他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

鳴門金時

特に何もなかった。寒い、くらいのもので。何もしないことが許される期間(必ずしもそうではないはずだが)にぼーっとしていると、飯作るのめんどくせえなと思った。飯は作っているのだが、すげえ、こんなめんどくさいこと、でもやってもらって育ったんだな……と思った。作るものが片手の指で足りるくらいのバリエーションしかないから、もうちょっとなんとかした方がいいと思う。調味料を増やしたり、なんたり、できることはありそうな気がする。初詣に行く機会を完全に逃しているというか、とにかく外に出たくなくて仕方がないため、用事がある何かの機会についでに行けてしまうのが理想だ。一応、これはほぼ毎年行っているので行かないと気持ちが悪いのである。そう言っている間に一月が終わったら、気持ち悪さも消えるかもしれないけれど。下血がまだ間欠的に続いているので、早く治ってくれねえかなと期待しているが、前にカンピロバクタってしまった時と同じで、肉体の自然治癒力云々の話ではなくなっているんだろうなと思ってもいる。できることとできないことがあるのである。誰にでも何にでも。膝掛けと半纏に分離しているのは極めてナンセンスなことで、これは着る毛布を着てしまえば解決するのでは、これに気が付いてしまった。気付くのが遅かった。来シーズンはその構えになるかもしれない。今回は、めんどくさいのでもういいや。

プリティキャノン

ぼーっとしていた。大家さんがお年賀をくれた。私が正月に在宅なのは珍しいからかもしれない。ヨックモックのお菓子だった。なぜYoku Mokuの綴りでヨックモックと読むのか、ずっと納得がいかない事柄の一つである。おいしいのだが、一体含有されているどれがおいしいのか分からない。バターだろうか。でもバターだけを食ってうまいとは思わないだろう。砂糖も加えて、そこでうまい、ということになるのか。本を読むぞ、とかそういう気持ちでもなくて、本当にやることがない、あるいは何も手につかない、実態としてはこっちかもしれないな、状態であって、アークナイツの統合戦略をぼーっとしながらやっていた。頭の片隅でちらちらと存在感を放っていたので、6層裏ボスまで攻略できたのはよかった。あるのにやっていない、できていない状態は、結構精神に対してダメージを及ぼすのだが、その割には日常を急いていないというか、私の評価尺度、優先順位のラベリングは狂っているに違いない。私もそう思う。治ったかと思った下血が再発したので、恒常的に腸のどこかが傷を負っているようだ。病院に行った方が……いいんだろうな、多分。去年の後半から病院に行く回数が圧倒的に増えている。体質が変わったのかしら。体質は結構変わるらしい。いやだよね。いや、という根っこの感覚は大切にしたい。お腹が痛いとかではないんだけど、なんなんだろう。

世紀めくりカレンダー

日が変わってすぐに少し電話をしたが、そういえば正月には餅がつきものだった。この前買い込みに行った時、やたら餅が積んであるな、と思ったのはそういう理由だったのだ。特に何もなかった。ぼーっとして、飯食って、お昼寝をした。イチゴすら乗っていないショートケーキみたいな日だった。イチゴが乗っていなくてもショートケーキではあると思うのだが、厳密な分類学的にはどうなのだろう。ケーキに分類学が存在するのか知らないのだけど。ショートケーキのショートは多分ショートニングのショートだろう。短いやつだったら、今は店舗数が減っているらしいがスティックスイーツファクトリーの方がショートな感じがある。この前聞いた話だが、四国だかあたりで雑煮にあんころ餅を入れて食うのは、お上にあんこを召し上げられないよう、隠れて食ってしまうための方策が残っているからだという。単純に食い物的な話だとばかり思っていたのだが、その裏には切実な理由があった。全く切実である。言うことがなくなってしまった。一年の計は元旦にあり、の後半をもじって何か面白くならないだろうか、と朝目覚めた布団の中で考えていたのを思い出したが、覚えていないということは思いつかなかったのだろう。何も思いつかなかったのだろう。

