他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

短く染みる爪

玄関前のスペースと大家さん家への通用路を繋ぐ小さな庭のような経路、そこの工事が今日も進んでおり、ちょっと植栽を移動したり、趣を出すために石(岩?)を置いたり、とかわいらしいオペレーションで終わると思ったのだが、ずんがらずんがら音がするし、がっきんがっきん叩くような音もするし、一体どんな工事をしとるんじゃいと訝しんでいた。買い物に出る時に確認すると、すぐ目の前の土が掘り返されて養生シートが茶色く烟っており、ついこの前まで、泥団子を作るとそれなりのものができそうな、深い茶色の土は白い石灰質な板岩に変わっていた。??? 置石置岩にしては平たく長いなと思っていたのだが、どうやら飛び石というのか敷石というのか、足の踏み場の主たる部分に石を乗せたものらしかった。足の裏に伝わる、やさしい土の感触も好きだったのだが。塀にスコップやらなんやら、工具が立てかけたままになっているので、もう数日続くものと思われる。そろそろパンは飽きたので、米を炊こうと思う。炊飯器の使い方を忘れるはずはないが、米研ぐのめんどくせ〜とは思っている。前からめんどくさくはあったが。発芽米って、玄米コースで炊いてもいいのか? 白米の方で炊くのか? 米は炊き方を間違えると不味いのでまずい。買い物に行って、肉とか野菜を買った。目に見えて人通りの質が変わった。このまま1ヶ月2ヶ月前にV字回復すると、その他諸々もV字回復してしまいそうなので、もそっとゆるやかに穏やかに回帰して欲しかったものなのだが。面白そうなので青唐辛子を買った。どうせそんな辛くないやろと思って。今思えば完全に勘違いしていたのだが、「辛いものと辛くないものがあるロシアンルーレット」になるのはシシトウであって、青唐辛子は「唐辛子」なので何があろうと辛いのだ。カプサイシンなのだ。これを少しでも覚えて思い出していれば、数時間後の悲劇もなかっただろうに。せっかく買ったのだから、料理に入れたろ、と4本ばかり切った。中にちっこい種がいっぱいあったので、「指を突っ込んで」綺麗にさらった。じきに、指が燃えるように疼き始める。疼きは貫くような痛みに変わり、しかもそれが間断なく際限なく、一切程度を緩める事なく襲いかかってくる。カプサイシンだ! そう思った時には既に遅し、手をわなわなさせながら転がり回る惨めな人間の姿がそこにあった。ひとまず石鹸で手を洗い、インターネットに「唐辛子 痛い」で検索をかけ、油で手を洗えばいいとあるのでオリーブオイルで手を洗い(カプサイシン脂溶性らしい、そういえばかぐや様の藤原書記ラーメン回で読んだ気がする)、まったく収まらないので牛乳石鹸で手を洗い(アルカリ性で中和できるらしいが手に優しすぎて多分効果なし)、最終的に牛乳を椀に開けて手を洗いそれでもダメだったので苦し紛れに冷えピタを左右両手に巻きつけて凌いでいた。やばかった。久しぶりに脳が燃えた。

フライドチキン投擲

ゴミ箱を少し押し込んだら、ハエが一匹ぷんと上がってきた。もうそんな季節かと思ったが、確かにそんな季節ではある。早く玄関に置いてあるゴミを捨てたい。いつも忘れているものだから……。昼前から、外で、しかし家のとびきり近く、がりがりごりごりどっかんどっかん、壁一枚隔てて聞こえてきた。また、ガスメーターか何かの工事をやっているのかと思ったが、トイレに行った時だか洗面所に行った時だか、「ジンチョウゲが……」と会話の断片が聞こえてきたので、植木屋だか庭師だか、それに類するお仕事の人らしい事が分かった。ジンチョウゲは、漢字で書くと沈丁花なので、文字面だけで言うとものすごく好きな花である。どんな花なのか、一切のイメージを持ってはいないのだけど。一応画像検索をしてみたが、あぁ、ジンチョウゲジンチョウゲ……、ふーん……。程度の感想しか起こらなかった。それくらい、ジンチョウゲがコモンではない。というか、名前からびったしそれそのものをイメージできる花なんて、両手両足の指で足りてしまうくらいしか知らないのではないかという気もする。門外漢とか、そんな言葉も生温い人間だからこそ、窓の外から聞こえてきた、男性の「沈丁花が……」についと意識を引っ張られるものがあったのである。植栽の植え替えでもやっているのかと思ったら、くそでかい石がごろごろ置いてあったり、地面が掘り返されて真新しい色が見えていたり、思ったより絢爛華やかな作業風景ではなかった。どう考えても玄関先に似つかわしくない石というか岩というかだったのだが、あれは何にどうやって使うのだろう。ラーメン屋に行った。なんだか油そばが食べたくて。油そばとは書いてあるが、極太麺が油に浸っている、かわいらしい油そばが真っ青になって逃げ出すような、ものすごくべたべたしたマジモンの油そばである。試しに激辛にしてみたら、美味しく食べられはするが、油断すると喉奥をやられて咳き込む程度にハードだった。食べる道中でだんだん慣れたが、唐辛子と油の海の中を泳ぐようであった。やけくそみたいにもやしが乗っていた。特盛にしたからだろうか。今日は特盛に勝てるかどうかギリギリだったが、なんとか勝った。頭上真上のテレビから流れる、ひどく内容のないニュースに対して頭の中で顔をしかめながら食べる羽目になった。マスクを着けながら東京タワーの展望デッキまでの階段を上がるの辛くないですか、なんて益体のない事を聞くな。というか、宣言が解けたから人がいっぱいいますねと言いながらその構成要素になるな。

