他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

飴に与えられうる玉以外の形状について

せっかくこっちに来たのに、まだ食っていないものがあると思い出した。こっちのマクドナルドを食ってねえ。同じ方向性でケンタッキーも食べていないのだが、あれは完全に機を逸し、最寄りの店も遠くなってしまったので諦めた。よく分からんサイドメニューを見るのが好きだったのだが、今年は縁が無かった。が、マクドナルドは、完全に見落としていただけで、ものすごい近くにあったので、行っておく事にした。これは全く関係のない話だが、ここのバーガーキングは、国全部で、営業を中止しているらしい。店頭にビラが貼ってあって、この決断は店のため従業員のため何より客のため、などなど、読んでいておもしろい文章だった。それにしても、グループ全体でそれほどの決断をするとは、すごい勇気というか決断というかを感じる。別に何を食ってもよかったのだが、メニューで上の方に出て来た、ダブルクォーターパウンダーwithチーズとかいうやつにした。重量単位としてのポンドはいまだによく分かっていなくて、クォーターのものがダブルであったらそれはハーフなんじゃないかと思ったが、あれはクォーターポンドの肉が二枚入っているという事の表現なのだな。注文する、縦にくそでかい、バス停のオバケみたいな端末を久しぶりに前にしたが、首が痛くなるくらいに視線が上に向いて、自分の身長の相対化が行われた。ラップメニューとかいう、ケンタッキーで言う所のツイスターみたいなやつもあって、あれも面白そうではあるのだが、数日前に晩飯の分量を完全に見誤ったところだったので、控えめにした。サイドメニューとしてのポテトの代替に、にんじんスティックやメロンパックなどがあり、こっちにも気ぃ遣うやついんだなと思った。ドリンクのコップは、それだけ剥き出しで渡されて、バーガーとポテトが入っている紙袋も、上をくりくり何回か折り曲げて封はせずにそのまま渡されて、おいおい、日本とえらい違いだぜ。バーガーは、肉がすげえでかかった。バンズが全然足りていない。すけべなイラストで時たまある、いや、そんなもん現実で穿いてたら尻もパンツも全部見えるだろという丈のスカートもかくやという感じであった。味は、あれ、薄いなと思ったのだが、これは正解と言えば正解で誤りと言えば誤りであり、肉の味が、これは塩胡椒とかではなくて肉の肉としての味だが、しっかりしていて、それ以外のケチャップとかソースとかが控えめなのだった。玉ねぎもみじん切りではなくて、輪切りのやつだった。どっちがどう、とかいう話ではないな。

歯が溶けそうなほど

帰りが思ったよりもめちゃくちゃ遅くなったので、今日は書かない事とする。そろそろ髪を切りたいのだが、と思い始めて二週間くらい経ったが、諸般の事情によりあと三週間くらいは無理そうだ。諸般の事情とは、まこと便利な言葉だと思う。あまりに諸々を含み過ぎている。綺麗な庭を見ると、綺麗だなと思った。超能力があって、そのちょっと上の方に浮かんで、空気に撫でられながらぴこぴこ浮かんでいられたら、気持ちいいのだろうなとも。

歩いた割に

変な晩飯を食べたので、痛んでいるとかまずいとかではなくて、取り合わせとかもろもろ、お腹が変な感じになった。Giant Couscousがよくなかったのか。クスクスを食べる機会があると、とりあえず食べてみようとするところがあるが、あの食べ物を美味しいと思った事は多分ない。7割方実体を失った、ぐずぐずに煮蕩かした大豆の中身みたいなやつは、それがフォーマルなシーズニングなのか、ケミカルな味がする。おそらくハーブか何か、香辛料的なものだとは思うのだが、それにしても他に比較材料がないような風味がある。クスクスという食べ物よりも、あの正体不明な清涼感が私を惹き付けてやまない、のかもしれない。午前中、起きた後にもちょっと寝たけれど、まだまだ眠い。昨日は大した事をしていないはずだが、疲れが溜まっていたりするのだろうか。眠い、眠い、寝る。ダブルベッドくらいの面積があると、だいたい布団と同じように横軸の振る舞いが許容されるので、そこはよかった。