かんすかたん

部屋が寒い。足がつんつんする。膝掛けと半纏で暖房がなくてもなんとかなるんじゃないの、という期待は淡いまま現実感を失っており、寒いもんは寒い、即物的な結論が首筋に噛み付いて離れない。ぼーっとしてぬーっとしていたら日が暮れていた。クリスマス後にスーパーで半額になっていたチキンレッグを焼いている。でかいので煮物鍋で焼けるかどうか心配だったが、入ったのでよいことにする。オーブンがあれば随分違うと思うのだが、ものをあるようにするには尋常ではない精神的エネルギーを必要とするため、やらないんじゃないか。思考がまっしろで、どこにも引っ掛からなくて、困るというのか、どこを向けばいいのか、分からなくて、どうすればいいんだろう、と流れる砂のように思っていると、それは砂時計みたいに時間が過ぎていて、やっぱりおまけの一日なんじゃないかという宗教的意識みたいなものが強化されていく。

きたなさが滲み出てくる

相手の使う言葉をそのままこちらも使うならば、相手の土俵に乗っていることになり、その瞬間に負けである。こちらが語る時は、常に、相手が使う言葉を使わないようにして、絶えず相手を土俵から引きずり下ろさなければならない。どちらかが特権的な高みにいる場合は話し合いは成立しないからである。駅構内でうずくまっているホームレスの人が、横にドンキの真新しいレジ袋を置いていて、その中には箱から出す前の百万円貯金箱が入っていた。壮大なユーモアなのか、切実な具象化なのか、私には分からなかったが、ぎょっとする組み合わせではあった。ある試みを実行して、それは「よいお年を」と言わないことだった。この言葉に気持ちを込めることはできないな、別にそう思ってないし、と判断したので、言わないようにしてみた。さようならとか、普通のことを言った。これで問題なかったので、以降も言わないようにしてみたい。定型句、しかも一年でほんの一瞬だけ吹き荒れる言葉に中身を装填するには、私の素直さが足りなかった。メモ魔になるには、常日頃からメモ魔にならねばならぬのだ、と唐突な強迫観念が来たり、ノートにぐりぐりとボールペンで書いた。井上ひさしがメモ魔であった、という事実が少し遅れて頭の中で反響したのだろう。

虹色のたべもの

多分昨日は書き忘れていると思うが、3時間弱くらい音声編集をしていたのと、はよブルアカのシナリオ読ませんかいという気持ちに押し流されて忘れていた。多分2%くらいは覚えていて、日が変わった瞬間、トイレに座りながら「あっ」と思った。誓願の水ごりとかではないので、まあいいかなくらいの気持ちでやっているけれども。昨日いっぱい食べ物を買ってきた。年末年始、とにかく家から出たくない。どれくらい出たくないかというと出たくないので言うことがない。たくさん野菜を買っていた。野菜がうまいな、と思うようになっている。ピーマンとかほうれん草とか、ベジタリアンになるわけではないがうまい。なぜかは分からない。治まったかのように見えた下血が昨日から再発しており、私の気持ちを返してほしい。言うことがないので困った。英会話などにおいて、英語で会話する前に「会話」そのものができなきゃしょうがないのである、というのは度々言われるところだが、あれは全くその通りなので耳が痛くて仕方がない。私の物覚えが悪くなった時期は、まあ別にそこまで人と付き合わなくても平気だし快適なくらいだなと気付いた時期と重なるので、脳味噌が、じゃあその辺りに要する機能は脱いじゃうね、邪魔だし、と切り捨てた可能性がある。そこまで困ってないのが困る。洗濯物が全然乾かない。

身と皮は繋がっている

血便は一旦止まった。急に来て急に止まった。去っていったのか、スタバで一服決めているだけなのかは知らないが、できればその才能と実力をどこか別のところへ羽ばたかせていってほしいところだ。全くもってそう思う。二日前くらいに、部屋の中にカミキリムシみたいなのが入ってきた。変換して知ったのだが天牛で「カミキリムシ」らしい。普通に生きていたら絶対知らなかっただろう。ブログというシステムとブログをなぜか書き続けている自分自身とパソコンの変換機能に感謝である。ただしパソコンの変換機能については、簡単なものでも文節で区切れずアホみたいな変換をすることが少なくないので褒めちぎるまではいかず、褒めつんつんくらいに留まる。褒めちぎるのちぎるが物理的にちぎるのか、象徴的な意味から転嫁してきたちぎるなのか知らない。そのカミキリムシ(だと思っていたけどカミキリムシをそれと認知できないので見当違いな別の虫である可能性は十分存する)が家の天井と壁を転々としている。本当は外に出ていってほしい、出ていった方があいつの人生にとっても大きな意味があると思うのだけど、時は冬、窓を開けて自然に出ていくのを待つにはあまりに気温と私の忍耐力が足りない。次の洗濯の時にうまく機会を見つけて旅立ってほしいものだ。適当なことばっかり言っている。脳味噌がおぼろ豆腐みたいになっている。

