他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

溶けるまで鉛筆をなめる

すっごい眠い。起きた時から、ずっと意識の裏側に張り付いているような眠さがある。寝つきが悪いのは、最近、ほどほどに緩和されてきたけれど、寝起きがまるで泥のようである。どぷどぷ、たぷたぷ、重く引きずる塊の中から、たまたま浮き上がってきたかのような、まとわりついて離れない。岸に上がると、ふらふらしながら、しばらくじっとして、眠気が晴れるのを、あるいは、晴れ間が覗くのを待つ。長くて、重たい時間がある。眠気を、物質として具体化させたら、オナホみたいな樹脂の入れ物に水を入れたようなものになると思う。ぽよぽよして、どこかねばねばして、なんだか気持ちいいところがあるような。生涯で持った事はないけれど、おっぱいボールみたいなアイテムは、若干そんな感じかもしれない。あれ、生徒会役員共で見ただけだけど、実際に売ってるのかしら。アダルトショップを見に行かなくなって久しいけれど、もしかして大人のお店のガチャガチャには、おっぱいボールシリーズのラインナップがあったりするのだろうか!!! このびっくりマークは、テンションが上がったわけではなく、アマゾンの奥地に向かった探検隊をナレーションする時のテンションの、それです。あるの!!! だろうか!!! 正解はブログに書いてあるCMのあと。この手法は、かなりの反感を買うらしいですね。私も好きじゃないですが。おっぱいボールの話をしていたんだった。人生で、もう一回でも、言う機会がありますかね、おっぱいボールの話をしていたんだった、なんて。ティピカルな、ピンク色の乳首の他にも、黒ずんだ乳首、ピーナッツ色の乳首、開発されて長くなったボッキ乳首、などなど、ガチャガチャにするんだとすれば、結構色々なバリエーションを用意できそうである。用意する意味はなんですか、と聞かれてしまうと、それは、ちょっと困ってしまうな。しかし、だとしても、ちんちんだって、皮をかぶっているやつとかぶっていないやつ、かぶっていないにしても仮にかぶっていないのか真にかぶっていないのか、亀頭が赤いのか黒いのか白っぽいのか、陰毛が生えているのかいないのか、女性の秘所であっても、陰唇の発達具合であったり、陰毛の有無であったり、陰核のサイズ感であったり、数を揃えようと思えばいくらでも、いや、いくらでもは言い過ぎだとしても、10や20は簡単に用意できそうだ。用意できたところで、なんだという話ではあるが。いや全く。大人のガチャポン、面白いかもしんないですね。

自己変容

現実認識に関して、頭の中のある深度でぶちあたる壁の感触に、さっき気が付いた。今日は、書くべき事がないし、書こうと思っていた事もないような気がするし、仕方がねえからこれ書くか、と思っていた事もないような気がする。天気はいまいちだった。多少マシなら、シーツを洗って干してやろうかと思ったのだが、日曜日に見た天気予報では、そこから一週間、曇りと雨のマークしか見えなかったはずである。3日経ったので、今は予報が変化しているところもあるかもしれないが、にしてもうだつの上がらない天気である。うだつの上がる天気ってなんだと聞かれると、それは、まあ、私の方でも答えを持ち合わせていないわけなのだけど。この身体のだるさというか、伸ばしてもいないのに弛緩している感じ、もっと身体を動かしなさいという、意識下からのメッセージなのではないか、という気がしてきている。まあ、それは。そうでしょうね、と返す他ない。散歩くらいならできる。というか、散歩以上の歩行系はだめだ。走り始めて10秒もしないくらいで、腹が痛くなる。中学か高校かくらいからずっと続いているこの特質、そろそろなくなったかと思ってこの前少し駆け足になってみたのだが、すぐに、あの特徴的な、きりきりと穿つような鈍い痛みが生まれて、こりゃだめだと匙を投げたのだった。向こう、一生付き合っていく器質かもしれない。筆が止まってしまった。あれだ、さっき、晩飯を作るために、食料棚から人参を取り出すと、2本はちょっとカビが生え、一本は、なんかもう、ぐずぐずのとろとろで、よく分からない状態になっている部位があった。気温が落ち着いて、たまに寒く感じるくらいになってもカビるんだ、と思ったし、蕩けて形を失いかけたやつに関しては、ちょっともう分からない。人参色の液体を吐き出していて、先っぽの方は大丈夫かと触ってみると、全くの手応えなく、ふにゃっと曲がって形を失ってしまった。粘液に漬かっていた部分も、粘液に漬かっていただけのはずなのだが、何かしらの変化を起こして得体の知れない事になっており、申し訳ないがそいつだけは、損耗が激しすぎたので廃棄した。すまん。人参さんがそこまで脆いものだとは、よもや思わなんだ。ほとんど一日中窓を開けっ放しにしているが、これでちょうどいいくらいである。次の気温の下り坂はどこでくるのだろう。昨日、まだ耳元で蚊の羽音がしたので、ベープノーマットを起動した。で、あの蚊、どこに行ったのだろう。