体温そこまででもなさそう

居場所が移った。私は、PCが広げられる場所があればいいから、動的可処分スペースが2、3畳くらいあれば十分なのだが、それを補って余るので両隣の家にお裾分けできそうなくらい広い。居心地が悪いくらいに。現在、部屋の壁に向かい合うように、隅っこの位置の机に座っているけれど、これは空間に対する気まずさから来る行動なのかもしれない。手にも身にも余る。目には余らない。同時に7人くらい、この部屋に共存できそうである。広いし、立派気なソファもあるので、あとで座ってみようかな。経験に対するreluctancyみたいなものは、何に起因するのだろう。分からん。通りに面しているので、地階ではないとはいえ、恥ずかしい姿を公開しようと思えば簡単な位置である。窓がでかいし。夕方頃の採光は理想的だった。前の場所がちょっと暗かったので、慣れている明るさはこれくらいなのだと、たった今思い出した。一人で部屋の隅と見つめ合っているのも芸がないけれど……。ベッドがでかい。ダブルだ。ダブルというと、ギリシア文字のニューがふたつあるのでダブルというWである。ツインとダブルは厳密には違うのかもしれない。同じだとは聞いた事がなく、違うとも聞いた事がないので、名称が違うからには弁別すべきものかもしれない。でかい。私の身幅だと、3回寝返りがうてる。「寝返りをうつ」の漢字が分からなかったのでひらがなにした。ベッドのサイズに平面が切り抜いてあるのを見て、初めて、あぁ、人間がふたりでセックスするには、これくらいの面積は必要なんだなと思った。開脚したら、ちょうど本人ふたり分くらいの横幅にはなるんじゃないか。私に欠けている、身体感覚としてのサイズに対する実感が、重みを持った。セックスをするには、これくらいの四方で。枕の方に足を向けて平気な人がいるが、私はめちゃくちゃ嫌なので、体位を変える時にそうなると、ちょっと怒る。ダブルなので枕が2セットあって、一人当たりの枕消費量は2だと思っていたら、仮眠を取っている時に気付いたのだが、3ある。その上に、何のためだか分からない、枕の小存在みたいなものがあって、都合枕が8つ与えられた事になる。8つである。一人で枕投げ大会ができてしまう。やらないけれど。枕を敷き詰めて、枕の上で寝るという事ができてしまうわけだ。そんなに枕をもらってもな。そして、人生初の、足の膝あたりの位置に帯? みたいなのがかけてあって、これはひっぺがしていいのか、何かしらファンクショナルな意味があるのか分からなくて、どうすればいいんだろうな。

近ければ近いほど遠い

なんか書こうと思っていたが忘れた。寝る前の、寝られない時間に思い出しているはずなのだが、就寝前後で考えた事とはなぜ記憶のどこかシベリアで行ってしまうのだろうか。私の中ではシベリアはサイベリアだし、シベリアはなんかを挟んだカステラのケーキみたいなやつだ。シベリアみたいな、何かをモチーフに取った洋菓子はあったと思う。何かは全く思い出せないけれども。あぁ、ラムネパンとかいうやつもあったな。コッペパンに生クリームみたいなものと、ところ天の助かシゲキックスソーダ味のキャラクターくらい青い何かが挟まっているパンだった。あの店で売っているパンは、どれも心身卑しからざるもののはずなのだが、どうにもパッとしない。どれもパッとしない。どれくらいパッとしないかを説明しようかと思ったが、適当な例えが思い付かない。あの絶妙さというか絶妙じゃなさというかは、他に比するものがない。ラムネパンは、本当にどうすればいいんだろうな。人生に渡って、あれをどう位置付ければいいのか迷い続けるのだろうか。厄介なものを食べてしまったものだな。7月くらいの話だが。別においしかったわけでもないのに、記憶に残っている。若干、身辺を整理しなければならない。放り込むだけなので別にいいんだけども。今日は、変な時間に眠気が夕寝をしたから、頭が変な感じだ。寝る準備するか。

