ者な感じ、抱きしめていきたいですね。お腹を壊すかもしれないので布団越しに。ちゃんと起きると、夜のそれなりの時間にもうすでにちゃんと眠いな。朝方というには始動がゆるゆるだが、身体としてはこちらの方が向いていると思う。ここ一週間と半分くらい、恐ろしく食生活が単調化しているのだが、その原因を何処に求むるやとなった時、ぱっと2つの原因が考えられ、そしてその2つにしか原因がないなと納得する。肉の塊みたいなものが食べたくなって、業務用のでかいフランクフルトを1kg買ってきた。でかいので、一回に2本食べても痛くも痒くもなさそうに冷蔵庫の中で鎮座している。トースターで10分くらい引っ繰り返し続けて熱が通ったような気がするか、フライパンに油を引いて炒めて洗い物を増やすかの2択しかなく、めんどくさいし数も夥しいので減らない。おっ、チキンええやんけと思って、業務用スモークチキンのパックを1kg買ってきた。事前に思っていたより身に締まりがなく、わりかしべちゃべちゃしているのだが、どこかで絶対に嗅いだ事があるのに思い出せないスモークの匂いを漂わせて脳髄の変なところをくすぐってくる。美味しくないわけではないのだが、下手にスライスを買ってきたため食べても食べても手数を物量に吸い取られ、食傷気味になったところにスモークの匂いを擦り込まれるのでしんどい。冷蔵庫の中にこいつら二強が、でかい顔ではないのに圧倒的存在感を放って居座っており、処理しなければという義務感に追われて毎日がモノトーン化している。ふう。あまりに嬉しいので最後にちょろっと書いておきますが、今日の単発でようやっとヴァルナを引きました。色々揃えて両面確定クリ編成やりたいと思います。

どこか憎めないなら全てを憎め

チョークの事を白墨とは言いますが、墨みたいに付着したら一巻のエンド、フィーニス・オブ・ザ・ワールドって感じはしませんよね。ついたら取るのは確かにめんどくさいけど。響きはすごくいいと思います。石川啄木っぽいから。スモウレスラーが一握の塩という詩を書くといい感じになるんじゃないかとずっと思っていますが、詩情豊かな大銀杏は出てきませんかね。今日も割と体力というか、HPじゃなくてMPの方が足りない日だったので、体重が前にかかりながらよろよろとつんのめった感じのある日だったです。一年の計は元旦にあるらしいけれど、一日の計は寝起きにある。起きた瞬間に今日はまあいけん事もないかもしれんなというフィーリングが壊れた蛇口くらいぴょろぴょろ水脈を描いている日と、あーもう無理オールイズアップ為す術なしな日と、大体2つよね。真実はいつもひとつらしいけど。もっと渾々と湧き出る日があってもいいと思うんですけどね、残念ながらないんでね。日が落ちるのが早くなった。気温もそれなりにそれっぽかった。まだ16時かあと油断していると、あっという間に外が軽めのブラックで下地を塗ったようになっていて、時間を間違えているはずはないのだが人生の時間を大幅に損したような気分になるので、どうしようもない事は頭で嫌という程分かっているものの、もそっと優しい落日の方法はないものかと思う。あまり太陽が露出していなかったので、少しは寒いかと長袖を着て外に出たら暑かった。ただし、それは歩いている最中に暑いというだけの事であって、身動きを止めて居どころを定めると可もなく不可もなく、気にならない程度にはなっていた。乗った電車の座席に、「この座席は汚れています。他の座席を御利用ください」的なメッセージの印刷されたカバーシートがかけてあって(シートだけに)、世の中にはこんなもんが存在するのかとまた一つ世界に関する知見を新たにした。午後2時とかそんくらいの時間だったはずだが、その時間帯で人様が座るに気後れするような汚れ方をするとは一体どんな事があったのだろうか。というか、あの座席はクリーニングしてそのままそっと実用に戻されるのか、それともあの部分だけ取り外して新しい座席をインストールするのか、どうするのだろう。何で汚れたのかしら。酔っ払いは、確かに、都会には時間問わずいる。子供がお手洗いを我慢できずに大なり小なり粗相をしてしまったのかもしれない。しかし、あの汚れていますカバーが醸し出していた、遺骸を隠すシートみたいな雰囲気が異質だった。