縦横無人

今日も、すごい調子が悪かった。昨日も調子悪かったんだっけ? 覚えてないわ。それくらい、脳味噌の稼働が悪かった。普段を10000円くらいのママチャリだとしたら、今日は、成人してから見る、子供の頃乗っていた埃まみれに黒ずんだ三輪車くらい。三輪車って、ある程度成長してからは乗る機会がないけれど、あの乗り方とフォルムは、また乗りてえなと思わせる何かがある。尻がどすんと落ちて、膝が鋭角を描き、ふんぞり返るような姿勢でなければ漕げない。何かに似ていると思えば、なんとなーく、二輪車を乗り回すライダーみたいな感じに見えるのか。人生で、免許を持っていないのでバイクに乗った事はないが、乗せられた事は、一回か、二回か、くらいある気がする。二回もあっただろうか。というか、そもそもバイクに乗せてもらった事があっただろうか。親父がバイクを持っていて、それの後ろに乗せてもらった事が……。あったかなあ。つられて、この前、家族に関するトラウマを全部ミキサーに入れてぐちゃぐちゃにしたような夢を見た事を思い出した。見ている間も気分が最悪だったし、目が覚めてからも内容を反芻すると、端的に言わずとも最悪だったので、不貞腐れて二度寝したはずである。それくらい、なんというか、家族に関する、私の中にある嫌な成分全部を煮詰めたようなナイトメアだった。これを覚えているのはすこぶる嫌なので、頭の中から剥ぎ取って全部全部捨ててしまいたい。私は、コンプレックスという語が、原義に近い意味で、とてもよく分かるような気がする。もう、日本語では、陳腐な意味に成り下がってしまったが。ゴミの日だったのを、夜になってから気付いた。あーあ。もう何回忘れている事やら。棟方志功が「人の人」で、オーウェルの様々を感じ、これで前に買ってきた文庫本は全部読んだかと思ったのだが、紙とiPadの間に、もう一冊挟まっていた。井上ひさしの小説があった。井上ひさしは、その容貌と、中学(高校もだったが)の時によい意味でも悪い意味でも交歓した、国語の先生の思い出がべったりくっついて離れない。その先生は、演劇部の顧問で、それはもう、お前が言うなと言われそうだが、かなりコーナリングの効いた性格をしていた。なればこそ、そこそこ以上に話ができたのかもしれないが。同じく、これはこれでいつまでも記憶に残り続けそうだが、同等以上に特徴的だった、高校の国語の先生の事も思い出す。キューブリックの映画とか、私の面白がりそうなものを、連絡帳だか、漢字の小テストだかの余白で教えてくれたのだが、まだ観ていないなあ。

コッポラ

天気が微妙だったので、洗濯物を干すかどうか迷った。曇っていて、パッとしなくて、空気が凪のようで、のっそりしていた。最悪、途中から部屋干しになるかもしれないと思って、すすぎは念のため2回しておいた。というか、こんな半端な天気だったら、乾くもんも乾かんだろうと思った。シーツを、一息にパリッと洗濯してしまいたいのだが、なかなか気持ちのいい天気が訪れてくれない。ガリバー旅行記のスウィフトは、ベッドのマットレスに染みた、汗とか愛液の匂いに特異に敏感だったらしい。布団を、適当に寝て、適当に起きる場所と考える以上が難しいので、私の布団、ベッドでなく布団なので、そこでもまた当惑を招くかもしれないが、そこにスウィフトを寝かせたら、一晩中目がギンギンで、睡眠も何もあったものではないだろう。すごくどうでもいい事を考えていた。今日は、何かしようと思ったのだが、頭か、心か、どこかに、穴が抜けていて、とろとろと情けなく内容物が漏れ出していくような、あるいは音もなく蒸発していくような感覚があって、それもいつもと言えばいつもかもしれず、つまりはいつもと同じ、大した事ないという状態なのかもしれないが、ぐてっとして、衝動が止まって、締まりのないただの肉塊であった。にくかいで綺麗に肉の塊に変換できないのか。Macが参照している辞書はよく分からない。インターネットに繋いだ、オンラインの何かしらのデータベースを参照しているのかもしれない。不明だ。無明だ。風呂入りたい。連日、美味いもんを食ってしまったので、これから自分で飯を作るという事を考えて、魂が抜けて倒れてしまいそうになる。レンジの上に置いておいて、置きっ放しにして、置き忘れた生姜は、さきっぽの結実がカラカラに水分を失い、最初の頃よりもずいぶんと小さくなり、茎は病気の稲のようになり、食べ物とは程遠い姿になってしまった。あれは、どうすればいいのだろうか。朽ちるに任せると、さすがに、台所が大変な事になるので、どこかで何かしら、こう、いい感じに何かしないといけないのだが、どうすればいいのだろう。今、玄米が炊き上がろうとしている。白米は、炊く時間も短いし、早炊きみたいな芸当も存在するわけだが、玄米に対しては小細工がない。高い炊飯器で、そういう方向性のものを探せば、玄米の早炊き機能があるものも見つかるかもしれんが、米は炊き忘れている事が発覚した瞬間に全てがおしまいなので、別に必要ないような気もする。