message dying

洗濯機を回した事を忘れて、昼過ぎくらいまでドラムの中で留守番させてしまう事がある。どっかのH&Mで買った(アパレルのでっかい、安くてサイズが豊富なのはH&Mという名前の店舗だったと思う、違ったっけ?)ごついバスタオルのごく一部分に、色が抜けた白班があり、おそらく洗剤を、注水と同時にざぱーっと適当に入れている後遺症なのだと思われる。カラッと晴れているわけでもなく、曇って陽の光が見えないでもない。生半可な、中庸を踏みしめるかのような晴れだった。家の前のアパートは、塀を飛び越えて、一階から二階への手すりにまでおばはんの洗濯物が干してあって、景観も何もないし、なんだかすげえアパートだなの感をいや増していた。おばはんで思い出したが、それはもう年単位くらいで観ていないけれど、ジャルジャルはまだYouTubeに毎日ネタ未満のスケッチみたいなものを投稿し続けているのだろうか。あの、真面目に向き合っていると世界が静かにぐんにゃりと曲がってくるような空気と、それに対する執着は、まさに他に類を見ないと言うべきそれで、いつか何かやるんだろうなとは感じるが、それが大勢に受け入れられるかどうかはかなり首を傾げる、個人的には目が離せないものではある。まだやっていそうな気がする。継続、習慣性というのはひとつのスキルで、ただ、とりあえず毎日それをやっているできているというだけで少なからず注目すべきポイントだと思うのだ。で、何やってんですか、という話があるわけだが。昼の方が涼しかった。夜になると、じんわりと身体が熱を持って、あるいは熱を持ちきれなくなっているのを感じる。今日の食事はひどかった。食パンにだしの素をかけてマヨネーズを加えてトーストしたやつ、日清カップヌードル赤、棚に残っていたかぼちゃの野菜スープパウチと、玉子2つを使ったスクランブルエッグ。ほぼほぼ黄色の食品群しかない。生きる事はできるが生活していない食事だった。頭が痛かった。痛くはないが、喪失感と欠落と茫洋と、虚無と混沌が百均で売られているかのようなクオリティで存在を訴えかけてきて、そもそもそいつらには目をやるべきところがないので目のやり場に困って、後頭部の底の方に忌まわしい倦怠感の澱がちゃぷちゃぷしながらずるずるとやっていたらいつの間にか夜になっていて悲鳴がウルトラCのバク転でも決めるかと思った。しばらく独り言がめっきり鳴りを潜めているので、やはり何かしらの失調が。

パンくずを落としてきた事を忘れた迷子

いまいち天気がはっきりしない日で、太陽が出たり引っ込んだり、ほとんど曇りで雨さえぱらつくような情緒不安定さだった。少し暑かった。長袖のシャツはそろそろアウトオブシーズンな気もするが、半袖の類は畳んでボックスの中に押し込めてしまっているのでそれを取り出すのも面倒だからずっと長袖で耐え得る気候が続いてくれないかと思うところもある。しかし、半袖は半袖で、料理や手洗いの時に袖をまくったりして気にする必要がないから強みがある。ずっと頭が痛かった。頭が痛かったというか、排水溝にゴミが詰まって、ぐずぐずとほんの少しずつ脳の中身が余剰物を排泄するのに失敗し続けているような不快感と停滞があって、しばらく野垂れたようになって休んだりしていた。まさかコンビニで印刷して郵便局で封筒を出すだけの作業で、一日分のカロリーを消費してしまったわけでもあるまいに。多分。一日分の野菜を摂取できると書いてあるが、それは重量だけで、栄養素的には全く偏っている、みたいなのがあるとかないとか見たような気がする。覚えがない事をあんまり言うものでもないか。あんなに意気揚々と買って意気揚々と読んだ本も、すっかりぐったりしてしまって手に取る気力さえ起きない。あまりにも可処分活動エネルギーが少なすぎるんじゃないか。常に、何かやらなければいけない事があって、それをやっていないような気がするのに、それが何だったか茫洋として掴み所がなく足がかりもなく、うんうん唸っていたら時間を無駄にしている。少し、通りにも人気というか活気が戻って来た感じがある。パッと見た時の密度、人が動いている気配が違う。家の中だと、人一人減るだけでずいぶんと空気が変わるが、広い場所だとそれなりの数で変化が起こらないと分からない。一緒に食べるものがなくなったので、食パンに、いや、ダブルソフトを食パンと言うのは少なからず憚られる、他のなんだかもっさりしたものに比べて、やはりダブルソフトはどこか大きく異なる点があるように思えてならないのだ、マヨネーズを適当に絞って、適当にだしの素をふりかけて、だしの素が黒く焦げるまで焼いたものを食っている。塩分と油脂、これがあれば大体のものを美味いと思って食えるんじゃなかろうか。かなり即物的な美味いなのだけど。だしの素は、焦げても塩の味がする。ほぼ塩の味だけになる。元になった魚介の風味みたいなものは、雰囲気は感じるが焦げの香ばしさに取って代わられている気がする。