「ゾウリムシ、懐に入れてあっためておきました!」

ちょうすごい台風がまだ発生して近づいてきていると知り、腰を抜かして胸まで行きそうである。そろそろ10月の上旬も終わりなのだが、それにしたって依然飽き足らず生成して姿を見せるとは、台風はもしかしなくてもかまってちゃんなのかもしれない。3連休に直撃してヴァケーションがぐちゃぐちゃになったりならなかったりするかもしれないらしいが、そもそも来週に3連休が存在する事をさっき知ったので傷は浅い。壁掛けカレンダーでも買った方がいいかもしれないね。あまりに中身の無さを反復しすぎるから……。頭で休みと認識している土日に休めなかったので、今日は一日完全に水泡に帰した。7時に一旦起きたが、8時くらいにもう一度うつらうつらして、10時くらいに浮上して、淀みの誘いに乗ってまにまにしていたら13時くらいに起き出した。体力ゲージに元気がないと、ここまで時間を必要するのかと愕然としたかったが、口先で言うほど愕然としていないので字面ではどうとでも言える。疲れの恐ろしいところは、疲れに任せて命を投げやっていると一層なおのこと疲労がどっかに行かない点で、へばりついてきている事を承知でのろのろとでも行動しなければだんだん取り込まれて固体以上生物未満みたいになる。今日は何もしなかったのでM&Aされた。閉め切れない蛇口から、頭の中身がちょろちょろと流れ出し続けているような感覚。床が水浸し。家の中におそらく総計3匹の蜘蛛が生息を始め、別にアラゴグのように害をなしてくるわけでもなし、寝ている間に寝首をかかれないならばよしの精神で放任していたところ、風呂場に入ろうとすると腕に透明な、見えざる違和感があり、どうやら風呂場に棲みついた一匹が巣を貼り始めたようで、ただ住まれているだけなら寛恕できるのだがこういう事され始めちゃうと、ちょっと考えるな〜と心の狭さを感じた。だが、顔に引っかかる蜘蛛の巣のうざったさは、他に比類するものが即席に思いつかないほどヤなもののひとつである。流し周りでうろちょろしていた一匹は、先日足を滑らせて落ち込んだのか流し排水溝の周りで水に溺れながらバタついており、なんとか脱出しおおせたようなのでよかったねと観察をやめた数時間後に見ると、流しの端っこで身体をおっ広げて動かなくなっていて、毒が身体に回るように、ごぼごぼと全てを持って行かれたようだった。せめてティッシュで掴んで窓の外に放り出し、土に返してやろうかと思っていたのだが、洗い物を流している最中に遺骸の存在を忘れていて、泡混じりの濁流に巻き込まれて下水へと消えていった。

便座 〜うんこ着弾座標〜

結局土日のどちらも動く事となったので、よく分からないが頭から現実離れしたかのようなルーズさを感じて、ちょっともう体力が保たなかったと見えて、18時あたりから2時間ほど布団で仮眠しようと思ったらしっかりと意識をやってしまっていた。休憩は必要である。F1の車もピットインするのだから……。けれど、車はそれ用の整備士が手早くテキパキと(やらなくてはならないように急き立てられているにしろ)片付けるが、自分の身を蹴っ飛ばして路肩に一時停止したとて、そこで手入れするのは自分でやらねばならぬ。エンジンに異音を感じて棄権するか、とりあえずオイルだけ換えておけば目前の不都合はどうにかなるのか、頭が回らなくなったから休もうと思ったのにそこでもまた思考を転がさなければいけなくなって、確かに突然コースアウトしても突然華麗な八回転ジャンプを繰り出して巻き込んだ結果爆発してもあまりおかしくないような気もしてくる。とにかく、体力を絞り出して疲れた時に、骨と骨の間から錆びか倦みみたいなものが染み出してくる感覚を覚えるようになるともう何もせずに大人しくぽけっとしておこうと決めている。時が金なのだとしても、命あっての物種であるからして、命は家計会計の対象ではなく、切り詰めていくようなものではない。命は金太郎飴ではない。ちょんぎるたびに肉が減るし血が出るし、顔が泣いたり笑ったりする。ある程度以上の状態をコンスタントに保てなければ、そんな浮沈と上手くやっていけない、やっていっている場合ではなくなる。巨星だろうが矮星だろうが、落ちるのは一緒だから、光る苔と同じく、誰が誰を照らしているか分かったものではない。北斗七星ではないかもしれないが、トイレの電灯くらいにはなっているかもしれない。何を言おうと思ったのか忘れたが、今言いたいのは疲れたら休もうのコーナーを開催できる程度の懐の深さを維持できる懐具合を維持しないとやべえよなという事だ。一文で終わる事をまるで流しそうめんのように川上からちょろちょろと小出しにしてしまったが、宝探しをするにあたって、お宝の位置を知っていればそりゃあ一発それに向けてスコップを振るうだけで掘り起こせるだろうが、現実にはそうもいかない事の方が圧倒的に多いというか、どうしてお前はそこまで的確に知っているのだと猜疑の目をかけられてしまう可能性の方が高く、基本的にはそこら中を掘り返して虱潰しにするよね?