寡黙と破裂

本日は、お世話になりました人の勇退パーティーに列席いたしまして、体力があまり残っておりませんので、その事実のみを記して終わりとさせていただきたく存じます。持って行ったクラッカーは、機会を逸して鳴らしませんでした。

バス停は一日3ミリずつずらせば気付かない

雨が降っていた。ずっと雨が。洗濯物は部屋干しだ。今回回したやつは、部屋干しのお役立ち情報、すすぎを2回やると臭いが出ない、をすっかり忘れて、空気乾燥(機能としてついているが、ドラム缶がぐるぐるしているだけで、本当に乾燥しているのか疑問に思う事もある)3時間の処理しかしていない。大丈夫かな。ともかく、今から風呂に入る分のバスタオルがないので、部屋干しーズのどれかが、きちんと乾いている事を期待するしかない。すっごいばちゃばちゃびちゃびちゃしているし、外に出る用は、夜だったから、ゴロゴロして、いや、寝っ転がっていたわけではないのだが、過ごした。バナナマンのDVDをちょっと観返した。やっぱり、これは、これだけを見るぞ、これだけのために今日一日を用意したぞ、という環境を作らなければいけないなと思った。片手間に見られるものではない。なんだか、画面を見ているだけではもったいなかったので、買ってきた文庫本の残り、ジョージ・オーウェル動物農場』を読んだ。訳が開高健だから買ってきたようなもんである。表紙の雰囲気から、ちょっと、読みづらいかなあ、あんまり気乗りしないなあ、と思っていたのだが、読み始めると、これが、なんとまあ。面白いのなんの。エンタメ的な面白さではない。豚の指導の下、人間の支配から脱却した農場の動物たちが、豚が云々かんぬんで……という話。ネタバレは好かないので全貌を伝えられないのが惜しいのだが、ゆっくりと、傾いて、上に乗っていたものが落ちて、落ちて、ひっくり返って元通りになるような、読みながら、もじもじしたくなる生々しい居心地の悪さがある。ともかく、それほどページ数がないのに、これはもう、たいへんに面白い。開高健に惹かれて買ってよかった。表紙ソデに、「かいこうたけし」とふりがなが振ってあって、おいおい冗談だろと思ってタイプしたら、いつもは1文字ずつ打つのにすんなり変換できてしまった。岩波の短編集の表紙には、「けん」でサインが載っていたはずなのだが。あの、ねっとりして、どこまでも糸が続くような、濃密な文章ではないが、底を覗き込みたくなるような、厚みと深みのあるいい訳文だった。相当の外国語を嗜んでいたはずで、言葉のセンスみたいなものが飛び抜けていた人なのだろう。文庫の後半は、表題作品が終わったら、開高健の解説みたいなものとか、それにまつわるエッセイみたいなものがくっついていた。こっちの方が読むには遥かにボリューミイで、劣らず面白い。いい衝動買いだった。