ぬめぬめした内股

泊まっている場所に隣接しているグラウンドを、初めて散歩した。広いなでかいな芝生が生えとるなくらいしか思っていなかったけれど、たまには身体を動かさないと、存在の根源的なところで錆び付いていきそうな感覚があったので、5周くらい、40分程度かけて歩き回った。芝生が緑色だった。密度にムラがあるのは、あれは何なんだろうな。何かしらの理由があるのかもしれないけれど。陰毛みてえだなと思った。でっかいスプリンクラーが、ものすごくゆったりした速度で回転して、土と芝生を濡らしていた。あそこに立ち入っていって、頭からシャワーみたいに浴びたら怒られんのかな、とか考えた。グラウンドの真ん中の方、スクエアに区切られたマウンド的な場所には、ながっちょろいスプリンクラーが横たわっていて、全然水が出ていないか、透明な陽炎(陽炎は透明だ)が立っているように見えた。けったいな出方でスプリンクラーぴゅんぴゅんなのかな、と思っていたけれど、そいつと直角の位置まで歩くと、ちゃんと水が出ていた。景色として綺麗で、たんぽぽの綿毛が、それだけで地面から生えているみたいだった。たんぴょぴょたんぴょぴょ、と言いながら歩いていたが。あとは、花壇に迷い込んだ何かのチラシとか、何かの木から落ちた何かの木の実、さくらんぼにちょっと似ていたけどりんごと足して2で割ったくらいだったか、モグラの穴などを見つけた。あまりにも暇なので、よく分からないものを探していた。何日か前に撮った写真の事を突然思い出した。生活において写真は全く撮らないのだが、その瞬間、非常にテンションが上がったため、撮っておいたのを忘れていた。誰に見せるでもないので、ここに載せておこう。

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見れば分かると思うが、鳥のレッグを、この部位の複合体を日本語で的確に表す言葉が思い付かないのでレッグとする、フライパンで焼いている時の写真である。フライパンのサイズにいい感じに収まらないので、あれこれ位置を変えたり向きを変えたりしていたら、偶然たまたま思いがけずこのフォームになった。卍である。突然チキン卍が目の前に現れた私は、なぜだか昂奮し、写真におさめたのだ。写真だと逆卍だが、フライパンの中のチキンを逆配置すると正卍になるので、相対的なものである。晩飯には、肉をオーブンに突っ込んで適当に焼いて食べたのだけど、きっとおいしいんだろうなと前々から考えていたりんごを一緒に入れてみたら、想像以上においしかった。なので、なぜ最初からやっておかなかったのかと悔やんだ。