ミートソースとイーソトープ

トイレットペーパーをぴりぴりしようとした引っ張った。特に意識せず適当にドラッグストアの店頭にあったからひっつかんで買ってきただけの変も哲もないトイレットペーパーなのだけれど、ミシン目で今生の別れ、涙がちょちょぎれた瞬間に、ものすごい違和感があった。数瞬なぜかを探らなければならなかったが、すぐに答えは見つかった。ダブルロール(2枚組)なのに、上下のシートでミシン目がずれているのである。下のシートの切れ目の方が、上のものよりも2センチほど先走っている。ベロを出しているようになる。人生のトイレットペーパー経験を参照すると、ダブルロールは基本的に重なった2枚組のミシン目位置がほぼ全く一致しているものだとばかり思い込んでいたので、このような不具合というか何というか、がありうるとはそういえば考えた事がなかったのである。これを応用すると、ロールの真ん中くらいまではダブルロールだと思わせておいて、あるところで突然シングルロールになる、というイタズラを図る事も可能になる。実行したところで大した意義も意味も得られはしないだろうが、途中で写本伝承が途絶えて原本が散逸した古典テクストごっこはできるか。でも原本1写本1だとな〜。4枚組くらいのトイレットペーパーでやるとそれっぽくなるかもしれないが、それはもはやトイレットペーパーではなく巻かれた紙だ。何かあって、そしてすぐ忘れそうだから携帯に残されているメモを見返していると、いつだったかによく分からない事象に行き会った事を思い出した。要するに、ジッパーケースに入ったバジルスパゲッティーが駅のホームに落ちていたのだ。実にまっことよく分からない。タッパーにパスタを作ってお昼ご飯として持って行くなら嚥下の範囲内なのではあるが、容器がぺらぺらのジッパー袋になりうるのかどうか、私個人では到底判断しかねる。ねるねる。そして、それがどうして駅に落ちていたのかも分からない。同棲している彼氏に、今日のお昼にパスタを作ったよと笑顔で生暖かいジッパービニルを渡されて、嬉しいのか微妙な気持ちなのか自分でもよく分からなくなり、こんなもやもやした気持ちになるのならただ美味しいという4文字の感想だけを作り置きして忘れてしまおうとカバンからわざとうっかりに見えるように落としてそのまま都会の喧騒に溶け込んでいったのかもしれない。パスタチェーンのシェフが、試作として調理したはいいものの厨房に手頃な容器がなかったのでジッパーに入れて本社に持って行く最中誤ってドロップしたものなのかも。全てはあのパスタのようにこんがらがり追求できない。