紙取り油

ずっと雨が降ってました。ずっとですよ。頭の中にも雨雲がずるずると立ち込めていて、先行き不安で見通しの悪い事この上ありません。どっかでずっと、とんとんとんとん、しずくが垂れ続けていてその音も許せない。これを自然のメトロノームにして、音楽の練習でもできればよかったが、あいにくと楽器は何もできない。変な声を出すのは得意だが、変な声は出す場面がないのであてがない。朝ごはんは、玄米に卵を乗っけて、ジャンツォンジャンを添えてぐじぐじかき混ぜて食べた。これは、美味いっちゃ美味いのだが、心がわびしくなっていく感じがあるので、もうやらないようにしようと思った。卵かけご飯に調味料を入れただけなのだが、不可思議な化学反応が起きている。なぜか、心を枯らす味がする。今日もちまちま休んでいたが、昨日ほどではなかった。いつまででもへばっていては、今週末何もできないだろうから、身体がある程度順応してくれてよかった。土日は、どちらも午後に予定が入っているので、たいへん忙しい。こんな事、しばらくなかったのではないか。料理をしながらとか、家事をしながらとか、ラーメンズのコントをずーっと流し続けているのだが、バナナマンのコントが、それはもう大変観たくなってきた。ハナからのハジマリとか、山ん中でロケハン中に車がエンコするやつとか、game of whichとか、いろいろ。全部持っているわけではないが、大体持っているので、どこかでばーっと全部振り返りたい。傑作選から始めて、時系列的に新しい方へ。今年の春のやつは、パブリックビューイングみたいな形になったんだっけ? 映像ソフトが冬に出ると思うので、楽しみにしている。腰を据えて読んでいたテキストに、じーっと見つめて、頭の中でああでもないこうでもない、前後と突き比べて考えていたら、意味がじわーっと滲み出てきて、炙り出しみたいになった時、ものすごく気持ちが良かった。あれを、脳汁が出るというのだろう。テキストが、自分のものになったという感覚があった。それほど難しくない箇所だったかもしれないが、血肉になった瞬間の歓喜と高揚は、やはり他の何物にも比べ難い。たまーに、こういう事が、ご褒美みたいな感覚であるので、私は言葉から逃れられないのかもしれない。業務用スーパーで買ってきたかつおのたたきを食べたのだが、かつおのたたきのくせに、身がへなへなしていて、とろっとしていて、あまり好きではなかった。もっと、こう、赤身肉らしく、ぐりぐりぷにぷにしなさい。

回転木馬とターミネーター

さっき、まぜそばを食いながら、足コキについて深く考えた事がないなと気が付いた。普段から何を考えているのかさっぱり分からない頭だが、それにしても突拍子がない事を思いつくものだ。もっと、他に生産的な事柄があるだろう。いや、あるのだろうか。全ての思惟に、意味はないのだろうか。足コキには……。まあ、ないかもね。ただ、生徒会役員共19巻で、フレミングの法則の手の形で手コキができるとあってから、その事が頭の中にずっと残っていた。フレミングの法則は、習ったし、試験の時にあの手の形をして、ここが電流、ここが磁力、的な事を確認したはずだが、しかし、あの手の形で手コキをしようとは、手コキができようとは、毛頭考えた事がなかったのである。フレミングハンドでペッティングする時に、親指と中指は入れる場所があるが、人差し指だけ居場所がないな、これどこに入れたらいいのかな、と思った事はある。手コキはなかった。そして、フレミングハンドによる手コキというのは、その意外性に反して、思ったよりも実用性があるのである。右手をフレミングにして、バーチャルちんこを空中に想像しながら書いているのだが、人差し指と中指でちんこを挟み、親指を裏スジに沿わせるように動かしてみると、確かにこれはたいへんeffectiveな手コキフォームである事が分かる。さらにストロークの幅を広げてみると、親指が裏スジから離れても、人差し指中指の2点で、カリを刺激する形になる。フレミング手コキ、思った以上にちんちんフレンドリーなのだ。氏家ト全の発想には、普段からシャッポを脱ぎっぱなしなのだが、笑点のように、まだひとつシャッポを脱いでしまった。流石の一言に尽きる。足コキについてはまだ全然考えていない。足コキだけひたすら書いている何かについては、まだ触れた事がないような気がするので、どこかで出会えば見識を深める機会になるかもしれない。これからの運に期待、といこう。それ以外は、今日は……。主に考えていた事がこれだったような気がする。明太子を買ってきていたので、余っていたチーズを乗せて、余っていた韓国海苔を乗せて数日間の朝ごはんとしていた。これは、美味いのだが、バカみたいな味がするので、向こうの人生ではしばらくやらんとこう、と思っている。それくらい、よくなかった。あと、虎屋の羊羹をもらったので、もちゃもちゃしていた。めっちゃ美味いのだが、密度がきちきちで、血糖値がぐんぐん上がる音がする。ブランドってすげえなと思った。