ペロペロキャンディを縦に拡張した形

比較的まともに目が覚めたが、朝に関しては記憶が薄い。久しぶりに、それはもう久しぶりに外に出て活動したら、腰がバキバキになって上体を曲げる事さえゆっくりやらなければならなくなるほどガタガタになった。身体は、使わないと錆びるのだなと思った。すごく晴れだった。洗濯物を干すのに良さそうな日和だった。ただ、日中はそこそこ暑い。冷やし中華が美味そうだ。丸々一年くらいは、いやもっとか、冷やし中華を食べていない気がする。きゅうり、卵、ハム、かにかま。甘酸っぱいようなあまじょっぱいようなタレ。冷やし中華を想像するとこのテンプレートが出てくる。人によって前後するところがあるだろう。ハムが鶏肉、ささみみたいなほっそいやつになったり、とうもろこしが増えたり? するのかな、多分。3食160円のマルちゃん正麺だかどこかの冷やし中華が、かなり好みのたれをしている。頭の悪い味がする。肉じゃがが食いてえな。身体がぐったりして家に野垂れて一時間だか二時間だかぐったりしていたら、身体の軋みはなくなったが目がギラギラして首が痛くなった。マックのチーズバーガーを20個くらい一気に食べたくなった。眠い。眠いのか? 帰りにふらふらして、電車の中の混雑具合と距離にびっくりした。朝もびっくりしたが。全然人がいない。いないわけではないが、これが平日朝の山手線かと思った。あっさり座れる。座れる座れないではなく、席がスッカスカである。4割くらいしかいない。これがコロナかぁ、と思った。静かで、人がまばらで、あったかい陽の光が入ってきて眠たくなった。物干し竿でぶらんこ。おちんちんパトロール。髪切りに理髪店に寄ったら、幸い空いていた。しばらく待ったら順番が来た。頭頂部がもりもりして、もみあげも元気になって、襟足も縛ろうと思えば縛れるくらいになってしまったので、風呂上がりにバスタオルでわしわしするのが面倒でひたすら髪が切りてえな切りてえなと考え続けていたから、口実と機会があったのは大変すばらしかった。感染症がやべーから、顔面剃りシェーブはやらないよと書いてあった。まあ、確かに、シェーブされる時のあれこれを思い出すと、なかなかセンシティブでデリケートな作業ではあった。髪を切りに行くたびに、頭頂部のあたりをもふもふされて、「この辺も重くなってるんで〜」と言われる。髪が重い、という表現は、ひたすらあそこで聞く。さっぱりした。いつもの、檸檬みたいな匂いがする仕上げ剤はつけられなかった。

非接触的殴る蹴る

日曜日なのをいい事に、何もしなかったような気がする。いや、無為を為していたわけではない。メインで食べるものがなくなったので、ダブルソフトを買いに行った。複数人家族で食べるにはダブルソフトだと値段が張ってしまうのだろうが、一人だとそこまで気にならない。通帳をロストしたまま、再発行に行くのがめんどくさすぎてここしばらく口座残高を見ていない図太さと横着さがこれを可能にするのかもしれないが。レジに行く前にふらふらしていたエリアで、発芽米を見かけたので買ってしまった。600円くらい。800gくらい。玄米と発芽米の違いは知らない。茶色いので買った。森永のクッキーシリーズに期間限定品が出ていて、瀬戸内レモン使用の、レモンが使われているお菓子なりなんなりって大体瀬戸内レモン使用と書いてあってそれがどのくらいの訴求力があるのか分からないが、クッキーサンド的なやつがあったのでそれも。レモンは好きというほど好きではない。使われていても何とも思わない程度。唐揚げに勝手にかけられても感情は湧かない。梶井基次郎を思い出した。あのむすっとしながらも愛嬌のある表情、かなり微妙な境界のゆらぎを感じさせて記憶に残る。檸檬みたいな、内面の奔流は情報量が多いけれど、行動自体には実際的な理解できる意味がなくて、その後味とか含みとかに託して委ねているような小説というのは、どう評価したものだか、結構困るんじゃないかと思うのだけどどうなのだろう。筋らしい筋がないというか。キャッチボールではなくて、玉が転がってきてそのまま全てが静止している状態というか。どうするよってなるんですわ。5月末まで無料公開されていると聞いたので、今まで名前しか聞いた事なかったしこの機会に読んじゃお! とかわいらしい気を起こして読んでいました、プリズマ☆イリヤhttps://web-ace.jp/tmca/contents/2000025/)。魔法少女ものだと思って読み始めたんです。平和できゃわわなきゃっきゃうふふなやつかと思ったんです。思ってたんですけどね。全然そんな事なかった。さすがFateだわと脱帽しました。舐めてかかった分、頭蓋骨を外してお詫びしたい。めちゃくちゃ面白いけどめちゃくちゃ重いしシリアス。4日くらいかけてもりもり最新話まで読んでしまった。これは……面白いな……。何回でも言えますが、さすがFateだった。第3シーズンがはちゃめちゃにカロリー高いのでおすすめです。内容についてあれこれ書かないのは、私がネタバレを極端に嫌うタチだからです。面白いよ。