海底まで行くと2万マイル溜まる

孤独が毒だとすれば、身体の内側でじくじくと生成されて醸造され続けていて、それと同時に身体も抗体を絶えずカウンターで生成し続けていて、身体が負けて身体に回り切るか、ただひたすらの気が遠くなるようないたちごっこで身体がその場しのぎの処置で毎瞬を乗り切っているのか、前者がちらつきつつの絶えざる後者なのだろうなと思った。孤独を覚えるタイプではないのか、あるいは上手い付き合い方を覚えているタイプなのかな、と思っていた人が、たまにどうしようもなく押し潰されそうになるのだと発言しているのを見て、多かれ少なかれゼロまで拭い去る事ができない構成要素なのだなと分からされたので、夜の渋谷飲み街をひとりでぷらぷらしている時にこういう言葉になった。しばらくぶりに、そろそろ日付が変わりそうな時間の渋谷をうろついたが、人間の営為とタバコの匂いと、安いトイレの芳香剤ほどではないが、胸にうっと来るような濃度密度で漂っていて、一人だけ人生ゲームのピンク色のピンで、周りはみんな青のピンであるかのような感覚があった。現実がオセロじゃなくてよかったと思う事がたまにある。どちらかの面を上にせずに、絶えずスピンして倒れこみ旗色を鮮明にしないよう振舞っているのもそれはそれで疲れそうだが。体内の圧を見境なく全て剥ぎ取って、塊りそうなものを雲散霧消させる力が、あの場にはあると思う。朝うっすら意識が浮上したら、バカみたいな音を立てて雨が降っていて、石臼を帽子にしているような重たさでぐらぐらしたので、今日はもう形を保って生命活動をするのは無理だなと感じて昼まで寝ていた。でも、またウィンウィン上昇の兆しを見せる気温に寝汗をかかされて昼に起きると、透明な暖色で窓の外が澄み切っていて、朝の乱暴っぷりは一体何だったのかと目を疑おうとしたが現実は現実なのでしょうがなかった。ぼんやりと色んな事を考えてしまったのは、小林賢太郎テレビ1・2を観たからで、本当にこの人は職業が小林賢太郎なんだなあと腑に落ちたからである。冒頭で言ったあれとかもあれ、なのだが。これもまた、ハッとするような瞬間で満ち満ちて面白いけれど、やはりこの人の作るものは、劇場でやった時にこそ一番よく映えるなという結論にいつも落ち着く。毎ターンフィードバックが返ってくる事で、常に手札から最善に最も準ずるカードを選べるからだろうか。まあ、何と言うか、世の中のプロフェッションは到底カウントが追いつきそうにない。

最初に開鑿すれば交通費を取れる

帰り道にいた、ツルツルの地下駐車場でタイヤが擦れた時のキュルキュルした音に似ている鳴き声の虫、名前を何というのだったか。鈴虫? 風情だけでは秋を感じさせてくれるくせに、日中はアホみたいに暑く、夏の延長戦14回オモテみたいなところがあり、早く試合が終わって家に帰らせてくれ〜と思うに至る次第である。家に帰らせてくれ〜というか、家に帰ってくれ〜というか。仲のいい人間といるのは楽しい時間ではあるが、それはやはり別れの瞬間があってこその、そこに向かってのakmeがあるからこそ楽しくなるのであって、それならばやはりその結びがあまりにも遠過ぎるからこそ熟年離婚なんてものが怒るのかもしれないが、あまりずるずると長居され続けるとぶぶ漬けを出さないといけなくなる。太陽にぶぶ漬けを差し出してみたところで、一日中腕を上げ続けて少しだけ水分の飛んだぶぶ漬けが出来上がるだけなのだが。ともかく、親しき中にも礼儀やら節度やらあるから、ちょっとキリのいいところで一回お引き取り願えない? 無理? 無理か〜。仕方ねえな〜。こうやって仕方ねえなと受け入れて見逃してしまう優しさというか甘っちろさが、あいつをつけあがらせるのかもしれないな。認識機構や感情機構が違うやつは、全てを自分にとって数直線上で正の方向に変換してから飲み込むので、すなわちそれが起こる場がこちらから干渉できる範疇にないので、どうしようもないったらどうしようもない。そのどうしようもなさたるや、チョコボールがボール状であるくらいにはどうしようもない。その名前でキュービック状だったら各方面から厳しいお叱りの言葉を受けて謝罪の深々とした礼を綺麗にばっちし決めて反省している風を取り繕った悲壮な雰囲気を纏わなければならないと思われて思わされてしまうからな。何の話をしていたんだったか。脇道に逸れた、脇道に逸れたと言うと、他の身体の部位に拘りと執着があったが何らかの契機きっかけ動機に恵まれて脇に開眼してしまったように聞こえるのは、私だけなんだろうなあ。逸れたという表現がよろしくない。趣味嗜癖に、おおよそ貴賎はないので、足を踏み入れたなどが正答のひとつとして当たるだろうか。脇道に足を踏み入れた。皆さんにはこれは脱線と、余剰と聞こえるかもしれませんが、そうではありません、これは私の確固たる決断と意思によるものなのです、毅然としてキッと視線を前に投げる精悍な姿が思い起こされて、いいなこれ、今度から脇道に足を踏み入れるを使っていこうかな。