hekkaideka

何かあったはずなのだが、忘れた。今日はちょっとでもお昼寝をしていないので、すでにしてとても眠い。自分の家だと、だいたい自分の生活リズムに落ち着いて型に嵌まり膠着していくところがあるが、おおよそ同じ生活空間に別の個人がいると、必ずしもそういうわけにはいかなかったりする。したければできると思うが、それで便利になる事と不便になる事とを天秤に乗せて考えると、私は、多少生活様式を合わせた方がいいと考えたのだ。一ユニット約4人の集団生活にはいくらか経験値があるのだけど、2人というのは今回が初めてであった。そして、分かった事がある。最近は事実婚なりなんなり、従来のスタイルとは異なる、時代に適応したものが出てきているが、もしあなたが、誰かと屋根を同じくして棲んでいこうと思う場合、事前に絶対同棲期間を挟んだ方がいいという事である。どれくらいいいかというと、マックのダブルチーズバーガーを夜マックでパティチーズ二倍にするくらいいいと思う。話をしているだけなら違うけれども、同じ机で飯を食ったり話をしたりしていると、何かしら綻びというか、心の中でぬめっとした、違和感というか、いやな気持ちというか、そういうのが湧いてきて、それを許せるかどうか、あるいは、それを容れてでもその選択を取りたいかどうかを考えざるを得なくなる。これは結構クリティカルだ。塵も積もれば山となるので、その塵を被るに足るものかどうか、よくよく検める機会になる。価値観が違う者同士の方が結婚生活はうまくいくと言う向きもあるが、あれは当人達の資質に相当左右される言説だなと思った。まあ、各人が信じたいそれを信じればよい。私は、予行演習って大切なんだなと思ったわけだ。本番のように練習し、練習のように本番に臨めというのもあったな。万事が万事そういうわけにはいかんだろうが。よく分からん事を書いたな。分からんちん。洗濯をした。洗濯ネットに入れてぐるぐる回っても、ちゃんと洗えているのかどうか不明だ。乾燥機は、ネットに入れたままぐるぐるしたら、全然乾いていなかった事がある。もしかすると、これは濡れているだけなのではなかろうかと思わないでもない。腹壊したり皮膚病になったりしていないところを見ると、そんな事もないのか、あるいはそれくらいでは人間の身体はそこまでやわっちくないのか。言いたい事はないんだよな。むしろ、それに併呑されたがっているとも思える。

カレー粉パウダーをさらに細かくしたもの

ずっと書こうかなと思っていた事を思い出した。これ以外にもあった気がするが、記憶から没した事柄のうちのひとつを思い出した。今泊まっている場所のベッドがひどいという話である。私はお布団派であるし、高いベッドに寝た事なんてないのでベッドの良し悪しなぞ分からないのであるが、しかしそれにしても、ひでえベッドである。身体を置く場所が悪いと、マットレスの中から、ずっとスプリングがキシキシ軋む音が響いてきて寝られたもんではない。体重を安定して支えられないマットレスがこの世にあるという事を初めて知った。寝る際の環境には、どうしても看過できない要素があって、このマットレスの歯ぎしりはどうしても許せないところである。じゃあマットレスに耳をつけなければいいのかというと、仰向けで寝ていても軋む音がさらさらと小川のように聞こえてくるくらいしょぼいのである。なんなんだお前は。布団は、よほど床が腐っているとかでなければ、何の音もしないので、ちょっとベッドが嫌いになった。ベッドが好きになる理由、あるいは好きな理由もないのだが。布団の立体感のなさの方が好きだ。かつて、泊まった部屋の上でセックスしている音が聞こえてきた事があるが、ベッドのスプリングの音、うるさくないのだろうか。絶対気が散ると思うのだけど。そういえば、エロ漫画でセックスする時に、場所として、布団よりも絶対的にベッドの方が出番が多いな。なぜだろう。理由なんてあるのか。部屋でセックスする時もベッドの方が多いし、布団敷くラブホテルの描写は、私は見た事がない。布団タイプのラブホテルもあるかもしれないが、エロ漫画のtypicalなラブホテルは全部ベッドだ。みんなそんなにベッドが好きなのか。セックスのイメージに、実は裏側とか底に、べったりとベッドのイメージがへばりついているのではないか。布団が出てくるのは、旅館に行ってもにょもにょとかいう場面だけれども、それ以外だと、すぐに思いつく布団inエロ漫画はない。これは何かの材料になるかもしれないし、ならないかもしれない。私は死んだとてまともなところに魂は落ちまいから、もし賽の河原で延々虚無を紡がされる事になったとしたら、その時時間を潰すタネのひとつくらいにはなるかもしれない。地獄では、気が狂う事も許されないのかしら。自分はおかしくなれないと自覚しながらまともでいるのって、ひたすら石積まされるよりよっぽど応えるんじゃねえかなと思うけれども。生徒会役員共が今年で完結してしまうらしくて、とても残念だが、連載年を'07-'21にできるからではないかという説を見かけて、納得するところがあった。