スイング・バイ・ガーター

一日、ぐあーってなっていた。ぐでたまを頭の中で灰色に塗り替えてみてほしい。今日はその状態だった。午前中は、ほぼ全部ダウンしていた。午後も、なんとかのたのた動いたが、だいぶパフォーマンスは落ちていたと思う。天気が悪かったからと、言ってしまっていいのかどうか。曇りないし雨の日は、かなり調子が悪くなるのだが、しかしそれを天気のせいにしてしまってもよいのかどうか。悪いもんは悪いのだから、多分天気が悪い。誰かに害がない限り、自分の精神のために割り切っていく事も必要である。頭がだるい。新しく買ってきた服をおろした。デニムとチノパンを足して2で割ったような素材のシェフパンツは、かなりいい感じである。擦り切れるまで履く事だろう。シェフパンツの特性自体が、その計算式で表せるような気もするな。この前、色々試着して分かった事は、自分の服のサイズは全部Sでよいという事だった。昔はたま〜にMを買っていたような気がするが、サイズ表記にもいくつかスタンダードがあって、しかしアルファベットは一緒だったような気がするから、その辺のあれこれがそれそれしてあんな感じなのかもしれない。肉料理を出す店で、1ポンドステーキ! とか大書してある事があるが、1ポンドってどれくらいなのだろうか。ポンドとか、ヤードとか、フィートとか、普段全く使わない度量衡で提示されても、評価できない。1ポンドは、だいたい453グラムらしい。ほーん。グラムもよく分かってないので、よく分からない結果に落ち着いてしまった。度量衡が、身体感覚を伴った現実として体験できない。センチもよく分からない。感覚の中に、物差し的なものがないのかもしれない。業務スーパーで売っている肉は、だいたいでかいので、あれを思い出せば1ポンドを感じられるかもしれない。500グラムくらいの、肉。トレー。うーんと。えーっと。普段、グラムを見て肉を買っていないので、やっぱり分からなかった。値段を見て、こんくらい入ってればまあええか、という感じで買っている。一生、1ポンドステーキをそれとして感じる事ができないかもしれない。ただのでっかい肉の塊として捉えていこうか……。洋葱醤を、食べた。昨日あんな話をしたが、私は食事中にうんこしっこの話をされても平気なので食べた。スカトロAVを観ながら食べたら……。どうだろうな……、やった事ないな……。玉葱と唐辛子が入っているらしいのだが、食べた感じは完全に、

 

こ れ キ ム チ だ

 

だった。キムチの味がした。離乳食みたいな食感になったキムチだった。少し酸味のクセが強く、美味い。卵黄を落としてまぜまぜしてから、韓国海苔をちぎると美味かろう。いや、その食べ方、キムチだ。

適廃

覚えてたので、日曜日の出来事を書きます。用事があって、JR山手線渋谷駅で降りた。理由は分からないが、あそこの構内構造はなんだか気持ち悪い。そこで降りると、いつもトイレに行く。理由はよく分からないが、トイレに行きたくなる。ぼっこり凹んだところにあるので、ちょっと遠い。清掃中の立て看板が見えて、そうか、清掃中か、と思って、小便器の並びを見ると、脳味噌が処理不良を起こして停止した。どういう事か。どういう事だ? 10基くらいある小便器(小便器を数える時の単位を知らないので適当につけた、違ったらごめんなさい)の並びに、ひとつだけ、明らかに異質なものがあった。そこだけ、水がばしゃばしゃで、床が濡れて、溢れていた。何か、そう、何かが、小便器の中を物理的に塞いでしまっていたのだ。赤い、オレンジ色の、ポスターカラーのオレンジみたいな色の、ゲロが。洋葱醤という中華調味料があるのだが、まさにあの色である。あの色をした、ビビッドなゲロが、ペリカンの受け口みたいな小便器の中になみなみと横たわっていた。あれほど大量のゲロは、人生で見た事がないかもしれない。ちっこいゲロは、昨日、公園のそばの電柱の根元でバラバラになっているのを見た。でも、すくいとれそうなほどの量のゲロは、やっぱり、見た事がなかった。臭くなかったし。マスクをしていたせいかもしれないけれど。もしくは、あれは、小便器にゲロをして、さらにその上から小便をしたものかもしれない。床にびっちゃびちゃに垂れ流されていた正体不明の水分は、もしやおしっこだったのかも。強烈な色彩と、大便器ではなく小便器にぶちまけられた光景のアンバランスさで、記憶に焼き付いて離れなくなってしまった。今度から、小便器を見るたびに、そして渋谷駅のトイレに行くたびに、あのゲロの事を思い出すだろう。掃除のおばちゃんが、ものすごいめんどくさそうな顔をしていた。そも、あれはどうやって掃除するのだろう。未知である。今日は、なんだか、すっごい眠かった。結構な時間休んでいた。でも、まだ眠い。だるいとかではなく、ただただ眠気の重みで眠い。洗濯物をいっぱい干した。晴れだった。でも、台風が横殴りに近づいてきているらしい。物干し竿に並んでいる洗濯物を見ると、黒とグレイばっかりだなと思った。あまり色物着ないし、好きじゃないからな……。襟のついたシャツもないし。服飾はあまりこだわりはないが、シェフパンツを考えた人には拍手を送りたい。