おしっこ色の雲

朝方に向かう変な時間帯に目が覚めて、布団左手にある机の上の方から、ものすごい音がした。ガッ、バババババババババキバキバキバキ。そんな音がしそうなものは一つしかなかったし思いつかなかった。机の上に置いてあるPCのキーボードが滅茶苦茶滅多矢鱈に乱打され、弾け飛ぼうとしているかのような、起き抜けに聞くと芯から冷え上がるような強烈な破壊音だった。おっ、これはと思った。これはあれか、ポルターガイスト的なあれか、と。暗いから見えないのか、少し目をやっただけで目をそらしてしまう弱気な心がいけないのか、椅子の背で半分隠れた机上には、なんか黒い生き物がPCを開いて、暴力的なまでの打鍵を見せているのかと思い立って、トイレに行きたい事に気が付いたもののそいつとシラフで鉢合わせるのは怖い。ここまでそれなりの速度で考えをまとめてから、せめて明るくなるまでお布団の中でじっとしていようと思った。怖いのは苦手だ。得意なものは何だと言われると、それもまた困るが。ドキドキしながら、机の上が目に入らないように寝返りを打ったり、窓の外を見て明るくなったかどうか窺ったりしていた。気が付いたら寝ていた。昼前に起きて、机の上見たくないな〜PCが爆散してたらやだな〜家電量販店に行って直してもらわないといけなくて、その間使えなくなるからやだな〜とぐずぐずして、しばらくゴロゴロしてから机の上を見た。何にもなってなかった。PCを開いて電源をつけても、液晶に不具合があるとかそんな事は一切ない。いつも通りだ。およよ? 神経強迫症的なあれからくる、幻聴的なあれの一種的なやつかな? もしかしたらリアルな夢だったかもしれないと思って、朝ごはんを食べる事にした。るんるんる〜。楽しそうな鼻歌というのは、楽しい気分の時にそもそも鼻歌を歌うのかしらという疑問の前に無力になる気がする。一度机に戻って台所に行こうとすると、買ってきた本やら漫画やらを積み上げていたタワーが一棟、盛大に雪崩れているのを発見した。頭の中で崩壊のシークエンスを音声付きで想像しながら、昨日の夜の事を思い出し、むむむむむとなった。これは。これは〜。これはぁ〜。さてはぁ〜。この崩落のものすんげえ音で目が覚めて、一人でびくびくしてただけですかにゃ〜〜〜? そうかもしれない。そうではなくて、あの爆裂な音と本タワーのクラッシュは、全く別個の事象なの、かも。視覚情報が限られた中で、音を武器に攻められると怖いのはわかった。