トランペットを吹く丘で

線香の偽物になって、全然線香と関係ない、揚げたての唐揚げの匂いとか放ちたいな。通夜とか法事で唐揚げの美味しい匂いがしたら、悲しい気持ちもちょっとは和らぐでしょ。焼いてないから「ちょっと! これから故人の遺体が焼かれるっていうのに不謹慎ね!?」とか訳わかんない突っかかり方される事もないでしょう、多分。唐揚げスメルの線香を焚いている時点で、そういう系の参列者には怒られるかもしれませんが。悲しい時ほど、そうじゃないものが必要って瞬間、少なからずあるよね。辛いものしょっぱいものばっかり食べてたら、甘いものが食べたくなるみたいな、そういう系のアレよ。並みに生きてても人間贅沢になるんで、松竹梅の梅しか選べなくても、じゃあその梅は紫蘇漬けの梅なのか、カリカリ梅なのか、忍者めしの梅味なのか、チョーヤの梅酒なのか、くらいのバリエーションで勝負できるくらいではいたいと思おうとしたけれど、そこまでとりわけて梅が好きなわけでもないからラブラブ光線を射出できるほど感情の昂ぶりはなかったな。まだ唐揚げの香る線香に生まれ変わった方がよっぽどいいわ。さすがに線香ほど細っちょろいと、爆発シーンを擬似的に再現できるスタンプにはなれないでしょうね。線香として一生を、一瞬だけささやかに煌めいて終わろうと思います。2秒くらいで考えた適当な事に随分文字数を割いた。しゃべらなくてもいいどうでもいい事に対してはものすごい熱量を注いでしまうな。唐揚げが揚がる。昼飯にまた麻婆豆腐&油淋鶏中華丼を食ってしまったので、体内の唐揚げっぽさ濃度が上がっている。軽々しく。書こうと思った事があったけど、あまりに生々しくて精神を撫で付けられたからやめとこう。リアル過ぎますね。ロボットの不気味の谷もそうだけど、それらしさに近似してそれらしさをミリでも追い越してしまった瞬間に、現実味がエーテルに溶け出して途端に薄味になるのよね。味を損なわない、ギリギリのところまで煮詰めて追い込んでいく攻めの姿勢、前のめりになり過ぎて谷に頭飲み込まれたまま戻れなくならないように注意したいところ。何の話がしたかったんだ。冒頭に唐揚げを思いついてから風船おじさんの空飛ぶ家になってしまった。寝坊したのは覚えている。串カツのタレ二度漬けは禁止だけど、お布団での二度寝は禁止されてはいないから、少しは優しい世界だなと思わない事もないですね。こんまり先生の、"spark your joy"のyour joyがないんです、という話をした。

照り返すendeavour

疲れたので頭の裏側がもしょもしょごわごわして秋刀魚に変身した挙句秋の空にフライアウェイして行きそうだが、生憎と天候が寒くなる兆しを見せてからの台風接近を受け手のツンデレホットバック現象をぶちかまして身体がアホになりそうなので、今秋刀魚になったら中途半端に痛むだけで綺麗な七輪焼きにはなれないかもしれない。帰って風呂入って一瞬の間を置いてずるずると眠ってしまい、まだやっていない事もあるのにこんな事ではいかんよキミぃと苦言を呈そうと頑張って人生への意味づけを積極的に行いアウフヘーベン満載のぶち上がり人生上々↑↑決めようと思ったが、疲労の金属的な不快感と重量感は全てを優しく水銀の沼に引き摺り込むかのような抗えなさがあり、そのままぷくぷくと泡を吐いていたら素敵な時間になってしまった。残りの時間で命燃やして綺麗な火花を出してやんよ、と言う元気もないのできたねえ花火になるやもしれん。そもそも汚い花火を見た事がないのだがおトイレットのサニタリーボックスや掃除ができない一人暮らし系ピープルの部屋にある中身の見えるまま捨てられていないゴミ袋、小学校の近くにあったケミカルと刺激臭のする側溝と淀みを風呂敷に詰めて打ち上げたらそれは汚い花火になるだろうが、fireworksとしての花火できちゃないものを見た事がない。そもそも、あれを見る時に綺麗ー汚いという二極ではなく、0から始まってどれだけ綺麗かという正の範囲の数直線で考えていると思うから、汚い花火というのはあくまで言葉の綾でしかないんじゃないかしら。今年はでかい花火を見なかったな。ちっちゃい花火セットみたいなのを、実家に帰った夏に燃やしたりしたが。大きな、花火大会とかで打ち上がる花火を見ている間は、ただ花火を見ていればよくて、それ以外を考える口実を失わさせてくれて、空欄になった頭の中に毎秒毎秒一瞬だけ光華が書き込まれてメモ帳のそのページが破られてまた書き込まれて、連続的に意味のある思考をしなくていいからある意味で気持ちいい。夜の空気とか、周囲に平べったく伸び回る空間を共有する一体感とか、そうか、花火を見上げている時、それは映画館で席に座ってスクリーンに視線を吸い込まれているあの時間にとてもよく似ている。毎瞬新しいページへと引っ剥がされていくし、でかい音が鳴るし、顔が光でぼうと照らされて浮かび上がるし。火花は映画だったんだな。ただ、ライブビューイングだと決定的な何かが削ぎ落とされるだけだ。