プリン危機一髪

半日くらい、買い物に駆けずり回っていてすごい疲れた。家に帰ってから、一時間くらい、魂のない獣になっていた。人へのお土産だったり、自分の冬服とか食料とか。東京駅は、本当に分かりにくい構造をしてやがると思った。入構料140円、絶対に払わなくてよかった。なぜなら1分くらいしか構内に滞在していないから。悔しい……。冬服はGUに行って買った。個人的な趣味としてはRight-onが好きなのだが、あそこはそこそこの値段がするので、適当に着潰せる服を買うならGUの方が気兼ねがなくてよい。長袖のシャツとか、パーカーとか、ちょこちょこ買い足した。買い足したというか、もうそろ寿命と思われるものや、人からもらって既に耐久値の崖が見えているものなどがそれなりにあるので、一息に入れ替えてしまってもいいかもしれない。袋に入れて持って帰りながら、6点でこんなに重いなんて、服ってやつは凶悪だなと思ったので。ある程度整理していこ。物を持たない方が難しいので。GUに感謝したのは、シェフパンツがあった事だった。地元の店で買ったシェフパンツは、生地も強いし着心地も適度なルーズさで最高だったのだが、服飾業界全体として、シェフパンツという種類が出てきたものらしい。いや、随分今更な話をしているのかもしれないけれど。GUのやつは、化繊感が強くて冷たいタイプと、なんかそれっぽい生地のタイプがあった。化繊っぽい方は、むしろ夏に向いているか。靴下も新しくしたので、ゴムが伸びて紐がぴょろぴょろしてきた先代は入れ替えかな……。ずるっずるのボロボロになったハンカチもどっかで買い換えたいが、これはむしろ地元に戻った時の方がいいような気がする。帰りに、不二家のレモンスカッシュを飲みながら帰った。ざらざらした質感のこどもぱんつに、こんな柄のやつがあったよなーと思った。あまりレモレモしくなく、しかし味が薄いわけでもなく、いい感じの清涼飲料水だった。清涼という言葉は、必ずしも指し示すジャンルを言い当てている気がしないので、何か他の言葉で代替した方がいいとずっと思っている。数日前に失敗したというか、湯煎の袋が破けてローストではなくボイルになったリベンジとして、今日もローストポークを作った。いや、結果として、再び袋が破け、今度は更に底が抜け、マジモンのボイルになってしまっていた。うーん。でも、茹で汁はそれ単体で美味いスープになっていたので、なんとも言えない。あ、日曜の出来事で、書こうと思って忘れていたのを思い出した。

乾布ビンタ

昨日の夢の中で、もうひとつ、何か重大な経験をしたような気がするが、忘れた。昼に思い出したのだが、さっき仮眠したら忘れてしまった。なんだっけ……。人格の核に迫る、かなりクルーシャルなものだったと思うのだが、うーん、なんだっけ。思い出すかなあ。そういう事を忘れたという事さえ思い出せなくなりそうな気がする。食料が、一旦底をついた。明日の朝は、中途半端に残った焼きそばを炒めて食べるか、茹でてレトルトのビーフシチューみたいなやつにつけて食べるか、グロテスクな方法しか思いつかない。でっかいさつまいもがあるので、それをレンチンしてふかし芋にして食べてもいいが、でっかいので一回では食べきれないかもしれない。あと、柿も2つある。ていうか、実家から米が送られてきたのだった。あれを炊いて、生卵がひとつあるけど、結構日が経っているから、えーと、えーと、目玉焼きかなんかにすればいいし、海苔がすごい量残っていたはずだから、海苔醤油ご飯にしてもよい。海苔醤油ごはんは、実家にいた頃はそこそこレアなメニューだった。なぜなら海苔が乗っているから……。小さい頃から食べつけなかった食べ物は、いつまで経っても高級で、非日常のもの、という感じがする。一生抜けない気がする。え、ほんとになんにもないの? ウソウソウソウソ〜〜〜と思って戸棚を見てきたら、ブルスケッタの袋があった。ブルスケッタ小林賢太郎のコントに出てきたので名前を覚えているが、実際定義するとなると、一体どういう食べ物なのか、全然分からない。というか、店頭で見るまで、ブルスケッタがフランスパンをカットしてからなんかした何かしらであるという事すら知らなかった。欧米の、どっかの国の、なんかのメニューだろうなという程度しか思っていなかった。ガーリックトースト? 的な? やつ? がブルスケッタらしい。DVDを引っ張り出すと、第三回公演の「シャレにならない親分」というコントだった。これにブルスケッタが、正確にはブルスケッタという音が出てくる。面白くない事が絶妙なバランスで面白いコントなので、もし買う機会があれば勧めておく。カジャラのコントも面白いんだ……。帰り道、雑な糖分が欲しくなったのでファンタの缶を買った。コカコーラ社の缶飲料が、だいたい100円の自販機が近所にある。近くは軒並み120円なのに、そこだけぺっこり凹んでいるのだ。なぜだろう。天気予報では曇りと出ていたが、洗濯物を干した。あまり乾かなかった。