間を惜しんで

2部7章前半を読み終わった。ぶっ続けにすると実質11時間くらいひたすら読んでいたわけだが、早く、早く続き、という気持ちの前には、まあそれなりの時間ではあったがやっぱりこのゲームはシナリオがおもしろいぜと思った。色々あったのだが何も解決してないに等しいので早く後半が読みたいのだが一体いつ更新されるんでしょうね。まだ下血が続いていて、便に太めのマッキーでぴーっと直線を引いたような鮮血で、あれ、これもしかしてマジの病院要件なのかななのだが、なんと暦は年末、そして暮れまでいい感じに病院に行けるタイミングがないため、もしやばいことになっても年明けまで悲嘆に暮れて過ごすしかないのである。腹部の痛みとかそういうのはないにしても、行為に必ず付随してくるのが怖い。痛くないのに血が出続けることなんてあるの? 今自分の身に起きているでしょう。ぼくとぼくの人生は反りがあってない気がする、大意こんな感じの言葉を思い出した。そうかも。

ホールマークうんち

ゴミを捨てた後、その類のゴミがひとつ残っているのに気が付いて、へなへなとなった。せっかく、と言うには、朝の空気はそこまで冷たくなかった。まだマフラーを出していない。ジャンパーを一段階暖かいものにしていない。めんどくさい。突然食べたくなって、ビッグマックを買いに行った。待機エリアの脇にマックフルーリーの機械があって、シロップとシリアルらしき物体をカップに入れて、マシンから何かがぎゅいんぎゅいん出てきて、私はまだマックフルーリーを食べたことがないのだけど、やっぱり飲食店で何かしらができるまでの工程って夢がないというか、あけすけで少し興醒めするなと思った。丁寧にやれるならいいのだけど、そんな綺麗事を言っていられるほどの混雑状況ではなかった。だから、こう、組成があってればいい、みたいになる。パーツは揃ってて、組み上がりはちょっとあれだけど、まあ仕方ないね、って感じに。ビッグマックって味がないんじゃないかとかつて考えたことがあったが、ソース多めにすれば解決された。結構うまい方である。と同時に、スーパーサイズミーやフードIncを思い出して微妙な気持ちになる。買い物というのは消費者にできる最も効果的な投票だ、という言葉をどこかで見た。本とかもそうですわな。いつか来るだろう、というものがポストに入っていて、思いがけぬプレゼントとなった。うれしかった。あと、一週間くらい下血が続いているのだが、病院に行った方がいいのかしら。

ネーミングセンス

のび太と鉄人兵団を観たが、プロットの動かし方がめちゃくちゃ上手くて感心した。劇場版におけるしずかちゃんって添え物と言っていいくらい、紅一点として存在する以上のことはあんまりないのだが、うまいこと活躍していた。だいぶ古い劇場版のドラえもんを観たけれど、絶対不要なパンチラやしずかちゃんの入浴シーンがあるのは時代である。今やったらすっ飛ばされるだろうし、そこは正常になったと言えるでしょう。妙に寒くて、いつも以上に暖房をつけていた。ずっと押し入れに放り出していた伊藤計劃『ハーモニー』を読み始めた。SFを読むとどうにも凹むというか、未来のことが書いてあるはずなのに今を見ている。科学が繁栄しきると人間は滅びがちなのだが、今、まさに、そんな感じになっている気がする。どうしようもなく透明で巨大な力で、ぐにゃーっとねじれて千切れそうな。