外見、あるいは肉体的変身

また寒い日だった。でも、日の沈み方には季節感があった。18時に外を見た。ちょっと前だと、18時、まだ18時かと思って外を見やると、とっぷり暮れていて調子を外したものだが、今日はまだ明るく、しばらく明るく、取ってつけたような水滴がぽつぽつと感じられた。結局降るには至らなかったようなので、通り雨未満の何かだったわけである。夕暮れから夜の暗さに落ちていく時の、境界の濃いネイビーがきれいな色をしているなと思った。朝、目覚ましよりも10分早く目が覚めて、頭をずるずる引き摺りながらぐだぐだしていたら、目覚ましのアラームは通り過ぎたしまたギリギリ一歩手前くらいで傾斜5°くらいの緩やかさで起きた。ゴミを捨てるのは忘れた。外出回数が極限まで削ぎ落とされたので、玄関まで行く回数さえ減り、玄関にまだ捨ててないゴミ袋を放り出したままである事も忘れていた。家の中の事であっても意識に上らなくなる、プライオリティが下がるというのは、これはなかなかよろしくない事な気がする。夜に包まれる前に、ぷらぷら歩いていると、開いている店が少しだけ増えていた。息をしているんだかしていないんだか分からない、ちっこい居酒屋は7割くらいの客入りだった。まだ緊急事態宣言って解除されていないんだっけ? 自粛をやめたら、それはなかなか無視できないスピードで病魔に蝕まれていきそうな気がするが、しかし飲食店なんかは客を入れなければやっていけないわけで、特に居酒屋みたいな「場」の性格があるタイプは、やらないのも正しいしやるのも正しいという真っ当なダブルスタンダードが成立してしまい、難しいわねと思う。難しいという結論は結論に見えて結論ではないのだが、作業仮説的なとりあえずの担保性はあるような気がする。ないかもしれないが。もう2ヶ月くらい、営業していないラーメン屋があるが、あそこは金銭的な意味で大丈夫なのだろうか。この局面が後押しとなったのか、ただ被っただけで遠因なのか、長く知っているラーメン屋が近々店を閉めるらしい。少なくない入れ替わりというか、ステージアウトが、どこでもあったしあるんじゃないだろうか。日本語ではない言語の歌詞や詩行を見つけて、面白いなこれはと思うと、どうにかして日本語に写せない(移せない)かどうか考えるのだが、当たり前な事に言語が違うため上手くいったような感じがない。かの米原万理は、ロシア語のことわざに対して、でっちあげの日本語ことわざっぽいものをぶつけて説明する事もあったというが、写像にどれほどの精度を要求するのが真っ当なのやら。精度なのか?

看板を振るが何も書いてない

寝て起きたら寒かった。寝起きの意識にかかる重力がものすごくて、浮沈浮沈を繰り返していたら時間ギリギリに起きた。あの、穴にうまく嵌って抜けられなくなりそうな、ゴルフの穴っぽこの周りでボールがずっとぐるぐる走り回るような意識の沈殿の仕方に、名前はないだろうが強烈な再演感を覚える。五月も下旬と言うに、二月三月を思い出すような空気で、でも今年はかなり寒さが後ろまで居座っていたような覚えもあるが、空も一面銀色の、UFOを塗るなら明るめのスペースグレイでこんなんがありそうだなという見渡す限りの曇り空で、これはやってられんなと観念して洗濯物を部屋干ししたらホコリとカビの匂いがむんと立ち込めて一時かなりげんなりした。道路でタイヤが蹴り上げた砂埃の匂いさえしそうなくらい、カラッと晴れて欲しい。洗濯物を干す日なんか特に。3日くらい、もよもよした天気のままだ。日本には梅雨という季節がある事は覚えているしあるのも経験上分かってはいるのだが、じゃあその梅雨っていう季節がカレンダー上のどこにあるんでしょうかと聞かれると、そういえばどの辺だったっけねと後ずさってしまうくらいに梅雨への覚えがよろしくない。二重の意味で。梅雨でいいところは、雨が降っている時に見る紫陽花が綺麗なくらいではないか、梅雨と紫陽花って旬を同じくしているのだったか。小学校の教室には、季節に合わせてさくらの装飾に入学進級おめでとうと書かれていたり、紫陽花を折り紙で作ってカタツムリをくっつけたりしたようなしてないような気がする。抽出された季節感があった。唐突に、小学校の国語の時間に俳句を何本か書かされて、匿名化して掲出の上、●シールで投票したレースの中で、一回一等賞を取った事を思い出した。あの頃から、普通ではない言葉遣いを頭をひねって考えていたマセガキだったのも合わせて思い出した。昔から、普通に言える事ならわざわざ言う意味ないやんけ、と思っていたのだろう。核になる精神性の部分は、かなり早熟だったという事か。晩飯は、冷蔵庫のポケットに入れ忘れたままのなめこを使う必要があるなと認識したため、薄い櫛切りの玉ねぎとしめじ、鶏肉を酒とか味の素とか醤油で煮詰めようとした(煮詰まらなかった)和風汁だくうどんになった。鶏モモ肉を包丁でちょん切っている時に、「テーマ性はあるがメッセージ性のないもの」が好きなのではないかと直感した。全ての論理を飛ばして。かなり腑に落ちるところがある、この気付きには。