電子レンジの中はお立ち台

「潰しに行きますっていうのは社長になるっていうこと??」

この前、道を歩いていて、横を通り過ぎたサラリーマンが電話口にこう言っていた。どこにも句読点がなく、ただ一続きに、こう言っていた。耳で捉えた時に、ギョッとした。こういう、呑み屋でしか聞かないようなセリフは、呑み屋の外にも存在するのだと知った。呑み屋に行かないので実際に言われているのか分からないが、こんな会社やめてやる、とか、今に出世して見返してやる、とかは、その辺で言われているイメージが強い。電話口の相手は、一体、どんな人だったのだろう。私がすれ違った人は、社内でもそこそこに地位にあって、しかも相手にタメなのだから、トップ層のひとりとひとりだったのかもしれない。どうなのだろう。文言のインパクトが強すぎて、温度が測れない。思わず携帯のメモ帳に書き込んでいたのを、さっきうたた寝している時に思い出した。今日は、なんだかすごく酷い夢を見た。数々の酷い場面があったはずなのだが、唯一、イメージのかけらを覚えているのは、周りに砂と草しかない、開けた大きな交差点の真ん中で音楽をかけている3人組くらいの集団に、遠くから近づいていった私が加わり、じっとしていたかと思うとヘドバンを始め、アクロバティックなパフォーマンスをしていたかと思うと盛大にコケて右半身が血塗れでずるずるになり、傷を見せびらかすように惚けて立ちっぱなしになり、前後に連なる人姿のシークエンスに罵られるという、つげ義春ねじ式もうそう言えばラーメン屋の屋台で昼寝してる時に見た夢がネタらしいなと思い出すくらいどうしようもない脈絡だった。夢のイメージの強烈さは、本人にしか、そして本人さえも、目覚めた瞬間に風化してしまっているので、純度百%で伝える事ができない。ダリくらいになれば、全ての時系列を一つのコマにまとめてぺたりとやれるのかもしれないが、荒唐無稽をふんじばれる膂力というのは、ちょっと鍛え方が思いつかない。夢は、暖簾に腕押し特訓した後に、糠に釘をうつような、目標がない事への徒労みたいなものがあって、真面目に考えるほどげんなりしてくる。今日の晩飯はどうしようかと考えたが、昨日のローストポークの残りがある。でも、たしか、野菜が軒並みなくなってしまったはずである。明日、帰りに買ってこようか。卵も、牛乳も、みんな同じタイミングで無くなりそうだ。こんな季節なのに、蚊が飛んでいる。昨晩から。ベープを焚いたのに、さっきもまだいた。寝ている時に左の鎖骨のところを刺された。歳時記に従ってほしい。