ジョークグッズの道化

朝起きた瞬間に人生の意味について直感を得られるならば高級な頭になってみたいが、そもそも高級な頭とは何なのだろうか。私の頭が高級な頭でないとすると、そうでない頭には「ところてんを敷き詰めたビニールプールに飛び込んだら気持ちよさそ〜〜〜」という考えが一片も一瞬も思い浮かばないものなのだろうか。マイクロビキニが果たして水着として機能しているのかいないのかについて思索を巡らせる時間は一秒たりとも存在しないのだろうか。分からん。どんなに聡くて明るい頭でも、ある程度の範疇を超えたアイディアについてはさすがに思いつかないのではないかという気がするし、そもそも、こういう階層分けが適切なのかどうか何とも言えないが、高級な考えと低俗な考えと、同居はできても一方から他方へ手を差し伸べたりお中元お歳暮を渡したりという関係ではどう頑張ってもない気がするのだ。いくら考えを展開するのに長けているとはいえ、解放していないマップを踏破する事はできないはずである。レベル的に習得できない技を繰り出す事はできないはずな気がする。そもそも考えなくても益の有無が重要にならない事は重みを持って浮かんでこず、茹で機の底でぶよぶよになったしらたまやラーメンみたいに、物好きに見つけられない限りは無為に肥大化し続けて一瞬で排水されてなかったも同然になるのか。こういう事考えてる時間が勿体ないわな。効率だけが全てではないとは言え。すき家が、おこのみ牛玉丼とかいう何とも言えないメニューを出していて、以前一瞬登場したお好み焼き牛丼みたいなやつを食べ損ねて後悔したので食べた。平ための鉢にほんのりご飯が乗っていて、これまたほんのりボリュームささやか牛肉がいちレイヤーだけ添えられ、それらの頂点に、正方形に切られたキャベツの破片がぱらぱら散って、薄いマヨネーズとオタフクソースの層があって、自分で鰹節とアオサは小分けのビニール包装を破ってかける。う〜ん。う〜ん。そうだね。すげえ微妙だね。おこのみなのでお好み焼きではなく、粉もんの部分がないのは確かにそう言われるとそうかもしれない。しかし、焼肉連れてってやるよ! と言われて焼肉さん太郎をしこたま食わされた時のような(そんな経験は今の所ないが)、そうじゃねえんだよな〜〜〜分かってくれよ〜〜〜と思って仕方がなかった。普通に牛丼食べればよかった。DMM GAMESのオトギフロンティアで、第何弾か忘れましたがキルドヤコラボが始まりました。グロスタが出てない気がするけど、ほとんどのキャラが揃いましたね。やっぱりキルドヤは最高のゲームですね。パラシフ好きなんよね。