刃毀れの受け皿

一日中なのか? 朝から降っていたような気もする。日中はしばらく止んでいたような気がする。鎧戸と網戸と窓ガラスに挟まれてできた空間に、一日中ずっと水滴がへばりついたままだったのは事実だ。物干し竿に雫が垂れる音がうるさく、日中はまだしも、自分さえもじっとして、冷蔵庫の低く、焼き切れるような唸りの他には衣擦れ以外が存在しない時間にこいつの主張はいや増してくる。屋根の位置とか勾配とか、全体的に具合が悪いのだろう。雨が降って、水が溜まるような日だけ、物干し竿をしまいたくなる。あるいは、うまくずらせれば音は聞こえなくなるか? 他にも、空洞の金属質な塊を打つ音がどこかから聞こえてくるので、何の解決にもならなそうではある。森永のクッキーシリーズを3つ買ってきていた。チョコチップはすでに一箱、帰らぬ箱となった。あとは、黄色いのと赤いの。黄色いのがチョイスで、赤いのがマリー。青があればポケモンっぽくもなり、信号機っぽくもなった。青もあるんだっけ? パッケージ側面に、森永クッキーシリーズ共通のキャッチコピーみたいなものが書かれていて、■や●など楽しい色んな仲間が、的な事が書かれていて笑っていた。この■や●は伏字でもなんでもなく、パッケージにこれで印字されているのだ。唐突に文脈の中に現れた幾何図形にずっこけた。チョイスは美味い。バター的なあれがいい感じなのか知らないが、クッキーっぽい甘さと味わいの深みがある。高いクッキーを食ってもよく分からないが、チョイスは分かる。いっつも168円+税で買っていて、しかして付いているベルマークは2点である事に気がついたが、軽い食感と美味さの重みがいい感じの比重になっているのでこれはいい菓子だなと思った。ホットミルクにつけて食べると美味しいかもしれない。オレオやクッキーを牛乳に浸して食べる方法もある事はまどろみちゃんがいくで知っているが、自分でやった事はないんじゃないかなあ。マリーはすごく面白い。こっちがビスケットなのか? クッキーとビスケットの違いってなんだっけ? マリー。ビスケット界の八つ橋(生じゃない方)みたいな色と薄さと食感をしている。じんわり沁みてくる、乾パンみたいな甘さ。浅黒くて無骨な、フリスビー射出装置のバレットみたいな形状。シブい。玄人感がある。家の応接間(今の家屋って応接間を設計するものなのだろうか?)に通されて、マリーの乗った菓子盆が出てきたら、居住まいを正して気を引き締めるだろう。そんなマリー。

靴窓

イタリアンパプリカ(韓国産)を切った包丁でしめじを切ったら、切り口の一番最初に赤い染みが薄く広がった。血が滲んだのかと思った。手荒れがひどくなった箇所がある。そこからの出血かと。あるいは、先に切った人参の色かと。しかし、人参玉ねぎパプリカの順でカットしているし、人参を切った後に一旦包丁を洗ってから玉ねぎをしばいている。はっきりと色が映る事はありえないわけではないだろうが考えづらい。そこで、あ、これはパプリカの色なんだと思い至った。思い当たるのが遅くはあった。が、しかし、食品のパッケージに「パプリカ色素」と書かれていて、実際にパプリカ色素について思い巡らせた事のある人間がどれだけいるだろうか? スパイスの棚にパプリカパウダーが置かれている事もあり、食紅をいじった経験もあるが、色素の力を、手触りを持って感覚したのは今日が初めてだったかもしれない。それほど、じわっと染みた紅葉みたいな色は印象的だった。パプリカは美味かった、と言いたいところだが、何と言えばいいのか分からない。皮がつんつるてんとして残り、果肉(果肉という表現でいいのか分からないけれど)の部分は、水気があって清涼感らしきものを覚えるが、ピーマン系のあいつらが嫌いな人がそれらを嫌うのであろう理由の一つである青臭さみたいなものがむんとした。否定的な感想は抱かなかったが、肯定的な感想も抱かなかった。ただ、パプリカを食っているなと自省できただけだった。これを自省などという高級な言葉で表していいものかどうか知らないが。今日は集中力がなかった。すっごいなかった。ほとんどの活動時間を、活動せず、頭を抱えてじっとしていた。頭を抱えては象徴的だが、しかしそうであった時間があるのも事実。意識があっちに行ったりこっちに行ったり、浮遊霊みたいだった。意識とか集中力とか自己同一性とかは、地縛霊的であればあるほどよく、諸国漫遊的であればあるほど手に負えない。手を負う事になる。なぜ物事のほぼ全てを一旦別の物事に比喩しなければ叙述できないのかと思うが、これはもう長年患っている病みたいなものだから仕方がない。一度本質からひっぺがしてこちらのフィールドに上がってもらってから返す、みたいな作業みたいな? 分からん。何もしなかったというかできなかった時間、小説でも読んでいればよかったが、後悔は後からするから後悔なのだ。鶏モモ精肉についている不健康そうな黄色の脂を取り除かずに料理すると、貶められているようで気持ちよくなる。