モヨコ

おふとんあったかい! きもちいい! でも寝付きは悪かった。タオルケットと掛け布団のちょうど中間くらいが欲しい。それはちょっと厚手のタオルケットなんじゃないかって? そうかもしれんな……。起きてから、ちょっとぼーっとしていて、廊下に出てから雷電のように思い出した。ピカッと。ピカチュウではない。生ゴミの匂いが漂っていたのだ。ゴミ捨ての日だ。あの袋は、結局、一週間半かそこら、捨てるのを忘れ続けていた。今日、ちょうどいいタイミングで、鼻が記憶のきっかけになって思い出したわけである。ジッパーバッグで生ゴミの処理をするようになってから、生ゴミ生ゴミゴミしい匂いが軽減されたので、あれはかなりいい閃きだったと自負している。気付くのがずいぶん遅かったが。チーズを買ってきたものの、チーズがフィットするような料理をそもそも作らないという事を思い出してしまい、使いあぐねていたから、朝食べるスクランブルエッグに、適当に乗せるだけというおざなりな使い方に落ち着いてしまった。美味いチーズというものをよく知らないし、高いチーズを食べた事はあるが、匂いキッツイな……と思った記憶が全てなので、チーズの賞味にそもそも向いていないのかもしれない。牛乳は好きだ。飲食店のソフトドリンクに、牛乳があればいいと思うのだが、ほとんど見た事がない。痛んだ牛乳を出すと、お腹を壊してしまうからだろうか。でっかい豚ロースか、バラか、どっちか忘れたが、ブロックを買ってきていて、単に切り分けるだけでは芸がなくて面白くないなと思い、ざっくり作れるローストポークの製法をおぼろげぼんやり覚えていたから、作ってみようと思った。常温に30分放置したり、思い出して塩コショウを塗り込んだりした。オリーブオイルをびゃーっとフライパンに出して、表面を焼き固めたらジッパーバッグに閉じ込め、湯でじんわりと火を通していく、的な流れだったと思う。鍋までは不自由なく行けたのだが、ジッパーバッグが熱に負けて穴が開くのは予想外だった。いや、予想していなかったかと言えば嘘になるのだが。だらだらあっためるはずが、鍋の水が脂ぎって濁っているのに気付き、茹での工程に変わっていた。使っているジッパーバッグが、そもそも冷凍冷蔵用と書いてあったので、適役でないのは納得だった。誤魔化し程度に、ジッパーバッグをもう一層重ねて、しばらく置いておいた。途中コケたが、カットしてからまな板の上でちょっと置いておくと、肉汁がだらだらだらだらまな板から溢(あふ)れて溢(こぼ)れていったので、肉汁を逃さない、というのは本当だった。美味かったが、次は下味と低温調理の工程はしっかりやりたい。

バーニングめだか蠕動

掛け布団にシーツをかけて、掛け布団を掛けて寝た。あったかくて気持ちよかったが、起き出すのが難しかった。寝る時は、ちょっとあちいな……やっぱ早計だったか……と思ったものだが、朝方はすっかり冷えるようになってしまったので、いや、そんな早くの朝方に起きていないので冷えているかどうか知らないのだが、多分冷えてると思う。右鼻の穴入り口すぐに、軽い傷ができたらしい。数日前に鼻をかんだら膿がティッシュに沁みていて、確かに小さいが赤く腫れていた。排出は終わったようなのだが、後にできたかさぶたみたいなものが、ちくちくして時々気になる。鼻の皮膚って薄そうだから、迂闊にぺりっと剥がすわけにもいかないしな……と思って、ほったらかしになった。触らぬアレになんちゃらなし、という。何も言ってないな。玄関出てすぐは、防犯砂利と若干の植栽で、多少開けたスペースがあったのだが、そこに何かの棚が置かれていた。植物のための棚というか、植木鉢という野暮ったい響きではなく、プランターという横文字で表すべき植物の器、それを並べる、ガーデニング用の棚的なものっぽい。イギリスのガーデニングとかで使いそう。日本のホームセンターでも売ってそう。ガーデニング関連のあれこれは、ホームセンターか、腐葉土ならギリギリドラッグストアで売ってる事もあるな、程度の認識なのだけど、高度なガーデニングを嗜んでいる人は、どこであれこれを調達してくるのだろうか。専門店があるのか、あるいは、今なら、信頼できるネットショップでもあるのだろうか。分からないね……。母方の祖母は花にとても詳しかったけれど、あれも地元のスーパーとデパートを足して3で割ったような施設で買ったものなのだろうか。駐車場にはみ出して、種苗店みたいな場所もあった気がする。うーん。明るくない方面には、当たり前だが明るくない。明るい人と明るくない人と、その間のグラデーションに対して意識できなくなると、よくねえよなあと私はずっとずーっと思っているのだが、そうでない場面が多いので、はにゃ〜〜〜ってなってしまう。私の座右の銘のひとつは、「こども笑うな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」があり、どこで読んだのか忘れたが、これは本当によい言葉だと思う。私より絶対にものに明るい人も、知らなかったがいい言葉だと言ってくれた。いついかなる時も、これと、あと2つ3つくらいの言葉を忘れないようにすれば、というか忘れたら、私がなりたくない人間になってしまう。