パテ・ド、どどどどどど

今日は、虫の居所が悪い日だったのかもしれない。明確にいらいらしたわけではなくて、いつもの凪いだ無力感とは別の、ちりちりした内的抗争があった。今日も書く気がないというか、あんまない。さっき、ロリっ子のげっぷだけ入っている同人音声を見つけて、世界の可能性に再度期待をし直したところであるからか。私が現実に対してまともな姿勢をとる、あるいはちゃんと見ているのは、こういうある種の極端を観察している時だけな気がする。可能性の端っこを視認して、それで満足するのである。本屋で買ってきた本をちらと読んでみようとしたら、冒頭から分からなかったし、メタフィクションだとか書かれていて、読めるのかどうか全く自信がなくなった。筒井康隆のそれでさえひいこら言っているのに、これは母語ではない。私はアホなのか。アホなんだろうな。今日はだめなんだ。からっぽなんだ。鳩の屍染を見たけど、あれは、あのまま、ただの風景として、コンクリの模様だったかのようにへばりついて、そのうち風雨で消えてなくなるんだろうな。確かに鳩は死んでいたのだけど。

跡の履歴

布団に横になってから、I have nothing to say......という事ばかり考えていた。考えていたしいつも考えているというか。わざわざ言いたい事なんてあるんかいなと思う。ない気ばかりしている。……あるんかな。ないな。メッセージみたいなもんはない。中身がからっぽで、漂うようにただただ生きられるこの鈍磨した神経が、引っこ抜けるなら引っこ抜いてやりたいと思いはしたが、神経引っこ抜いたら本当にどうしようもなくなるな。なんかあった気がするのだが思い出せない。なんだっけ。そういえば、鳩の死体をもう一回確認したが、もう跡形も、いや跡くらいはあったか、ほとんどなくなっていた。肉も羽も毛も内臓もなくて、茶色と黒が踏み躙られて混ざったような色の染みが、コンクリにへばりついていた。もし色の見本帳を作るなら、あれには「屍」の名を贈りたいと思う。どんよりして、動的なものがなくて、そこでおしまい、行き止まり、行き着く先という感じの色だった。土日だったから、建物の清掃員とかスタッフがいた感じはないのだが、人為的な清掃が入ったのか、それとも自然のあれこれのその辺でいい感じにそうなったのか、分からずじまいである。しばらくあの内臓は忘れられないだろうな。文字にして残しておこうと思った事が全然思い出せないので今日はこれでおしまいにする。3回くらい思い出したのに、全部忘れてる。