瓢箪吹き

でかいパプリカが売られていた。普通思い浮かべるパプリカといえば、ピーマンっぽいあいつと筒井康隆のパプリカがほぼ同時に想起されるのだが、それらのパプリカとは随分異なるパプリカが売られていた。なんか、長いやつが。スタンダードなパプリカは(私がスタンダードだと思っているだけで、こちらの方がむしろ例外的なのかもしれないが)握りこぶしくらいの、こんもりしたおよそ長方形の外形である。昨日見たパプリカは、長い。鷹の爪的唐辛子を、10倍に引き伸ばしたくらいでかい。細長いのだ。手甲というか鉄爪というか、手にはめて戦うなんちゃらクローみたいな武器の、突き出している部分を連想されたい。だいたいそんな感じのパプリカだった。イタリアンパプリカと言うらしい。パプリカにはパプリカしかないと思っていた。イタリアンパプリカではあるが、産地は韓国だった。まあ。そういう事もある。なんで買ってきたんだろう。面白そうだからか。面白くはあった。パプリカサラダとかでもいいが、生食やら茹でるよりは油で炒めた方がいい感じになりそうな雰囲気もある。しょぼい人参と言われても信じそうになるスケール感だ。どうしようかね。昨日想定したよりも冷蔵庫の冷蔵エリアの冷凍危険地区が広く、最も奥行きが浅く、全長の半分もいかないだろう最下段に入れてあったうどんの生麺さえうっすら一部分が凍結していた。大丈夫なんか? 伊坂幸太郎、火星に住むつもりかい? を読み終わった。伏線をぶんぶん張り巡らせて、回収しながらフェイクをかけてくるのは流石伊坂幸太郎と言ったところで、ページをめくる手が忙しくなるストーリーテラーぶりは健在だった。ごついボール紙でくるんであって、一ページ一ページに質量のある厚みがある単行本は、長編をぐいぐい読んでいくのに最も適した、心地よいフォーマットだと思う。奥付を見ると2015年初版とあって仰天したが、手に持っているそれが初版なのにも仰天した。もう5年も経つが、まだ初版本が市場に残っているものか。微妙な気持ちである。表紙には、でっかい風力発電機のプロペラと、英題の"LIFE ON MARS?"がある。どちらも、読み終わってからぱたんと本を閉じ、一番最初に目に入ってくるとじわじわと湧かせてくるものがある。特に、あとがきを読んだ後にLIFE ON MARS? の文字列を見ると。笑えるところもあるし、笑えないところもある。小説家になってよかった人だとも。

しじゅうから

伊坂幸太郎、火星に住むつもりかい? を少しだけ読み進めた。ちょっとだけ。モダンタイムスと同じくらい、静かに当然に見えないディストピアが蔓延している空気を描くのが変わらず上手くて、こえ〜〜〜と思いながら読んでいた。拷問とか殺人を書くのが上手い。それが鼻につかない、特にトーンを上げた文体ではなく、平時と地続きなのがこれまた怖い。文章が上手いなとずっと思いながら読んでいる。小説家だよねえ。晴れていた。洗濯物を干した。半日干しておくだけで乾くのは、暑い季節の利点である。めんどくさがって後手に回ってもなんとかなるので。いつぞやにポストに入っていた布マスク、洗ったら少し縮んだ気がする。繰り返したらなくなったりしない? 大丈夫? あ、そう……。マスクをして外出したとしても、マスクの残弾がゼロにはならないのが布マスクのいいところだと思う。洗えば使えるので。不敷布に比べると、被覆面積が圧倒的に違うので、そこは好みで。ガーゼだと通気性が多少マシなので、これからずんずん気温が上昇していくかと思うと、軍配が上がる場面もあるんじゃないのかなあと思ったり思わなかったり。夕寝したのに眠いわ。食料の買い出しに行った。米がないので連絡しなければいけないのにめんどくさいので連絡していない。めんどくせえな。テイクアウトのゴミやらで可燃ゴミがやたらかさばるものばかりになってしまったので、またゴミ袋を代えなければいけない。めんどくさいが、こちらは現実的な理由があるので早めにやる必要がある。調味済みホルモンの、激辛うま口タレ、みたいな亜種がいたので買ってみた。激辛コチュジャンとは謳っているものの、全然辛くなくてがっかりした。いつも見るやつの方がよっぽど辛いし美味い。こいつは、歯ごたえだけはいっちょまえの、なんかよく分からんしょっぱめの味がするホルモンに過ぎなかった。潰えよ……。あとは、4年か5年くらいかけて砂糖1kgがなくなったので追加した。スプーン印の上白糖しか砂糖の看板ブランドを知らないのだが、他にもっと種類があったりするのだろうか。塩も伯方の塩くらいしか知らないしな。冷蔵庫の調子が悪いというか絶好調というか、以前は奥4分の1くらいが冷蔵庫なのに冷凍庫ゾーンだったのだが、最近はその冷凍ゾーンが意気揚々と進軍を始め、ついに半分以上奥につっこんだ食材は全てなべてカチコチになってしまうという状況になった。生卵が凍結しておじゃんになるのでやめてほしいのだが、どうすればいいんだろうにゃ〜〜〜。