足の速い水元素

冷蔵庫の中には、それが存在することを完全に忘れているものがある。めんつゆが2本あることを知ったし、そういえば白だしを買っていたことも思い出したし、中段奥の方に内臓を破壊するオイル漬け唐辛子の瓶も鎮座していた。とにかくなんでも、日常動作がルーチンへ堕落していくので、そこに組み込まれなかったものどもは(こういう時に、日本語には明確な複数形がないことの不便を感ずる)なかったことになってしまう。買った当初は思い入れたっぷりだったはずが、たちまち乾涸びる。野菜をめちゃくちゃ食おう、という微弱だが確かな強迫観念がどこから来ているのか、現段階では把握できない。精神が使い物にならないし当てにならないなら、せめて肉体だけでもまともにあれ、という生物としての根源の要求かもしれないし、ただ我知らずお野菜大好きになっただけの可能性もある。椎茸が魅力的に映る。肉厚で旨味が出てきそうな感じが好きなんだと思う。旨味が出てくるかどうかはこちらの料理の腕に依るにしても、椎茸はなんだか素敵だ。もがれてパックに狭苦しくラッピングされた姿にそう思うなら、駒木に生えた、茸然とした椎茸の姿にはどう思うのだろう。菌の字でも「きのこ」と読めることを知らなかった。きのこの専売特許とするには傲慢が過ぎる気もするが、でも、そうでしょう、と詰め寄られたら認めてしまうくらいには彼らの字かもしれない。内面の言葉が枯れていて、すごく不安だ。雨が降って冷たかった。この前カーテンを開けたら、日中は部屋が明るいんだ、と当たり前のことを再認識してショックだった。でも寒いのでまた閉めた。

そよそよ

葬儀の時にもらった茶を飲んだらおいしかった。葉っぱというよりは茎の茶で、苦い緑茶である。私はよく分からずにお茶を飲み続けてきたので、全然違うことを言っている可能性もある。背中の裏、真ん中辺が痛かった。筋肉痛的な痛みである。姿勢にまつわる位置っぽいのだが、同じくおおよそで言っているので頓珍漢のあんぽんたんなことを言っている可能性も同時に存在する。とんちんかんには頓珍漢な当て字が(きっと当て字だと思うが違ったらどうしよう)あるのに、あんぽんたんにはない。あんぽんたんに当てるべき漢字コンテストなんかやったら、全国津々浦々より秀逸なアイディーアがたくさーんくるのではないか。でも一文字目から思いつかねえや。寒い。

アンクルス

たまには違うものを煮物に入れようかな、と思ってこんにゃくを買った。小分けに切りつつ、この食べ物、よくよく見るとすげえ気持ち悪いなと思った。砂混じりの血色の悪いぶりぶりしたものがぬめって光沢を持っている、うへえ、という内なる声がした。こんにゃくに味が染みるには、煮汁が少なめ、味付けが濃いめでないといけないので、やけくそみたいに野菜が入った今日の煮込みでは、ちょっと臭い灰色の物体にしかならなかった。ちぢみほうれん草が安かったので買った。ちぢみほうれん草を見ると、よくこれを食べさせてくれた人を思い出す。普通のほうれん草より甘いらしいのだが、食事中は意識が朦朧としているので、違いを感じようとしていたことを忘れている。私は精神が低調な時は、めちゃくちゃに飯を食うらしい。最近、ちょっとお腹いっぱいすぎるんじゃない? と思ったが、量が多かった。玄米は普通だが、放り込む野菜の量が多い。他のものを食い過ぎるより、野菜だからまあいいっちゃいいのだけど、人生の目安が腹八分目なので心配だ。そういえば髪も切った。冬の間はできれば放っておきたい。なぜなら外を歩くと寒いからである。髪で編んだ帽子もありそうだが、ちょっとぞっとするのでしない。帽子があれば暖かいんだろうなあ、と考えるところまでは行くのだけど、そもそも帽子が好きじゃねえや、に繋がる。まだマフラーもおろしてないし、あったかい方の外套にも替えてない。めんどくさいが至る所で邪魔をする。部屋が冷たい。

合ってるけど違う

空気がキンキンしていた。冬は皿洗いと洗濯物を干すのが苦痛になるからいやである。皿洗いは湯を出すことで解決できるが、脱水後の湿り気をどっしり帯びた洗濯物の暴力的な冷たさを午前中の暖まりきっていない外気に突き出さないといけないのが大変だ。ここをスキップするには安いとは口が裂けても言えない乾燥機とか乾燥機能付きの洗濯機を買わないといけないから、結果としてやだー冷たーいと思いながら耐え忍ぶ。精神が冬眠中のモグラくらいしか動かなかったので、本日の生産量は大してない。明日、時間があれば髪を切りに行こうとしている。そういえば、この前中華を食べに行ったら、五色炒麺くれ、と私が勉強した北京方言で発音して注文しているおっちゃんがいて、店員には全く通じていなくて五目焼きそば、これ、と言ってメニューを指していた。方言が違うだけでこんなに通じないもんなんだなあ、とちょっと感動した。