つけひげ着用数世界記録

今日も何もしなかった。何もしなかった。洗濯はした。ああ、そうだ。洗濯はしたんだ。建物のランドリーに洗濯物を持って行く時、鳩、多分鳩だったと思うのだけど、それの死体を見た。轢かれたとかではなくて、明らかに捕食の対象物となったのであろう損壊を伴った鳩の死体を見た。私は、この国には、鳩の死体の思い出の方が色濃いのではないか。何年か前も、広場だったか駐車場の外れで死んでいた鳩をじっと見つめ続けていた記憶がある。今日の死体は、でも、生半可な死体ではなかった。頭がほとんどほじくられて原形をなくし、足が片方もげ、紐みたいな内臓がちゅるちゅると散らばっていた。びたっと広がった赤い染みも側にあった。死体だった。あれは。まだ蛆は湧いていなかったけれど、ハエが一匹、見えたので、明日の朝くらいに見たら、また違った様相になっているかもしれない。こいつにも、まだ、鳥としての生があったのかもしれんなあと思ったので、黙祷はした。洗いにかける時と、乾燥機に移す時と、乾燥機から出す時と、都合6回くらい見た。でも、やっぱり肉の塊で、けばけばした羽毛が千切れていた。今、初めて知ったのだが、「けばけば」には「毳毳」という字が当てられるのだな。その字面だと、どっちかと言えばふさふさじゃねえのかと最近ケルヌンノスを見た気持ちだと言いたくなるのだが、けばけばらしい。他にも、擬音語に漢字が当てられる例はあるのだろうな。漢字林をひっくり返せば、いくらか見つかりそうである。帰ったら、広辞苑は欲しいなと前から思っていて、でも本屋に行く度忘れているので、買ってもいい。辞書が欲しい。日本語の辞書は、そういえば持っていない。持ってないんだな。人生で買った日本語の辞書より、それ以外の辞書の方が圧倒的に多いな。アラビア語の、めちゃくちゃ使いづらいがそれ以外に使いやすいものがないというあの何とも言えない辞書も、引っ越しの時に突っ込んだダンボールのどこかに入っているはずなのだが。聞いた当時の話だから、今はアップデートされたかもしれないが、しかし辞書は何十年というスパンでしか変わらないものなので、世界で最も権威あるアラビア語の辞書は中国で作られたアラビア→中のものだったはずである。世界はへんてこなところで繋がっているものなのだ。寝る時につけている木綿の手袋に、耐用限度を超えたのか、乾燥機の荒々しい熱風がいけなかったのか、穴が空いた。構わないと言えば構わないが、一箇所だけ別の手触りがするのは気持ち悪くもある。

引っかからなかった抜け毛

夕方くらいからしばらく、しばらくずっと屁が出ていた。スカすような生半可な屁ではなくて、尻に力を入れてぽんと出す、屁オブ屁、ザ・屁が止まらなかった。思い返してみるに、そう、しゃっくりが出るサイクルとスパンと同じくらいのペースで、屁がぷりぷりぷっぷこぼひぼひぷっぽと出ていた。こんなに屁とは連続して出るものかと思った。飯食ってからは落ち着いたが、にしてもマナーの悪い車のクラクションのようであった。そう遠くない時代の日本に、これは私の記憶なのでもしかしたら盛大に間違っているやもしれないが、自由自在に屁を出す事のできる人間がいて、それで演芸というか芸能をやっていた人さえいたらしい。私も、小学校の頃、ある程度げっぷをコントロールする事ができて、今でもそのやり方はなんとなく覚えているので、人体の行使という意味では屁も意のままに放る(ひる)事ができておかしくなかろうという感じで、げっぷは動機の準備が能動的に可能なのだが、屁は分からない。私が感得していないだけで、屁を仕込むというか、きっかけをこちらから掴む術があるのかもしれない。にしても、屁をこいてこいてこきまくってやろうと思い至るとは、なかなか変わった人である。屁について扱ったずばり『屁』という本もあるらしいし、食ったらガスが出るのは必然ゆえ、人間として生きる上で欠かせない伴侶的要素ではあるわけだな。ガスで思い出したが、この前しゃがみこんで見た下水は、プクプクと泡が湧いていて面白かった。なぜ路傍でしゃがみこんだのかと言われると、暇で他に見るものがなかったからなのだが、手近にある、人と目を合わせなくても暇を潰せる何かが、私には下水しか思い当たらなかったのだ。ちっちゃい泡が、浮いたりはじけたりして、なんとなしに眺めているには悪くなかった。マスクをつけていたからか、それともそれほど汚い下水ではなかったのか、悪臭がするとかではなかった。暗渠をとろとろと、流れているのか流れていないのか分からない、形のない真っ黒な羊羹が、醋を立てていた。今日はほとんど何もしていない。何もしていないので無理やり引き伸ばしたが、何もしていないんだな。昼飯は、食事らしい食事はとらずに、ドライアプリコットを何個かむしゃむしゃして済ませた。サイズの割にめちゃくちゃ甘くて、げんなりするので食欲をいなすにはちょうどよかった。ドライフルーツの甘みは、身体に悪いものではなかろうと思うのだが、どうなのだろうな。