「フエラムね?」

左手人差し指のツンドラ地帯ぐちょぐちょ手荒れが少しだけ治ってきたのでちょっぴり嬉しい。薬局でワセリンを見るたびになんとも言えない気持ちになるが、ワセリンは塗った後に全てをべちょべちょに浸すその兵器がごとき侵攻性が一番にして唯一の問題なのであって、肌問題に関してはあれで大体がちょちょっと解決する。患部に塗る系の薬が欠点を欠けないのは、塗ると他のものについてしまうのがどうしようもなく内在的性格だからであって、そこに文句を言っても仕方がない。べったり、ついて離れず付き合っていくしかないのだ。はるかにちびて可愛らしくなってから久しかったので、ようやっと薬局で牛乳石鹸を買った。牛乳石鹸のいいところは、パッケージが洗練されていないがそこに堂々と立つ堅実さがあるからである。バラの匂いがついていたはずの、記憶が確かではないが、赤いラベルの方は、その色が故にものすごい自己主張と色気を芬芬と撒き散らしているものだが、青いラベルの方はただ血の気のない青地の中に牛をそっとプレゼンテーションしてくるだけで、押し付けがましいものがなく慎ましい。そのくせ、中身の石鹸を取り出すと隆々としたボリュームの塊がごとりと落ちてくるのだから、そのアンバランスさたるや、世間一般で言うところのギャップ萌えというやつである。牛乳石鹸可愛い〜〜〜。家庭で牛乳石鹸牛乳石鹸と呼ばれて、周りにそう呼称しても特に注意されなかったのでこれでおおよそ巷間に認知されているものだと思われるのだが、ふとパッケージに貼られた商品名シールを見ると「カウブランド青箱 バスサイズ3P」と書いてあった。牛銘柄だった。??? 納得いかなかったので箱をぺろぺろ読み流してみると、どうやら「牛乳石鹸」は製造が「牛乳石鹸共進社株式会社」であるところから取られたものらしい。商品そのものには、牛乳のぎの字もなく、化粧石鹸カウブランド青箱a1との文字しかない。そういうね。一般的に呼ばれている実態と本質が乖離しているやつね。牛乳石鹸でこの手の隔たりを感じる事になるとは思わなかったね。昨日も昼飯にラーメンを食べたし、インスタント系のラーメンはどうも生麺と比べてしまって好かないのだけれど、やはり日清の欧風チーズカレーヌードルは鼻血が出そうなくらい美味い。理由はよく分からないし自問自答しながらもぐもぐ食べているのだが、答えがさっぱり分からん。カレーが美味い。チーズはよく分からないがカレーが美味い。パッケージの金色(こんじき)が眩しいぜ。

Beneventum

二度寝が気持ちいいのはポテトサラダがじゃがいもからできているのと同じくらいよく知った事だけれど、それに休日が乗算されるとたちまち真理の重みが度を増して瞼にのしかかりAM7時からタイムスリップさせようと企んでくるのでタチが悪いしこちらはこちらで意思が弱い。にがりを加える前の豆腐くらい弱い。にがりを加える前の豆腐を見た事がないけれど、おそらくぐずぐずだと思うのでそれくらいという事にしておく。意気揚々と綿手袋を買ってきていそいそと就寝前にニベアを塗りたくった手を突っ込もうとした矢先、ニュータイプみたいな直感の閃きに気圧され、負けじとthrust inしようとするもMサイズという存在の在り方に圧倒的敗北を喫してめちゃくちゃ着け心地が悪かった。通気性が抜群と書いてあったにもかかわらず、昨晩が少し暑苦しかった事もあるにせよ、手が暑くて仕方なくてそこに意識が集中されて全然寝られない。手が痛い、手が暑い、この二点で倒立を続ければ精神が崩壊してしまうのは時間の問題秒読みプロブレムだと判断し、潔く手袋を捨て眠りに落ちようとしたところ寝られないのは普通に不眠のせいだった。手が暑っ苦しいのもあるが。道具を有用に使うには、道具が手に馴染むと同時にこちらもコンディションを整えなきゃいけないんだなって分かりましたね。難しいな〜道具。使われるのには慣れても、使うのはまた別の事なんだなって。人間は本当にコンプレックスな人間ですわ。そこそこ十分に寝てるはずなのに変に眠いな。やっぱり頭がとろけているのではなかろうか。マンゴースムージーくらい、に……。マンゴースムージーを飲んだ事あったっけ? ない気がする。想像でものを喋るのはよくないな。朝ごはんが大層単調化してきたからどうにかしたいのだが、うどんを茹でるとかパンケーキを焼くとか、そんな選択肢が浮かぶもそうではない。なんか、どう言えばいいのか分からなくて居心地が最悪なのだが、そうじゃないんだなあ。クレヨンしんちゃんの風間くんみたいに、おティーとワッフルで優雅な朝を迎えればこのモヤモヤを飲み下す事ができるのだろうか。果たして次回。優雅な朝とは言うが、7時くらいに起きたらそれほど猶予がないのだから、あれはやはり他の人間に労働が移送されているからこその優雅な朝なのではないかという気もしてくる。ワッフルだけだとお腹が空きそうだけど、じゃあパンケーキくらいを焼けばいいか。パンケーキは粉を混ぜたボウルを洗うのが面倒なんよね。