ジャイル・オブ・セントバーナード

雨だ。圧倒的雨だ。朝から、資源ごみ回収がくる時間から、沈鬱な空気で頭が痛くなって夕寝した午後6時まで、ずっとばしゃばしゃぴちゃぴちゃしていて、洗濯物を干す予定だったとかそんなのもどうでもよくなって、とにかく雨が苛立たしかった。いや、そこまでアクティブな感情ではなかったかもしれない。もっと弱くて後ろ向きで可塑的な、行動の選択肢が減らされる事に対しての不満というのか。筒井康隆の短編集を読み終わった。本を読む事にエネルギーを費やし、疲れると思ってしまう事実に、精神的なずっこけを感じる。頑なに認めようとしないだけで、読書は私の趣味ではなくなってしまったのか? では、後に何が残るのか? 不安になる。ルポやら歴史書やらは、これっぽっちも微塵も興味がなくて、いや、小説以外は読んでいても頭の中に入っていないし入ってこない。面白いのは小説だ。文体がぐにゃぐにゃしていいし、面白い事を言ってもらう事もできる。そうでない文章となると、斎藤環の生き延びるためのラカンの文体は特筆すべきものだったのだろう。収録されていないのかなと思ったが、スラップスティックスプラッタも少しは入っていた。慶安大変記とか。微妙なリアルさを持って、人の身体がばらばらになるのが筒井康隆のいいところだ。でも、読み終わってしまった。明日は伊坂幸太郎の単行本、どちらかを読むか。『逆ソクラテス』の表紙が、なんかすごくいい。タイトルと表紙からでは内容がさっぱり分からない。帯は読まない事にしている。面白い惹句は少ないし、冒頭部分を読んでいく中で立ち上ってくる作品世界のうねりが前取りされて興を削がれるから。ストーリー物のコミックスとかだと、前巻ぴったりで止まっている読者にとっては「おいおいおいおいこの巻の2、3話分くらいで分かる情報をここに出してんじゃねえよ」なネタバレが大きな顔をして座っている事があり、注意せねばならない。名前は忘れたが、辛い油が絡まってるラーメン的なやつでも食いに行くか、と思って贔屓のラーメン屋に行ったら、営業が日中のみに短縮された上土日休みになっていて、「oh......」という声が出た。俺は悲しいよ。欲を持て余したままふらふらして、最近テイクアウトを始めた洋食屋を思い出してそこに入った。ランチ1000円〜、夜は1000円では食えないという、ちょっと強気な値段設定が過ぎるんちゃうかとかねがね思っていた店である。牛すじビーフシチュー的なやつがかかったハンバーグ。ハンバーグという肉の塊は、どうしてこんなに美味いのだろう。肉の塊だから、かもしれない。分厚く切られて、それでもしっかり火の通っていた人参が美味かった。テイクアウトはゴミがかさばるのがいけないね。

エビピラフ箙

いい晴れの日だった。日が暮れてから外に出たので分からないけれど。家の壁を突然ガンガントントンされて、すわカチコミでもされたのかと思ったが、今日はガスメーターの入れ替え工事があって、別に家に入るわけでもないし気にせんで大丈夫、的な手紙がポストに入っていたのを思い出した。多分その工事だと思う。窓を開けてYouTubeで動画を流しながらレンチンするほどの生活音を垂れ流しながらも、ちょっと工事するんで音出ますの一言もない合理性にはまことあっぱれである。気にしなくていいんで通常運転の日常生活をどぞー、という適度の不干渉くらいがちょうどいい。びっくりしたけど。筒井康隆の本を少し読んだ。少し読んでから、ははーん、これはスラップスティック系の編集ではないな、と気が付いた。遅い。ハイパーリアリズム的というか、存在感立ち上る描写で、じくじくと話が進んでいくタイプのあれだ。こっちもこっちで面白いが。陰悩録はこんな性格の短編集だったと記憶している。そもそもよく考えると、目ん玉をカミソリですっぱりやったり生きた患者をかっさばいて犯すなり内臓扱くなりしたり、倫理観がアウトバーンで吹き飛んでいくような作品がボロボロ出てくる本が、よくもまあ中学高校の図書室に置いてあったものだと思う。1980年代に購入されてから、初めて私が開いた本もあったほどである。多感なあの頃に筒井康隆の短編集エッセイ集に触れたおかげで、今現在のような性格というか価値観の基礎と大部分が醸成された事を考えると、あの巡り合わせには感謝以外ないのだけど。なんか美味いらしいと聞いたので、マックにチキンタツタを買いに行った。昔からチキンタツタの文字列を認識した事はあったが食べた事はなかった。私はそうではないが、少なくない日本人が、マクドナルドの期間限定メニューをカレンダーとしているのではないかと思うところがある。日本の食生活には、マクドナルドはよくなじんでいると思う。普通の方を食べた事がなかったが、めんたいチーズの方を注文してしまった。響きから美味しそうな雰囲気がぷんぷん漂って来たので。バンズが普通のバーガーと違うのに驚いた。むちむちしていて歯ごたえがあり、結構好きだ。リーゼントみたいに盛り上がった部分は食べづらかったが。肉というかソースというか、中身がはちゃめちゃに美味かった。しっとりした衣(多分テイクアウトの間に湿気た)と、くりくりした肉の食感が大変好みである。美味かった。