plaice

二時間くらい昼寝をしたが、眠い。自分の身体の事は、よく分からん。60点を下回らないようにするのは得意だが、それ以上にはできない。自分の身体にさえ興味が薄い。何が好きなんだ、お前は。昨日の話だったと思うが、こちらの絵本を本屋で探していた。日本だと、いわさきちひろとか、フライパンおじさんとか、ぐりとぐらとか、定番の絵本があるけれど、他の国で定番の絵本って、そういえば何も知らないのである。はらぺこあおむしくらいか。私は絵の好き嫌いが激しいので、ざーっと見た感じで、三冊買った。気に入ったのは、Fox's Socksというやつである。20年か30年か、刊行から経つらしくて、それでもなお販路に乗っているのは、下手な本ではなかろうという見込みに従ってみた。中身も面白かった。靴下を無くしたキツネが、靴下を探して家の中を探し回って、シャツとか帽子とか靴下以外のものがどんどん見つかって、最後にようやっと靴下が見つかるという筋である。なんだかすっとぼけた感じの絵柄が好ましく、それも理由の一つである。調べれば、Amazonでもどこでも書影が出てくるだろう。すっとぼけている。当人は必死なのだが。この絵とおはなしのコンビはなかなかのヒットメイカーらしく、他にも息の長そうな絵本はあった。一番気に入ったものにした。他は、南極から迷い込んできたペンギンと男の子が仲良くなるやつとか。街にタコが降ってきて、うんにゃらかんにゃらあるやつもあったが、それは買わなかった。しかし、絵本というのは、だいたいどこでもページが厚いもんだな。絵本が長持ちするのは紙が厚いからで、絵本が売れるのは繰り返し読んで消耗するからである。ここ二週間くらいは一日三食になっていて、やむを得ぬ事情があったというかなかったというかなのだが、そろそろ身体に堪え始めた。肉が多少付くのは、どうせ帰ったら元に戻るから構わないのだが、あんまり腹が空いた感じがしないのに参る。週平均一日2.2食みたいな生活なので、どんと増えるとどんとくる。ので、明日からは調整したい。飯食わなくても、果物なり、簡単にチーズなり齧ってれば、腹は保つだろう。しこたまバターを入れて、ホタテのバター醤油煮込みみたいなものを作った。ホタテなんて自分では食わないが、食えるのであれば喜んで食う。ホタテってまずくなりうるものなのかしらね? そういえば、あのびろびろした紐がついてなかったな。あそこ、好きなのに。

なぜなぜな〜に

冷蔵庫の中にエビがあるのを忘れていた。どうやって食べようか思案中である。卵を一人当たりふたつくらい使って、エビ天津みたいにならんかなと考えている。人生で、天津飯なるものを食べた事は確かにあるはずなのだが、具体的な記憶が薄いというか、多分あそこで食べただろうなぁ、食べたとしたらあそこ以外にはねえなくらいの絞り込みしかできない。目の前にぽとりと置かれた記憶もないではないのだが、これはあまりに思い出せない思いつかないゆえの捏造かもしれない。そもそも天津飯って何なんだろうか。ご飯が丸く盛ってあって、その上に卵がかぶさって、何かしらの餡が乗っている、これが天津飯の構成要素として考えていいのだろうか。もっとあるのかしらね、これがなくっちゃ天津飯じゃないじゃん! というエッセンシャルなものが。食い物の事以外で変化をあまり感じられないので、食い物の話ばかりする事にするが、私は今まで、イングリッシュブレックファストとは、ソーセージベーコンハッシュブラウン炒めたトマト炒めたマッシュルーム目玉焼きないしスクランブルエッグビーンがエレメントだと思っていたのだけど、これはあくまでも、メジャーな方のテンプレートであって、メジャーではない方のテンプレートもあるらしい。私はそれを聞いておったまげてぶったまげたのだが、これを知ってそうならなかった人がいたら教えて欲しいくらいである。オムレツとスモークサーモン、これにパンがついたもの、それもまたひとつのイングリッシュブレックファストの形らしいのである。私が話を聞いた人の言葉をだいたいそのまま引用すると、卵二つくらい使ったまあまあでかいオムレツと、「馬のウンコみたいにもりっと」したボリュームのスモークサーモンが皿に相乗りしているそうだ。?????? どういう事? 食べ物それぞれとしては、決して悪くない。むしろうまいものである。イギリスで食うスモークサーモンはうまい。しかし、なにゆえなぜにそれがオムレツと席を同じゅうするのか、どうしてそのふたつを朝のいの一番に食うメニューに据えようと思ったのか、これが分からんのである。結構ボリュームがあるんだ。それを注文した人は、「うまそうに」食っていたそうなので、つまりなんだかんだ言ってもうまいのである。あぁ、異文化だなと思った。これに対して何を言うでもなく、事実としてお腹にすっぽり入れた。人間の想像力も捨てたものではないが、事実は小説よりも奇なりとは、全くその通りではないか?

エビから出る透明な汁

現在の上皇・皇后の好きな食べ物がラーメンと聞いて、「漫画で金持ちキャラが『今日は特別な食事だよ』と言ってカップ麺出してくるのは、あながち誤った描写ではなかったんだな……」と思った。現職(こういう時、どういう言葉が適切なんだ? 在位当時とかか)の時、皇居ではたまにラーメンが作られていたらしい。はー。日本の国民食という冠言葉がつく事もあるラーメンだが(同ジャンルで他のアイテムにはカレーとかがある)、皇族も食っているのなら、それは本当に国民食と言えるのかもしれない。社会的にラーメンの地位が低いわけでは全くないが、これはもう堂々と胸を張ってよいのではなかろうか。お前はまさしく、日本の食文化の欠くべからざるいちパーツであるよ。博多の方のラーメンは、粉落としというのがあるとは聞いていたが、つい最近、「湯気通し」なるものがあるらしいとも聞いた。粉落としは、てぼに入れた麺の玉を、ほんの一瞬湯に潜らすくらい、まさに粉が落ちる程度だけ茹でるというかそれはもはや濡らすとか芋洗とかそんなもんだろと思うのだが、湯気通しはもっと凄まじくて、てぼに入れた麺を、茹で麺機から立ち上る湯気にスーッと通過させて、そんで終わりらしい。ほとんど水気との接触がない。濡れる暇さえあるのかどうか分からない。加熱という調理工程では全くない。腹壊すんじゃないかと思うのだけど、あるらしい。ないかもしれない。でも、博多出身の人に聞いたラーメン関連のあれそれを思い起こすと、マジでありそうだ。すごいところだぜ。部屋が本当に乾燥しているな、と思った。今日起きた時に。寝る時にすでに感じていると言ってもよい。喉乾いたなと考えながら寝ている。私は水分の経口摂取から排泄までが非常に短いので、これは代謝がいいのか病的なのか分からんが、寝ている最中の「喉乾いたな」という瞬間に水を飲むと、例外なくおしっこに起きる。健康なのかもしれない。二度寝の機会をリーズナブルに獲得できるので、いいのかもしれないが、ど夜中に起きてしばらく寝られないのも、やる事がなくて押し潰されそうだから一長一短か。一日、すごい眠い。めちゃくちゃ暑いわけでもなく、めちゃくちゃ寒いわけでもなく、たまに暑かったりたまに寒かったり、誰も乗っていない、静かにちょっとだけ揺れているブランコみたいな振れ幅で、一日がこっくりこっくりしている。寝巻きの匂いが、なんか違うな。洗剤の匂いか。それとも、食ってる飲んでるものが違うと、分泌物の匂いまで変わってくるのか。